僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

【あなたとトクサツ。-第14回-】フルCG全盛時代に輝く「怪獣の中の人」の概念とは

 「あなたとトクサツ。」第14回のゲストは、昭和の怪獣映画と特撮作品に大変深い思い入れをお持ちの荒間大輔さん(@aramadaisuke)です。

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●「あなたとトクサツ。」とは?

「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。

人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。

 

 ブログのプロフィールでわざわざ「平成特撮世代」を名乗っている僕も、実は昭和の怪獣映画、結構見ているんです。

 今や伝説の作品として語り継がれている初代『ゴジラ』に始まり、それこそ子供の頃は『モスラ対ゴジラ』や『怪獣総進撃』といった作品をビデオで繰り返し見ては、ソフビを片手にお気に入りのシーンを再現していました。地中から姿を現したモスゴジがブルンと体を震わせて土を払うところなんか今見ても最高ですよねえ。砂場で何回リテイクしたことか…!

 『シン・ゴジラ』で初めてゴジラと出会った方には信じられない話かもしれませんが、昭和の、特に1960〜70年代のゴジラって凄く人間的な芝居が多くて、お茶目で可愛いマスコットキャラとしての側面がありました。なんたって、1965年の『怪獣大戦争』では赤塚不二夫漫画の定番ギャグ「シェー」まで披露しているくらいですから。

 僕はその「お茶目なゴジラ」が昔から大好きで、怪獣と戦うときのちょっとした仕草なんかを自分がゴジラになりきってよく真似していました。ウルトラマンのようなヒーローが出てこない、怪獣だけのごっこ遊びって凄く平和でいいんですよ。皆で「あんぎゃ〜」と吠えていればとりあえず成立してしまう(笑)。

 今回、荒間さんに伺ったのもそのようなお話。ただ、荒間さんが特にお好きだったのはガメラのほうで、なんと小学生の頃にご自身で制作したダンボールの着ぐるみでいわゆる「中の人」の動きまで完コピされていたという熱の入れよう。

 怪獣も今やフルCGでの描写が主流になった時代だからこそ、荒間さんの「『怪獣の中の人』への憧れ」と、決して昔を懐かしむだけではない怪獣映画の見方にはなるほどと思わされました。

 それでは、「あなたとトクサツ。」第14回です。

 

 

 

 

獣の「中の人」への憧れから

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第14回:荒間大輔さん

 

 自分のトクサツ人生もいろいろあるが、ここでは「中の人への憧れ」について書きたい。

 

 トクサツ人生の始まりは、小学生の頃にテレビで観た『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』から。さらにレンタルビデオで『キングコング対ゴジラ』を鑑賞。この2作品の虜になり、数多くの特撮怪獣作品の中でも特に思い入れが強い。

 

 ただ怪獣というキャラクターについては、ゴジラよりもガメラが好きだった。誰に見せるわけでもなく「ガメラのモノマネ」をしていたほどである。今思えば完全な自己満足だが、なぜそこまで至ったのか? そこにはトクサツと関係ない、ある一冊の図鑑が大きく関係している。

 

 『ガメラ対ギャオス』鑑賞からしばらく後、学校の図書室で一冊の図鑑を手に取った。『学研の図鑑 大むかしの動物』である。

 

 理由は覚えてないが、おそらく怪獣への興味から「恐竜」の存在を知り、その興味からだろうと思う。と、読み始めて数ページ目に驚きの図があった。

 

 ガメラの甲羅が上下にパカッと割れて、そこから人間が頭を出してる写真が。さらに、幾多の大人たちが怪獣と建物の前で作業してる写真が、数点掲載されていた。今でいう特撮メイキングのスチールである。そこに自分は驚いた。「あの映画、こうやって作っていたのか!」と。

 

 カメラの前に模型でセットを作り、そこで怪獣の着ぐるみに入った人が演技をする……それを撮影すると、あんな面白いのが出来上がるんだ! 映画って面白いなぁ、と思わずにはいられなかった。

 

 つまり自分は小学生の頃から特撮作品だけでなく「トクサツの作り方」そして「怪獣の中の人」にも興味を持っていた。今でも特撮作品を観ているとしばしば「このメイキング映像を観たらさぞ楽しかろうな」と考えてしまう。そういえば『シン・ゴジラ』はそれらの要素もぬかりなくソフト化&書籍化していた。まるで自分の気持ちを見透かしたかのようである。

