はてなブロガー憧れの地・週刊はてなブログのトップページが、この春からより硬派で落ち着いたデザインにリニューアルされていました。
今でこそ、このブログも読者数が250人を超え、沢山の方々に読んでいただけるようになりましたが、開設してしばらくは1日のPV数なんて本当に片手で数えられるくらいしか無くて。
週刊はてなブログはもちろん、有名ブロガーさんたちの旬の記事が続々と掲載されるはてなブログのトップページなんていうのは、あの頃の僕にとってまさに遠い遠い「憧れ」でした。
その「憧れ」が、僕にとってもう少し身近な「目標」に変わっていったきっかけがありまして…。
それが、言わずと知れた超有名ブロガー・結騎了さん(id:slinky_dog_s11)の「ジゴワットレポート」の「私が愛読しているブログを紹介します」という記事で、光栄にも僕のブログを紹介していただけたことでした。
自分がブログを始めるきっかけになった「ジゴワットレポート」で、しかも「愛読」だなんていう、光栄という2文字ではとても言い表しきれない嬉しい表現とセットで「僕が僕であること(仮)」のことが書いてある…パソコンの前で一瞬、自分の目を疑ってしまったことを今でも思い出します。
ブログのPV数、読者数がこのことをきっかけに飛躍的に伸びたのは言うまでもありません。また、念願だったはてなブログのトップページに自分の記事が掲載されたり、1日のPV数が1万を突破したり…と、ブログを始めた時には想像すらしていなかった景色を見ることが出来たのも、他でもない結騎さんのおかげと言っても決して過言ではないのです。
この企画を立ち上げる際にもご相談に乗っていただき、結騎さんにはこの場を借りて感謝申し上げます。
と共に、今回送っていただいた文章も何か「ジゴワットレポート」でいつも拝読している極めて解像度の高い言語化のルーツまで覗き見しているような、なるほどと膝を打つ内容で大変興味深く読ませていただきました。
それでは、「あなたとトクサツ。」第11回。ゲストは結騎了さんです。
●「あなたとトクサツ。」とは?
「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。
人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。
『ウルトラマンパワード』から得た「作品の観方」
第11回:結騎了さん
記憶が朧気なのですが、正確に覚えているもののひとつとして、『ウルトラマンパワード』のVHSがあります。それも本編ではなくウルトラビッグファイトという総集編シリーズ。これが私の、特撮原体験のコアにあたる記憶です。
なにが衝撃だったかというと、『ウルトラマンパワード』には『ウルトラマン』と同じ怪獣が出てくるという点。バルタン星人はもちろん、テレスドン、ダダ、アボラスにバニラ、ゴモラ、レッドキング……。どれもこれも有名怪獣ですが、当時の私には衝撃でした。名前も大まかな特徴も同じなのに、決定的に別個体の怪獣として設定されている事実が、ショッキングだったのです。
当時はまだリブートなんて言葉はありませんでした。年齢的に、リメイクという概念も知りません。今でこそ「ウルトラマンが海外で制作されたから~」なんていう大人の事情をもっともらしく語ることができますが、少年ボクはそんなこと知る由もありません。それも、日本のレッドキングは赤くないのに、アメリカのレッドキングは赤い。日本のジャミラは不気味で渇いた姿なのに、アメリカのジャミラはメカメカしい。バルタン星人も虫の関節のように細くなっている。こういった、同じ怪獣における“解釈”の違い。それを加えることがOKなんだと。そういったウルトラマンシリーズの懐の深さといいますか、ひいては、怪獣というコンテンツの地盤の強さ、汎用性の高さを、私は『ウルトラマンパワード』で学びました。
それからオタクとして成長してしまうのですが、心にはずっと『ウルトラマンパワード』がありました。(当時どうしても本編を観たくてVHS屋をハシゴしたり……。後年、念願のBlu-rayが発売された際は本当に嬉しかったですね。)
作品として好きなのは当然ですが、『ウルトラマンパワード』は私にとって、「リブートにおけるひとつの型」でした。ウルトラマンという物語、あるいは怪獣というキャラクター設定の、どこまでを守ってどこからを変えるのか。
出来上がった作品を観ると、「制作陣がウルトラマンという作品のどこを守りつつどこを変えようとしたのか」が、透けて見えてきます。パワードはアメリカの表現規制の影響で大々的には格闘できません。しかし、本家ウルトラマンは怪獣の首根っこを掴んでガンガン攻撃を加えます。このように色々と違うのに、どうして『パワード』はちゃんとウルトラマンに見えるのか。銀色の巨人だから? 怪獣の生態が物語を回しているから? そういったことをこの人生で幾度となく反芻してきました。
