僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

【あなたとトクサツ。-第10回-】ノンストップで駆け抜けた“ウルトラの道”を振り返る

 「あなたとトクサツ。」第10回のゲストは、Twitterで相互フォロワーとして仲良くさせていただいているウルかずさん(@Wulukazu)です。

 

●「あなたとトクサツ。」とは?

「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。

人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。

 

 Twitterを通してこれまで何人かの特撮ファンの方と交流させていただきましたが、ウルかずさんはその中でも高校3年生と特にお若い方でした。冷静に考えてみると、僕とはもう一回り以上も年齢が違うというこの事実。

 自分ももう若いとは言えない年齢になっていることは当然自覚しているものの、何と言いますかこう…直に「若者のエキス」に触れるとその現実がいかに残酷なものであるかを思い知らされてしまいます。ウルかずさん、『ギンガ』の頃が小学3~4年生くらいですもんね。僕はもう社会人生活にすら慣れ始めた頃でしたから(笑)。

 さて、今回のウルかずさんのお話は、ご自身の足元に常に敷かれていた“ウルトラ道”とも呼ぶべき「ウルトラマンにのめり込んだ人生」の記録。『ギンガ』から始まったニュージェネ―レーションシリーズも、こうしてリアルタイムでご覧になったファンの方の思い出と共に語られるようになったのかと思うと一ファンとして非常に感慨深いものがありました。

 それでは「あなとトクサツ。」第10回です。

 

 

 

 

「マン兄さん」との運命的な出会いから

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第10回:ウルかずさん

 

 僕は現在高校3年生で、今の今まで特撮を卒業したことはありません。


 基本的に特撮全般(ウルトラ、仮面ライダー、ドゲンジャーズetc…)が好きなのですが、中でもウルトラシリーズには深い縁と言うか「運命」を感じています。

 

 というのも、僕が初めて特撮に触れた機会と言うのが、2~3歳の頃に祖母の家で偶然やっていた『ウルトラマン』の第1話でした(それこそ『大決戦!超ウルトラ8兄弟』のダイゴたちみたいに… )。初めて見た特撮と、自分の中に残っている一番古い記憶がマン兄さんなんですよね。


 余談になりますが、一番古い記憶で言うと当時熊本県に存在した伝説の「ウルトラマンランド」で見た、少し記憶が曖昧なのですがナイスさんかゼアスさんだったかがショーの中でボコボコにやられるライブステージもそうだったりして(笑)。

 

 それ以降ウルトラマンにのめり込み、当時再放送されていた昭和のシリーズを中心に見ていました。新規作品だと当時の『大怪獣バトル』シリーズを楽しみに見ていましたかね。そこでゼロ師匠と出会い、『ウルトラマン列伝』を通して当時は再放送の機会が少なかった平成の先輩ウルトラマンたちにも触れました。『ウルトラマンゼロTHE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』は今でも好きなウルトラ映画作品第1位です。


 そして時代はニュージェネレーションへと変わり、『ウルトラマンギンガ』は僕にとって初めての地上波新作だったこともあって特に楽しみで、スパークドールズ発売日当日にギンガさんとブラックキングさんのソフビを貯めていたお小遣いで買った思い出があります。

 その後、少しウルトラから離れた時期もありつつ、番組の枠組みが列伝シリーズから独立した『ウルトラマンオーブ』には、主人公のガイさんの諸先輩方への敬語等々第1話からめちゃくちゃ引き込まれて、改めてウルトラマンの魅力を再確認しました。


 『オーブ』放送終了後のお正月に貰ったお年玉で、親を何とか説得して初めてウルトラマンのDX変身アイテムとしてオーブリングを買いまして…。個人的にはここが「ウルトラマン好き」から「オタク」に変わっていったポイントだと思っています(笑)。

 

 翌年の『ジード』以降も発売されるおもちゃを着実に購入しながらウルトラマンの世界にのめり込んでいきました。中でも特に明るい雰囲気を貫き通していた『R/B』はお気に入りで、アサヒの「アンハッピーな道もハッピーな気持ちで歩きたい」という発言が今も心に残っています。


 『タイガ』の放送が終わってから、今も続く新型コロナの蔓延が危険視されるようになり、中学校生活のラスト2週間が休校になってしまいました。かろうじて卒業式だけが行われ、高校に入学するも入学式の後はまた1ヶ月ほど休校… 。