 

 そして自分が「ガメラのモノマネ」をする際も、ただギャオーと唸って終わりではなく、よりガメラ感を出す工夫をした。自分でガメラを作ったのである。平たい段ボール板に四つの穴をくり抜き「ガメラの甲羅の前面部だけ」を再現したのだ。そこから手足を出して、映画での一挙一動、鳴き声のタイミングまで完コピしていたのである。

 

 今思えば段ボール箱をそのまま使えばよかったのだが、それでも自分はあの時ガメラになりきっていた。実際、当時に思い浮かべていた「将来の夢」は「怪獣の中に入る人」だったと記憶している。いつかは怪獣を演じるんだ、怪獣になるんだ、と本気で思っていた。

 

 ……とはいえ当時の自分は身体測定でローレル指数がいつでも「やせぎみ」というヒョロ具合であり、おまけに運動もそんなに好きとはいえない人間だった。クラスメイトと校庭で遊んだり、野球等のスポーツ観戦をする分には楽しかったが、自身が本格的な「スポーツ」をするとなった時はどうにも苦手なのだ。中の人への憧れこそあれど、そんな苦手意識を克服するまでには至らず、体力を付けるようなこともしなかったため、夢は夢のままで終わった。

 

 それゆえか、怪獣映画に関するメイキングで「怪獣を演じた人の苦労話」を聴くと、さぞ大変だろうと思えると同時に、尊敬の念を抱いてしまうのである。なので『ゴジラKOM』のエンドロールや米アカデミー賞の「今年の物故者」として中島春雄氏が出てきた時は

「やはり怪獣を演じる人は素晴らしい。極めに極めた結果がこれなんだ。凄いなぁ……」

と、思えてならなかった。

 

 さて自分はと言うと、今まで経験してきた職場は割と力仕事が多いモノづくりの現場である。子供時代のヒョロい自分には想像も付かないだろう。

 

 そして実は、過去に自衛隊にも2年だけ所属していた。

 

 しかも時期は2002~04年。そう、ゴジラシリーズでは三式機龍そして特生自衛隊なる組織が登場した時期と偶然にも被ったのだ。『×メカゴジラ』の釈由美子演ずる主人公も格好良かったが、自分には続編『東京SOS』で金子昇の整備士という役職が刺さりまくりだった。どう刺さったかは余り詳しく書けないが……そこは映画本編から察していただきたい。

 

 怪獣の中の人にはなれなかったものの、まさか怪獣を迎え撃つ側の仕事に就くとは。子供だった頃の自分に「お前が将来就く仕事、こんなだぞ」と伝えても、多分信じてはもらえないだろう。

 

 「怪獣の中の人」、そして怪獣映画を作る側の人間にはなれなかったが、作品やキャラクター、それらを産み出す方々への応援はずっとし続けていたい。「トクサツ」のファンとして一生見守り続けていたい、と想っている。

 

 ……これ以外にも「トクサツ」で語りたいことはあるが、それはいずれまた。

わらない「ブレない部分」

―荒間さん初めまして。この度は当ブログの企画へのご参加ありがとうございます。荒間さんが少年の頃に出会ったある一冊の図鑑と、そこから生まれた「『中の人』への憧れ」。特撮との出会いを通じて彩られていく人生について、とても興味深く読ませていただきました。僕も子供の頃はどちらかと言うとヒーローよりも怪獣が好きな子供だったので、「中の人」への興味関心についても大変共感しました。今回は更に突っ込んだお話を伺えればと思っております。よろしくお願いします。

『学研の図鑑 大むかしの動物』に載っていた特撮メイキングのスチールから、ガメラにのめり込まれたという荒間さん。そのスチールをご覧になるまでの怪獣に対する認識(怪獣は実在すると信じていた、もしくは着ぐるみであることは何となく勘づいていた等)について教えてください。

 よろしくお願いします。

 実を言いますと、確かに子供の頃は怪獣好きな少年でしたが、そうなる前までは鉄道少年でした。

 乗るのも見るのも好きでして、持っていた本も鉄道図鑑や大百科。落書き帳に書く絵も鉄道でしたし、将来の夢は「ブルートレイン(寝台列車)の車掌」と、本当に鉄道好きな子供だったのですね。小学校低学年くらいまではそうだったと記憶してます。