特撮に限らず、あらゆる物語、それもリメイクやリブートといった類を観る際には、自分の中で『パワード』がひとつの基準になっていると思われます。
ブログを10年以上も続けていて、近年ではライターとして活動する機会にも恵まれていて……。自分の人生と「書く」ことは切り離せなくなりました。そして、その行為の根底には、「作品の観方」が常にあります。「観方」ひとつで、作品は濃くも薄くも強くも弱くもなると感じています。ただ右から左に鑑賞していくのではなく、この作品は誰がどういう意図で作ったのか、なぜこうなっているのか、注力されているポイントはどこか、逆にあまり手が回らなかったであろう部分はどこか、などなど、頭の中で念仏のようにブツブツ唱えながら観る人間になってしまいました。
それもこれも、もしかしたら『ウルトラマンパワード』が原因だったかもしれません。私にとってこの作品は、「物語の舞台裏に興味を持たせてくれた」、最初の出会いだったのではないかと。
パワードバルタンの衝撃
―「満を持して…」と言うと非常に厚かましい言い方になってしまうのですが、今回は特撮界隈における超有名ブロガーの結騎了さんにお話を伺っていこうと思います。企画へのご参加、ありがとうございます。
Twitterやブログの印象などからも、結騎さんと言えば仮面ライダーやスーパー戦隊…いわゆる「ニチアサ」の熱心なファンでいらっしゃる印象がとても強いです。その中で、特撮の原体験として円谷プロの『ウルトラマンパワード』の名前を挙げられたことは少し意外でした。まずは結騎さんと『ウルトラマンパワード』、ひいては「特撮との出会い」についてお聞かせください。
よろしくお願いします!
「特撮との出会い」でいくと、叔父の名がまず挙がります。
母の兄にあたりますが、彼がいわゆる特撮オタクで、ウルトラマンから仮面ライダーから今でも好きで観ている人です。その影響もあってか、母も特撮に全く抵抗がない、「詳しくないとはいえTVで流れていれば観る」くらいの感覚を持っていました。そういった流れで、「母が子供に買い与えるVHS」としてウルトラマンと出会ったのが原体験かもしれません。
そのVHSのラインナップが、「あなたとトクサツ。」でもすでに何度も名前が挙がっている『ウルトラビッグファイト』シリーズ、そして、同シリーズの『ウルトラマンパワード』編でした。
(結騎さんが当時の現物のVHSをお持ちだというのにも驚きました。この背表紙を見ると僕も「あの頃」に戻れてしまう…)
これらのVHSをきっかけに、特撮ジャンルに興味を持ちました。ウルトラマンも仮面ライダーもちょうどTV新作が無い時代だったので、VHSばかり観ていました。戦隊は『ジェットマン』や『カクレンジャー』あたりが印象深いです。(およそ年齢が特定できそうな話ですね……)
通常なら(通常なら?)このあと緩やかに卒業していくと思うのですが、母が特撮文化に寛容だったことや、弟がいたこともあり、「我が家の特撮」は途切れることなく維持され、私も特に疑念を抱くこともなく、ずっと継続して観続けていました。
……といった大筋から、1996年の『ウルトラマンティガ』、そして2000年の『仮面ライダークウガ』に完全ノックアウトされ、いわゆる「オタク」ルートにずるずると、といった感じです。
―ご親族にいわゆる「特撮オタク」がいると、前例があるだけに周囲の目も自然と温かくなりますよね。特撮文化に寛容だったお母様と、第1回の木本仮名太さんも弟さんの存在が特撮と自分を繋いでくれていたと仰っていましたから、結騎さんもその頃から特撮にのめり込む環境が整っていたのですね。
僕も結騎さんとは同世代ですので、戦隊シリーズの記憶や『ウルトラビッグファイト』シリーズ等のVHSを何度も見ていたこともほぼ一致しています(さすがにVHSは現存していませんが…)。ウルトラやライダーのテレビ新作が無かった時代だからこそ、『パワード』は颯爽と現れた「僕たちのウルトラマン」だったんですよね。
では、その『パワード』に関して…。アメリカでリメイクされたウルトラ怪獣たちの“解釈”に、結騎さんが幼少期の頃から既に衝撃を受けておられたことが僕にとってはかなり衝撃的なのですが(笑)、パワード怪獣の中で特に思い入れの深い一体を教えてください。
そうですね……。パワード怪獣はどれも印象深いのですが、ショックが大きかったのは、パワードバルタンです。
初代バルタン星人のデザインって、やはり完成されているじゃないですか。それは幼心にも感じていて。キュートさがそっくりそのまま不気味に映るのがすごいといいますか。だから、2代目も3代目も、『帰ってきた』のJr.も『80』の5代目も、基本的には初代の完成されたデザインを踏襲しているんですよね。(5代目の豚鼻は今でも衝撃ですが)
