僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

感想『樋口真嗣特撮野帳』 / 圧倒的な「俺ならこうする」を味わう一冊

 

いいこと尽くめのこの野帳。気がつけばもう20年以上の付き合いになりますが、これを本にしたいというありがたい申し出がありまして驚きであります。めちゃくちゃウレシイです。

でも、これもあくまで完成した映画という到達点にたどりつくまでの中間生成物なので、一枚画としては至らないものばかりなんで申し訳なさすぎます。そんなんでよかったら見てやって下さい。

 

(樋口真嗣特撮野帳「野帳のすすめ」より)

 

 人が一度記憶したものを忘れてしまうのはなぜか。忘却は、「劣化」と「干渉」という2つの理由で生じるのだそうです。

 劣化とは、一度記憶したことを後から使わないと時間と共に薄れていくことを意味し、干渉とは、類似の情報が記憶されているときにそれらにアクセスしづらくなることを意味します。

 

 『シン・ウルトラマン』や『シン・ゴジラ』で監督を務めた樋口真嗣氏は、この忘却に抗うべく「野帳」と呼ばれるミニノートを常に持ち歩き、 “アブクのように不安定な思いつき” を消えてなくなる前に急いで描き写しているのだそうです(恥ずかしながら「野帳」の存在は初耳でした)。

 ベーターカプセルのまばゆい閃光から巨大な手が神永を掴みウルトラマンがビルを突き破って出現するあのシーンも、ゴジラが東京を火の海に変えながら進行していくあのカットも、巨神兵が東京を壊滅させるあのシークエンスも、監督である樋口氏のひらめきとそのスケッチを出発点に生み出されている。

 野帳は表紙が固いためスケッチしやすく、大きさも映画撮影時のフレーム比に近いので完成した映画を容易にイメージしながらガシガシ描けるのだとか。そんな “衝動的なスパーク” をまとめた一冊がこの『樋口真嗣特撮野帳』です。

 

 

 

 

「監督:樋口真嗣」の想像力

 

 一言で言うと「ヤバい」本でした。

 

www.bokuboku12.net

 樋口監督の画コンテがド迫力かつ非常に緻密であることは昨年行ったガメラ展でも感じたことなのですが、本書はその迫力のコンテの元となるスケッチがなんと500ページ以上に渡って掲載されています。

 これ、「映画鑑賞のお供に」とか、そういう生易しい表現で褒めちゃいけないやつです。映画を見ながら読んでたんじゃダメ。そんなどっちも見てる暇なんて絶対に無いと思う。それほどの凄まじい情報量と密度でした。

 ラフスケッチなんですけど、本当の映画を見ているみたいな錯覚を起こすんですよ、脳が。セリフのない漫画を読んでいるような感覚でページをどんどんめくっていってしまう。

 そしてその度に「監督:樋口真嗣」の圧倒的な「俺ならこうする」を目の当たりにする。様々な媒体を通して特撮の先人たちへのリスペクトを度々口にしている樋口監督の、「それらを自分たちが越えていかにゃどうする……!」という野心みたいなものがスケッチからこうビシバシ伝わってくるんですね。プロの想像力を可視化するとここまでのものになるのかという驚きが読んでいる間、常にあった気がします。

 そして日々空想特撮の世界にどっぷり浸かっている僕のようなオタクは、「あのかっこいいシーン、本当に人間が考えて作ったんだ……」と、なんだか見てはいけないものを見ているような背徳感まで味わえてしまう。

 監督自身はこのスケッチを「一枚画としては至らない中間生成物」と仰っていますが、「中間生成物」だからこそ生まれる勢いとライブ感を浴びるのがただひたすら楽しくて。樋口監督のひらめきがそのまま画になっているから迫力がダイレクトに伝わってくるんですね。「急いで描いてこの精度!?」という単純な驚きもありますし。

 

 スケッチ以外のメモや、付箋に記されているちょっとした解説も読み応えたっぷりです。

 『シン・ウルトラマン』でウルトラマンの飛行ポーズがあの飛び人形になったのも実は紆余曲折あったらしいことや、竹中工務店の専門家と考えたという『シン・ゴジラ』におけるビルの壊れ方への並々ならぬこだわり、ゴジラの尻尾があれほど長くなった理由等々、特撮オタク垂涎の極上裏話が満載。

 中でも一番衝撃的だったのは、『シン・ゴジラ』の「首相をはじめとする閣僚たちを乗せたヘリに放射熱線が直撃するシーン」の別案の存在です。その別案のスケッチがまあどエラいことになっておりましてね……。色々な事情が重なり残念ながらオミットされたとのことですが、映像化が実現していたら確実に日本国民のトラウマ映像になっていたことでしょう。よくあんなことを思いつくなあ、凄すぎるぜ樋口真嗣。

 

 

 

本特撮のこれから

 願わくば、今も恐らく樋口監督が持ち歩いているであろう「特撮野帳」に描かれたアイデアの数々が、可能な限り作品として世に出てほしいと思います。

 『シン・ウルトラマン』のデザインワークスでも、庵野秀明監督が日本映画の制作現場の実情を嘆いていました。これほどのアイデアやイメージが形になることなく埋もれていってしまうのは日本映画にとっても特撮界にとってもはっきり言って損失でしかない。もちろん、僕たちもそれが分かっているからこそ、こうして毎日特撮特撮と言い続けるおるわけですが。本書を読んでその思いはますます強くなりました。

 

 で、本を手元に置いてブログを書いていたら、同じく特撮好きの息子(小2)もこうして食いついてくる。

 特に『シン・ウルトラマン』のスケッチには興味津々のようでした。「画コンテ」が何かをまだよく分かっていない中で、あるカットを指差して「え、こんなシーンあった?」となかなかに鋭い指摘。お前、さてはオタクだな。

 ところで彼は田口清隆監督のファンですが、樋口監督が田口監督の師匠だってことはちゃんと教えておきましたよ。「えーっと、ほら、田口監督がウルトラマンゼロやとしたら、この樋口監督っていう人はウルトラマンレオやねん」って。そしたら息子、間髪入れずに「なるほど!」という顔。さすが僕の息子、話が早い。おいお前……さてはオタクだな(笑)。