 ではその頃に特撮への興味はあったかというと……おそらく無かったかと。当時の自分は「怖い」と思えるものがとにかく苦手で、遊園地もジェットコースターやお化け屋敷なんかは全然ダメで、肝試しなんかもアウト。創作物もそうで、どういう話であろうと、ピンチとかスリリングな展開といった「何が起こるか分からない『恐怖感』」に耐えられなかったんでしょうね。

 それでも一応かすかに戦隊モノを観てた記憶はあって、後に主題歌や爆発の派手さから『ダイナマン』だと分かりました。それだけは懐かしいと思えますが、親の話だとヒーローショーを観ててもずっと泣きじゃくってたみたいです。これが「トクサツ」にハマる前の自分です。

 なので、35年くらい前の自分にとっては怪獣も「怖いもの」でして、まるで興味が沸かなかったという……当時はちょうど84ゴジラの頃でしたが、まだ小学生に上がる前でしたから、もし観に行っていたら泣きっぱなしだったでしょうね。漁船の中であんなミイラが出てきたらトラウマものかと。

 

―なるほど…すると、最初に仰っていた図鑑に載っていたガメラのメイキングのスチールがまさに荒間さんにとっての「特撮への入り口」だったんですね。小学生になったばかりの少しずつ物事が分かってくる時期だからこそ、制作現場の写真から「映画の作り方」へ興味が広がり、「中の人」への憧れが生まれた、と。

ちなみに『シン・ゴジラ』では従来の着ぐるみによる表現ではなく、全編に渡ってゴジラはフルCGで描かれました。この点について何か思うことはありましたか?

シン・ゴジラ

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 「とうとう日本もそんなトコまで来たか」と。これはシンゴジ以前にハリウッドのギャレゴジがフルCGで作られたのも大きいですね。

 CGといえば20世紀の末に『ジュラシック・パーク』やエメゴジが大々的に「CGによる最新映像技術が!」と言われてましたが、実は全編だと使用してる場面は10分も無くて、後は実物大のアニマトロニクスや着ぐるみという、従来のアナログな撮影方法の場面が多かったという方に驚きましたね。思いのほかハイブリッドな映画だった。

 その『ジュラシック~』のCGによる恐竜達も、元となる動きはモデルアニメーターの方が作っていた。で、シンゴジやギャレゴジ以後のゴジラや怪獣達も、人が動いてモーションキャプチャーで作ってましたよね。てことは「着ぐるみ」という手法は無くなっても「中の人がいる」点では共通している。つまりガワが変わって「中の人」という概念は一応残ってた。でないと、シンゴジで中の人が野村萬斎さんだったという大サプライズが成功しませんよね。どエラい人にやらせてたんかい!っていう。

 その分、着ぐるみから中の人がプハーッって出てきて「あー、暑い!」なんてことも減ってくるのかなぁ、とは思いますね。ハリウッドでも中の人は当然いたけど『ウルトラマンパワード』の時点で着ぐるみに水冷式のシステムを仕込んでたと聴いて「やっぱり向こうは作り方が全然違うな……」となりましたね。

 

―僕は『シン・ゴジラ』でゴジラがフルCGオンリーで描かれたことに感動を覚えつつも、やはり着ぐるみ特撮への愛着があるだけにCGで全て成立してしまったことが少しショッキングだったんですね。ただ、仰るように野村萬斎さんのモーションキャプチャーでの起用は概念としての「中の人」の文化を残したとも言えますね。さすがの視点です。

さて、荒間さんがダンボールを使って再現されたというガメラの着ぐるみ。実際に怪獣をご自身で演じてみたときにイメージと現実のギャップなどはありましたでしょうか?特撮の現場で働く方々のドキュメントを見ても、スーツアクターというのは体力はもちろん、演技力、経験とかなり多くのスキルを要求されるお仕事のように感じたのですが。

 自分の場合「演じる」といっても、つまりは「怪獣のモノマネ」ですから動作自体はおそらく完コピ出来ていたでしょう。

 しかし今思うと、そこをモノマネで終わらせなかったのがポイントですね。人が入って演じているなら、本来は着ぐるみなりの動きの制約があるはずだろう、と小学生なりに想像した結果が「段ボールガメラ」だったのだと思います。