しかしパワードバルタンは、なんかもう、骨格から、佇まいから、違う訳ですよ。「誰!?」というか、もはや「なに!?」って感じで。初見はかなりキモいと感じた記憶があります。あまりに細すぎて頼りないし、胴体だけがぼてっと膨らんでいるのもかっこよくない感じがして……。こんなのバルタン星人じゃない、みたいな。
でも、よくよく見ていくと、「虫」なんですよね。全体の細身のシルエットは「二足歩行である」という着ぐるみ上の制約から逆算されたもので、「人が入っている感」を軽減する(=二足歩行を生かしたまま全体のシルエットを虫に近づける)アプローチなんだと。胴体がぼてっとしているのも昆虫のそれで、そこから肢が生えている。よく見ると胸筋のようなラインで肢がデザインされている。そうやって、昆虫図鑑を眺めながらVHSを停止して観たりすると、完璧にも思えたバルタン星人のデザインにもここまで大胆な解釈が許されるんだと、そう感じられたのです。それが、ものすごくショックで。うわ!こういうのアリなんだ!、と。
生物的なアプローチに気付いてからは、一転して、パワードバルタンがかっこよく見えてきて困りましたね。鋭利なシルエットはナイフのようですし、メタリックな肌も男の子心をくすぐります。
これが、結構衝撃的な思い出です。もちろん、ここまで体系的に飲み込んだ訳じゃなく、かなり緩やかにぼんやりと、でしたが。
―パワードバルタン、僕も子供の頃に初めて見たときの「何これ…?」という戸惑いをよく覚えています。デザイン的にもある種「完成形」とも言える原点のバルタン星人に、「虫」であるというアプローチを加えて「着ぐるみ感」を削っていく。日本のウルトラ怪獣には無かったリメイクの仕方は確かに今見てもインパクトがありますね。
幼き日の結騎さんが、昆虫図鑑を片手にビデオを一時停止しながら怪獣のデザインを観察されていたというお話は、Twitterやブログで今も披露されている作品への鋭い考察に通ずるものを感じます。「リブートにおけるひとつの型」と仰る『ウルトラマンパワード』。大人になった今『パワード』をご覧になって、「『パワード』がちゃんとウルトラマンに見える」理由は何だと思われますか?
「パワードがウルトラマンたり得る点」としては、至極単純なポイントとして、まず銀色の巨人が登場すること。当たり前も当たり前なのですが、あのデザインの銀色の巨体が出てくるだけで、他がどう転んでもしっかり「ウルトラマン」として成立するのが、アイコンとして非常に強いなあ、と。
これは『ウルトラマンG』や『ウルトラマンUSA』も同様ですね。外国人が演じていても、あるいは二次元でも、あのデザインの巨人が出てくれば一発で「ウルトラマン」になる。同じジャンルの長寿シリーズでいえば例えば仮面ライダーがありますが、何も知らない人に仮面ライダーリバイスを見せたとして、それが仮面ライダーだとどれだけの人が当てることができるのか。反面、トリガーやデッカーは、それを知らない人でも確実にウルトラマンだと答えるでしょう。ウルトラマンの強みって、シンプルにあのデザイン、そしてアイコン性の強さにあると感じています。
その視点に気付いたのが、自分にとってはまず『パワード』だったと思います。
加えて、『パワード』ってしっかり怪獣がお話の真ん中にあって。「怪獣が何かを起こす」「それに防衛隊が対応する」「最後は怪獣とウルトラマンが戦う」という基本中の基本フォーマットが、しっかり守られている。お話の中心にいるのはウルトラマンや防衛隊ですが、お話を転がしているのは怪獣である。これがウルトラマンの作劇としては非常に大事な部分だと感じています。その怪獣の生態や能力、それによって引き起こされた事件や人間ドラマが主軸にあると、やはりウルトラマンという感じがしますね。
なので、青い目の外国人が見知らぬ街並みで演じていても、それでも、銀色の巨人が登場し、怪獣が物語を回していれば、それは立派にウルトラマンなんだと。むしろ、そこをベタに守って外していないからこそ、そう見えるんだと。それを感覚的に理解できたのが、当時の自分だったと記憶しています。
むしろ、『パワード』というリブート作を通して相対化することで、ウルトラマンというシリーズの特性や基本に気付けた、という感じがあって、それが自分の「作品の観方」の根付きとして大きかったのかも、とすら感じています。
―平成以降のライダーシリーズのデザイン的なバリエーションの豊かさを見るにつけ、僕はずっと、初代ウルトラマンのあまりにもシンプルかつ完成度の高いデザインがその後のシリーズにとってはある意味足枷になってしまっているとも感じていました。しかし、今お話いただいたような「ウルトラマンがウルトラマンたる所以」はそのデザインにあり、誰しもが一目で認識できるアイコン性こそが「強み」であるという結騎さんの視点にはまさに目から鱗です…!