 

 この休校の関係で入学時特有の親睦会的なものも行われず、学校再開後も自己紹介すら無く即授業と言った感じで、進学したという実感が湧かなかったことを思い出します。その頃に放送が始まったのが『ウルトラマンZ』で、アーツにソフビにDX玩具にと、まるでコロナ禍の鬱憤を晴らすかのようにひたすらグッズを買い集めましたね。

 

 こうして改めて振り返ってみると、特撮は僕と言う人間の柱になっているなと思います。


 中学生の時は休み時間などに人前で”変身”しまくっていたり、人と会話する上でのコミュニケーションのきっかけとなったり、生きる楽しみにもなってますし、とにかく、特撮がなければ今の自分は存在しないと断言できるレベルで僕の中では大きな存在です。 


 僕自身、特撮オタクであることを隠したりはせず、「自分はウルトラマンが好きだ!」と堂々と言えてしまうタイプなので特に悪い思いをしたこともありません。

 

 中には『ウルトラマンガイア』の映画に出てきた浩君のように特撮好きをネタにしたりバカにしてくる人もいましたが、「人それぞれに趣味があって、自分の場合はそれが特撮である」というだけなのであまり気にしていません。マン兄さんとの運命的な出会いを胸に、これからもウルトラマンを愛し続けていきたいと思っています。

「クリエイター」視点で見るウルトラマン

―幼少期のマン兄さんとの運命的な出会いから一度も卒業を経ずに“ウルトラの道”を駆け抜けて来られたウルかずさんのお話、大変興味深く聞かせていただきました。一回り以上も年上の「平成特撮世代」の僕が、ティーンネイジャーであるウルかずさんの「特撮と人生」を更に深堀りするべくお話を伺っていこうと思います。よろしくお願いします!

それではまず、ウルかずさんの人生の一番古い記憶としても残っているという『ウルトラマン』の第1話。初見の第一印象や、今思うマン兄さんの魅力を教えていただけますか?

 よろしくお願いします!

 第一印象と言いますか、祖母の家に行っていた時、風呂上がりに再放送されていたのを伝えられて見たのですが、それこそ『超ウルトラ8兄弟』冒頭のダイゴ・アスカ・我夢のようにワクワクと言うか、初めて見る世界、物語への驚きを感じたのを覚えています。 やはり第1話の竜ヶ森湖での戦闘シーンが印象に残っていますね。

 今思う魅力としては、「ウルトラマン」という存在に対する夢や魅力、55年以上前の作品とは思えないレベルの撮影・編集・特殊効果等のクオリティーの高さですね。

 僕は中学時代に放送部に所属していて、2・3年の時には脚本・撮影・編集をしていたので、経験したからこその視点でもあるのですが、やはり技術の高さを感じます。ウルトラマンそのものの魅力だけではなく、制作の裏側など、映像作品としても興味深いところが非常に多いです。

 もちろんマン兄さんの存在感、客演時におけるダントツの安心感や信頼感は「生きる伝説」といっても過言ではないと思います。

 

―1966年の『ウルトラマン』は、ウルトラが半世紀に渡ってシリーズ化されているのも納得させられる完成度の高さですよね。普遍的であり、時代が移り変わっていっても揺るがないスタンダードという印象です。ウルかずさんの若さで、人生で初めて体験されたウルトラが初代というのはやはり運命的なものを感じますね。

放送部に所属されていた視点から見る『ウルトラマン』の作品としてのクオリティは、やはりカット割りやセリフ回しといった点に見るべきものがあったということでしょうか?

 そうですね。

 初めに、僕が中学校生活最後の放送部の大会(アナウンス、朗読、映像、ラジオの4部門)で作った作品について振り返らせていただけたらと思います。

 僕はその中でも映像専門で活動していたのですが、最後の機会でもあったので「この作品だけは自分で脚本からやらせて欲しい」と当時の部長に掛け合い、脚本から練らせて頂きました。 

 7月末に行われる大会に向けて、それよりも先に映像作品は完成品を収めたDVDを運営の方に送る必要がありました。それまでにも校内の行事やテストがあり、制作にはあまり時間が取れず、賞こそ取れたものの他の学校と比べると出来がやや甘かったんですね。