大怪獣ガメラ

 実際にやってみると、手足を前方だけにしか伸ばせないので可能な動作が限られるんです。ファイティングポーズは取れてもバンザイとかが難しくて、ひじの先だけ上げるしかない。でもそういう動きをすると映画で観てた昭和のガメラっぽくなるんですよ、気分的には。「よりガメラに近づいてる!」と信じて疑わなかった。ある意味純粋というか、なりきっていたと。

 とはいえ、着ぐるみそのものの「重さ」は全く考慮してなかったですね。怪獣図鑑とか映画のムック本にある「初代ゴジラの着ぐるみは100キロもあった」みたいな情報を知る前ですから、どれだけハードなのかも想像が付かなかった。ましてや視界だって、喉元の小さな穴数点だけしか無い。しかもその状態でセットの中だけじゃなく、プールに入ったり吊られたりする……とてつもなくハードですよね。

 なので特撮のメイキングを次第に知るようになると「怪獣の着ぐるみ=物凄い肉体労働」というイメージになってきて、想像を遥かに超えるモノになってきた。

でもそれを実際にやっている人、演じている人がいるのだから、仕事の一つとしてちゃんと存在してる。その辺から「大変だけど憧れる仕事」という風に自分の中の認識が変遷していったのでしょうね。

 

―『ゴジラKOM』で、初代ゴジラのスーツアクターを担当された中島春雄さんのお写真がエンドロールに登場したときは、僕も日本の怪獣ファンとして誇らしい気持ちになったことを覚えています。ご自身で、まさにそのスーツアクターの過酷さを実感された荒間さんだからこそ、中島さんも含めた歴代の「怪獣の作り手たち」への尊敬の念はより深いものになっていることと思います。確かに、昭和のガメラは今見ると良くも悪くも「着ぐるみっぽさ」を凄く感じますね。そこがまた愛らしくて(笑)。

荒間さんが自衛隊に2年入隊されていたとは驚きました。自衛隊の訓練も、怪獣のスーツアクターに負けず劣らず相当過酷だと思うのですが、「怪獣の中の人」という夢を諦めざるを得なかった中で、そこを乗り越えられたエネルギー源みたいなものはやはり特撮にあったのでしょうか?

 自衛隊に入るきっかけは父親の勧めです。

 自分は大学を中退してフリーターだったので、親としてはおそらく定職について欲しかったのでしょうし、自分としても「何かを変えたい」という考えもあって。何を変えたかったのかは分かりませんが、このままじゃダメだと思うところもありました。

 ただ「自衛隊なんて怪獣映画で仕入れた知識でしかないけど出来るかな?」という感じでして、面接の時にそれを素直に言ったら流石に相手も笑ってましたね。

 でも自分にとってはそこしか接点が無かった。おまけにnoteにも書いたとおりもともとがヒョロい人間だったので、訓練期間中は肉体的にも精神的にも苦労しましたね。ろくに腕立て伏せや腹筋、懸垂も出来ない人間がいきなり肉体労働の場に飛び込んだから、当然です。

 なので苦労話を挙げると本当にキリがないですけど、怪獣や特撮が役に立った例もありまして。

 屋内で訓練中にちょっとしたブレイクが入って、その時いきなり上官から「一発芸やれ!」って振られたんです。ちょうどその時自分は床に突っ伏した状態。咄嗟に出てきた言葉が「やります!モスラの幼虫!」で、あのモソモソした動作をやったら全員大爆笑。「そんなにウケるの?!」ってこっちが驚きました。

 おかげで「アイツは怪獣好き」という認識が周囲に広まり、いろいろとやりやすくなったのは事実です。これが素の自分だ、という感じで。

 なので「何かを変えたい」と思って自衛隊に入りましたが、怪獣以外にもいろいろ思うところがあって、逆に昔から全く変わらない、ブレない部分があるとその2年間で悟った感があります。これが俺なんだ、と。

 たった2年ではありますが、ブレない部分があるならそれで突っ走ればいいんだ、と気付けたのは非常に大きかったかもしれません。

 

―周囲から「アイツは怪獣好き」として認められることで居場所ができた、というわけですね。上官から突然一発芸を命ぜられる…ただただ厳しいイメージしかない自衛隊にもそういうことがあるのかと驚きましたが、今も続く荒間さんの中にある「ブレない部分」を発見できたという意味で、自衛隊と特撮がここで繋がるのかとお話を聞かせてもらっている僕まで嬉しくなってしまいました。

そのような体験を経た上で、今も続く怪獣映画を「『トクサツ』のファンとして一生見守り続けていたい」と語る荒間さん。「中の人」も含めて、現在制作に携わっているスタッフの方たちへの要望や「こうあってほしい」といったメッセージ等はありますか?