平成以降のライダーのぶっとんだデザインバリエーションに比べると、ウルトラマンの保守的なデザイン(あえてこう表現します)は確かに足枷の側面もあるのかもしれません。
デッカーの胸にあの図柄が載ってるだけで「ウワッ!攻めたな〜!」となるの、平成ライダー的にはもう何周も前のような話で......。でも、だからこそ、ウルトラマンのアイコニックな強みはライダーより強靭だし、そこを活かしたコンテンツ作りをされていると感じています。
―ウルトラマンの作劇のお話に関しても非常に共感しました。僕も確かに、子供の頃はウルトラマンのヒーロー性みたいなものに惹かれていたというよりは、「怪獣が出てくることで動く世界」のほうに興味を持っていた気がします。
さて、結騎さんがブロガーのみならずライターとしての活動もされる中で、「作品の観方」という観点から苦労されたこと等がありましたらお聞かせください。
「作品の観方」で苦労とした点といいますか、それを文章として出力するか否かに関係なく、常にライティングする脳みそで作品を観る自分になってしまったことですね(笑) 。
ブログに書いているのはほんの一握りで、同じような組み立てで頭の中に出来上がっているものが、ほぼ作品の数だけあって......。たまたま、タイミングやモチベーションに恵まれたものが記事にアウトプットできている、という実情があります。
なので、常に全てブログ記事にする前提のようなスタンスで作品にあたってしまう癖があって、端的に、疲れます。完全に自分で自分の首を絞める変な癖をつけてしまいました。極力、関連作品などを予習して鑑賞に臨みたいですし、観ている最中は常に「シーンへの感想」「展開への予想」等が頭の中をぐるぐるしていて、終わった後は脳内で感想大会、その後ネットで他者の感想を摂取して引き続き脳内ディベート、的な......。
漫画もアニメもドラマも映画も、ほぼ全ての作品で常にこんな感じにならざるを得なくなってしまって、馬鹿みたいな話なんですけど、すごく時間や気力のコストがかかる感じになってしまいました。
―では逆に、成功体験のような例はありますでしょうか?
成功体験ということではないのですが、良かったと感じているのは、やはり色んな「視点」を疑似体験できることです。
「作品の観方」を元にブログなどで記事を書くのは、つまるところ、作品を観るモードの脳の設計図を公開する、みたいな感じで。自分はこれこれこういった構造の回路で作品を摂取していますよ、と、全てを曝け出す感覚なんですよね。「作品の話」をしているのではなく、どこまでいっても、「作品を観た私(の感じたこと)」なので。自分のブログ記事って、ぶっちゃけ、脳みそ丸出し大会なんですよ。脳みそ露出狂ですよ、こんなの。
そうすると、ブログの記事にTwitterなりで感想をいただける訳ですが、それが仮にどんな方向の感想であっても、例外なく「私の脳みそを覗いた人のコメント」なんですよね。これって、めちゃくちゃ凄いことというか。
そりゃあ刺さりますよ、自分に。世界のどんなコメントよりも、自分向けに出力された文字列なんですよ。贅沢〜〜。結騎了という人物の脳みそを覗いて、その上で意見を出してくださるのですから。
ちょっと意地の悪い表現を使ってしまうと、ブログ記事なりにいただける感想やコメントって、「私の脳の設計図に沿って出力されたその人の思い」、でありまして。そんな、そ〜〜んな贅沢なことありますか、と。超・パーソナライズ!!