 僕たちの部では、天候ほか諸々の都合で撮影におよそ3日間、編集も同時進行(撮影・編集・監督全て自分が担当)という他の部と比べると異例のスピードで製作していました。後から聞いた話では、部によっては半年前から製作開始していたところもあったそうで…。

 と、部活の話が長くなってしまいましたが、 それぞれ会話する際に細かくカットを分けていくなど、映像作品としては当たり前であることが当時は期間の都合上出来なかったという経験があり、『ウルトラマン』を見るときにもどうしてもそこに目が行きますね。

 有名な話だと実相寺昭雄監督特有の「実相寺アングル」も衝撃的でした。当時の演者の皆さんも「演技」だと思わせないレベルの自然なお芝居をされていて、僕も当時、製作期間に余裕があれば演技に力を入れたかったななどと思いながら見てしまいます。

 Twitterではこんな感じの動画もアップしているので宜しければ…!

 

―撮影と編集を3日間でしかも同時進行とは円谷プロもびっくりの過密スケジュール…!制作側の視点から見ても『ウルトラマン』は凄く丁寧に作られていたんですね。そのお話を踏まえて、僕もまた『ウルトラマン』を違う視点から見返してみたくなりました。

さて、昭和のシリーズを中心にウルトラを楽しまれていたウルかずさんがリアルタイムで触れていったゼロ以降の新しいウルトラマンたち。好きなウルトラ映画第1位に今も君臨する『ベリアル銀河帝国』について、思い入れをお聞かせください。

 『ベリアル銀河帝国』は、当時映画館まで見に行ったということが大きいです。

 再放送等々で過去のウルトラマンは見ていましたが、『メビウス』はリアルタイムで見ておらず、『大怪獣バトル』シリーズには新しいウルトラマンが登場しませんでした。”自分たちの世代の新しいウルトラマン”がいるようないないような、微妙な時期を過ごしていたんですね。なので、ゼロ師匠の登場は僕らにとって一つの革命だったんです。

 『ベリアル銀河帝国』は、一人ずつ仲間を増やしていくゼロ師匠とべリアルさんとの因縁の対決、そしてバラージの盾の謎解き…すべてが最高でした。

 あれだけ大きなスケールの物語を映画一本にまとめるだけでなく、各キャラの掘り下げや細かい設定など、どれも大切に丁寧に扱われていて隙が無い。 特に最終決戦の「俺たちは絶対…負けない…クッ…」の場面から力を貸してくれた仲間たちの前でウルティメイトブレスを掲げるシーンは何回見ても興奮します。

 

―現在まで続くウルトラマンの人気をまさしく「ゼロ」の状態から築き上げた功労者のように語られることも多いゼロですが、やはりリアルタイムでご覧になられていたファンの方にとってもそのような位置づけなのですね!僕もゼロは推しウルトラマンの一人なので、そういったお話を聞けて凄く嬉しいです。

『ギンガ』から始まったニュージェネレーションシリーズでは、『オーブ』がウルかずさんの中である種のターニングポイントだったとのことですか、その辺りのお話をもう少し詳しくお聞かせいただけますか?

 僕がよく行っていた熊本のウルトラマンランドが2013年9月1日に閉園してしまい、それ以降ウルトラマンに会える場所が身近に少なくなってしまったんですね。

 『オーブ』の物語はそんな、自分とウルトラに少し距離が出来た頃に始まりました。

 『ウルトラマン列伝』の枠から独立したことも感慨深かったですし、クレナイ・ガイの初変身には驚かされましたね。 ウルトラの先輩方に「さん付け」や敬語で接する主人公というのはやはり斬新でした。 ガイさんの影響で僕も歴代のウルトラ戦士にさん付け+敬語が当たり前になったくらいです(笑)。

 『オーブ』の時代にアーケードゲームの「ウルトラマン・フュージョンファイト」も始まりました。コレクションアイテムがカードということで、小学生のお小遣いでも集めやすく、一部のカードはDXオーブリングにも対応していたので、それこそガイさんの気持ちになってカードを集めていたことを思い出します。1枚ゲットする度に、「お疲れさんです。タロウ兄さん」みたいな感じで…(笑)。

 それと、やはりDXオーブリングをお年玉で買った思い出が大きいです。ウルトラマンのDXの変身アイテムを買うのはオーブリングが初めてでしたから。

 オーブさんの斬新かつかっこいい形態や変身アイテムの購入、あと映画の舞台挨拶にも初めて参加したり、自分にとっての「初めて」が多かったのも『オーブ』がターニングポイントだった理由の一つです。