 前にも触れましたが、今の『トクサツ』はいわゆる「VFX」と呼ばれるハイブリッドな作り方に変わってます。

 自分は昔ながらの特撮技法で作られた映画に魅了されたくちですが、同時にその進化をリアルタイムで見てきた世代でもあるんです。昨今のメイキング映像を見ていると、実写とCGなんてもう区別が付かなくなっています。あらゆる映像素材を合わせて違和感の無い「画」を作るのが当たり前になった。30年前の自分が知ったらさぞ驚くでしょう。

 ただ、どんなにVFXが進化しても、その映像素材として「カメラの前で何かをする」点は変わらないはずです。だからハイブリッドな映像技術が進めば進むほど、撮影現場の人は「より自然な映像」を作るための戦いをしているのだろうな、と思いますね。その分、着ぐるみの出番が減ることに一抹の寂しさはありますが、様々な表現方法がある以上、「中の人」も一つの方法として今後も残って欲しいと思いますね。

 むしろこれだけの技術がある中で、伝統的な方法で作ってくれたら何だか嬉しくなります。

 怪獣映画に限らず、色々なモンスターでも何でもそうです。そんな作品を観た後に「あれは人が入ってました」とメイキングでネタバラシしをされて「え、そうだったの?!」と驚きたい。そのうえで思うのでしょうね。「ああ、やっぱり自分は『特撮』が好きなんだ」と。

 

―映像制作における選択肢が格段に増えた現代にあえて伝統的な手法が取り入れられると、技術の進歩を見てきた方たちにとってはそれ自体に一つのストーリー性が生まれてますます思い入れが深くなりますよね。そして、特撮には「驚き」が欲しいという荒間さんのご意見には僕も100%共感します。息子を見ていても、やっぱりハマるきっかけは凄い映像を見て「おーっ!」と驚くあの瞬間なんですよね。

それでは最後に、恒例の質問にお答えいただきこのインタビューの締めといたします。荒間さんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします!

 「永遠に追い続けたいもの」ですね!

 

―長時間のインタビューお疲れ様でした。荒間さんのおかげで、僕も近年の怪獣映画に対する見方が変わりました。ありがとうございました!

話を伺って感じたこと

 半ば勢いでスタートした「あなたとトクサツ。」も、おかげさまで第14回です。「トクサツ」に関する色々なお話を伺い、この2ヶ月半の間で自分の作品の見方にも広がりが生まれています。改めて、参加してくださった皆さまに感謝申し上げます。

 14回ともなると、取り上げられる作品にもある程度の傾向というものが出てきていまして。仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズといった、2000年以降の特撮ブームの火付け役となった作品はやはり耳にする機会が多いですね。ウルトラマンも含めて、特に現在20代〜30代前半の方たちにとって「特撮」と「ヒーロー」はニアリーイコールなのかなという気がしています。

 なので今回、久しぶりに変身ヒーローが出てこない特撮作品…ゴジラやガメラといった古き良き怪獣映画にスポットライトが当たったことが個人的には嬉しくて。

 特に2000年代前半、「ニチアサ」が凄まじい勢いで市民権を得ていくのに対して、怪獣映画は絶滅寸前といった状況でしたから。繰り返しになってしまいますが、2016年の『シン・ゴジラ』のヒットはあの時代を知っている人間からすると本当に奇跡の中の奇跡、にわかに信じられない出来事だったんです。

 荒間さんはお話の中で「怪獣の中の人」への憧れを熱く語っておられました。僕も子供の頃に超全集か何かで、パカッと開いたゴジラの背中から人がニョキッと出てきている写真を見た記憶があるのですが、それを一つの職業として捉える目をまだ持っていなかったのでしょう。単純に「へぇ〜、こうやって撮ってるんだ凄い」で終わっていました。

 小学生の頃の荒間さんが怪獣に夢を抱き、「中の人」に近づこうとしたあの経験があったからこそ、今も続く特撮への深い愛情と、映像を見る上での独自の視点が養われた。僕も同じ怪獣映画ファンとして、今回のお話で新たな視点を獲得できたことはとても有意義だったと感じています。改めて、ありがとうございました。

 

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