......という前提で様々な視点の感想をいただけるので、どれもめちゃくちゃ面白い。短い一言でも、読み応えがあります。すごくありがたいです。自分と近い視点もあれば、もちろん真逆もあって。それもこれも漏れなく私の設計図に沿った感想ですから、クリティカルに学びが多い。幸せですね。
どこまでいっても自分の感想を自分のために出力している訳ですが、「成功体験」というご質問であれば、このような「世界最高峰にパーソナライズされたコメントを読める」ことが、「作品の観方」によって得られた大きなことかもしれません。ブログをいつも読んでくださる方々には、感謝感謝です。
―いつも拝読している「ジゴワットレポート」の裏側のお話まで伺うことができ、一ファンとしてこのインタビューを行えたことの喜びを実感しています。それでは最後に、恒例の質問にお答えいただきこのインタビューの締めといたします。結騎さんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします!
「特撮とは?」。うううーーーん、非常に難しい質問ですね。(腕まくり)
そうですね。「素晴らしい嘘の世界」、とでも言いましょうか。
バルタン星人など、防衛隊など、ウルトラマンなど、この世には存在しない。仮面ライダーもスーパー戦隊も実在しない。特撮は、とことん嘘を描くジャンル、「とにかくフィクションの成分が多い」ものだと思っています。ストーリーだけでなく、設定も、その世界の常識も、物理法則も、絵も、組織も、まぁ〜 嘘だらけ。でも、その嘘をどこまで本当に見せるか、そこが楽しいと思っています。
逆に、嘘だらけだからこそ、全部を嘘にしてしまえる。そう言い張ってしまえばどんなことも、良い意味でも悪い意味でもアリになってしまう。だからこそ、どこまでを嘘で、どこからを本当にするか。あるいは、真剣に覚悟を持って嘘を貫き通すのか。そういった作品個々のスタンスこそが、特撮作品の面白さだと感じています。「嘘のつき方の違い」、といいますか。
『パワード』の「嘘」のおかげで、『ウルトラマン』の「嘘のつき方」の解像度が上がったあの体験を、これからもずっと大切にしていきたいと思います...!
―長時間のインタビューお疲れ様でした。これからも結騎さんならではの特撮への鋭い考察を楽しみにしております。ありがとうございました!
お話を伺って感じたこと
自分の思いを言葉にする…そしてその言葉に多くの共感や意見が集まることで得られる「視点」の疑似体験―。
結騎さんの「ジゴワットレポート」は、分かりやすく読みやすい適切な言語化もさることながら、そういったインプットとアウトプットの間で生まれるダイナミズムを直に体感できるという点においても、常に目が離せないブログという印象があります。
記事が更新される度、その界隈の中でほんのりと硬直していた「感情の波」が、まるで堰を切ったように一気に溢れ出しているのが外から見ていても分かるんですよね。それこそ「待ってました」と言わんばかりのコメントを見かけることが珍しくなく、僕も「自分が見ていない映画の感想記事がどうしてこんなに面白いんだろう?」と不思議な気持ちにさせられることもしばしばで…。
でもそれは、「結騎了」さんという名の知れた方が筆を取った記事だから、という理由だけでは決して無く。今回伺った「作品の観方」と、そこから得る学びを大切に日々を過ごしていらっしゃる結騎さんの頭の中では常に激論が交わされていて、その「脳内ディベート」こそが、より多くの読者を惹き付ける秘訣なんですよね。作品を楽しむ原点もそこにある、と。
同世代で、同じく『パワード』にもそれなりに愛着を持っている僕としては、ビデオを一時停止してまでパワードバルタンを観察していた子供の頃の結騎さんに、自分も同じ頃に戻って是非お会いしてみたかったですよ(笑)。僕のパワードバルタンのイメージは、それこそ今の今まであの頃の「何これ…?」で止まっていましたから余計にそう思わされました。
同じブロガーの端くれとして、また同世代の特撮オタクの一人として、作品に真摯に向き合いながら珠玉のアウトプットを続けておられる結騎さんの「作品の観方」を伺い知ることができた今回のインタビューはとても勉強になりました。また、そんな身のある出会いをくれたブログという文化にも改めて感謝したいと思います。
『ウルトラマンパワード』、現状ツブイマでは配信されていないんですよねえ。やはりここはBlu-rayボックスに手を出すしか…子供の頃にビデオで見たっきりのパワードバルタンに思いを馳せつつ、揺れ動いています。
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▽あなたの「特撮と人生」についてお聞かせください!
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