 

―なるほど、今も続く「ウルトラにのめり込む一つの形」を作ってくれたのがウルかずさんにとっての『オーブ』という作品だったというわけですね。映画の舞台挨拶など、キャストの皆さんを間近で見られるイベントなんかに行くと作品への愛着が一段階アップするというお話もとても共感しました。僕にとっては『ジード』がまさにそんな感じで、息子に初めてDXジードライザーを買ってあげて、親の僕まで嬉しくなっちゃって息子そっちのけで遊んだりとか…(笑)。

ウルかずさんのお話の中で、「中学生の時は休み時間などに人前で“変身”しまくっていたり」の箇所が個人的に凄く気になっています。変身というのは、「ご唱和ください!」のような変身シーンをまるごと再現されていたということでしょうか?

 そんな感じです。

 ウルトラマンに限らず仮面ライダーなど、さまざまなキャラクターの変身ポーズを再現していました。休み時間だけではなく、時には授業中に先生からのリクエストもあったり…(笑)。

 とっておきは、修学旅行2日目の夜に友達を誘って道具も何もなしでジードさんになりきってヒーローショーをしたことです。 敵3人対僕1人で戦って、最終的にはボロボロに負けるという…。

 

―変身ポーズの再現にとどまらず、修学旅行でヒーローショーとは…!まさに「青春の記憶はウルトラと共に」ですねえ(しみじみ)。ウルかずさんがこれからの人生においてご自身の10代を振り返られるときに、必ずよみがえる大切な思い出の一つにきっとなることと思います。同じ特撮ファンとしてとても羨ましいエピソードでした。

それでは最後に恒例の質問を…ウルかずさんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします!

 「常にそばにあるものであり、生きがい」ですね。

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 この写真は昨年度に行われた学校の写真展で「ユーモア賞」という賞を受賞した作品でして…。最近は玩具の写真、通称:オモ写にも力を入れておりまして、1年生でスパイダーマン、2年生でウルトラマンと2年連続でユーモア賞を受賞しました。

 

―長時間のインタビューお疲れ様でした。「ユーモア賞」というだけあって、写真の中のウルトラマンたちがみんな揃ってめちゃくちゃ楽しそうですね(笑)。ポーズの取らせ方がとてもお上手!今回はお話いただきありがとうございました!

話を伺って感じたこと

 特に小学校高学年~中学1、2年あたりまで、僕は自分が特撮好きであることをあまり大っぴらに言えない人生を歩んでいました。なので、休み時間に変身ポーズの再現…など到底出来るはずもなく、正直ウルかずさんの学生時代のエピソードが何か別世界のお話のように思えてしまいました。

 それもウルかずさんの場合は、好きなものを好きと堂々と言える環境が既にそこにあったわけではなく、それをご自身の手で掴み取ったというほうが適切で、とても素敵な生き方をされているなと思います。

 所属されていた放送部での映像制作にウルトラから得た学びを落とし込もうと模索するなど、クリエイターとしての視点も持つことで、幼少期から親しんできたコンテンツに対してまた別の楽しみ方を極々自然な形で獲得されている。僕も一人の特撮ファンとして若い頃にそんな経験が出来ていたら、今目に映る怪獣映画もウルトラシリーズも、もっと色々な角度から楽しめていたのかもしれません。

 2007年以降の「ウルトラ冬の時代」を経てから、ウルかずさんが「革命だった」と語るウルトラマンゼロ登場のお話も大変興味深く聞かせてもらいました。

 『ベリアル銀河帝国』の頃に僕はもう大人でしたが、テレビシリーズが再開されない中で、「映画館でしか見られないウルトラマンを、今の子供たちはちゃんと楽しんでくれるのだろうか…?」という漠然とした不安を覚えていたものですから…。あの頃のモヤモヤも、今回のインタビューのおかげで晴れた気がします。

 現在高校3年生でいらっしゃるウルかずさん。投稿者の方の「特撮と人生」を振り返ろうということでスタートしたこの企画ですが、何年か後の未来にこの記事がウルかずさんにとってのタイムカプセルのような役割を果たしていることを願いつつ、若人の実り多き人生を僕も陰ながら応援しております。

 

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