僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

【あなたとトクサツ。-第9回-】昭和のテレビ体験と20年越しの「仮面ライダー」

 1960年生まれの、僕の父親。

 幼稚園の頃に『ウルトラマン』、小学校低学年の頃に『ウルトラセブン』、高学年で『仮面ライダー』、中学生になって『宇宙戦艦ヤマト』をそれぞれリアルタイムで浴びてきたという、日本の「オタク第一世代」とも呼ぶべき人物だったりします。

 そんな父親に昔よく聞かされたのが、見たい番組が両方同じ時間に放送されていてどちらかを選ぶしかない…子供なりの「苦渋の決断」に関する話です。

 家庭でテレビ番組を録画して見返すということがまだ簡単には出来なかった時代。父親の地域は確か『ウルトラマンA』と『変身忍者嵐』だったかの放送時間がもろに被っていて、新聞のテレビ欄や児童誌の情報を元にその週の面白そうな方を選んでチャンネルを合わしていたとか。だから父親に『ウルトラマンA』の思い出を聞いても、ほとんどウルトラ兄弟の客演回の話しか出てこなかったりする。『A』が通常回のときは『嵐』の方を見ていたんでしょうね。

 その日その時にしか見られなかった、昭和のテレビ番組に対する視聴者の思いを感じさせるエピソードです。録画が出来ないという話はもちろん、特撮ヒーロー番組の放送時間が被る(しかもゴールデンタイム)というのも「変身ブーム」真っ盛りだったあの時代ならではですよね。今じゃあり得ないことですから。

 すみません、前置きが長くなってしまいました。

 「あなたとトクサツ。」第9回のゲストは、Twitterで仲良くさせていただいている大の特撮ファンでいらっしゃる高橋薫さん(@takahashikaoru)です。

 

●「あなたとトクサツ。」とは?

「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。

人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。

 

 高橋さんが今回送ってくださった文章は、まさに僕の父親が語っていた「昭和のテレビ」に関連したお話。と同時に、「自分の親が特撮ヒーローというサブカルチャーに触れていない世代」であるが故の葛藤も浮かび上がってくる…大変失礼ながら、節々に「時代の違い」を強く感じさせるエピソードでとても興味深く読まさせていただきました。

 それでは「あなたとトクサツ。」第9回です。

 

 

 

 

「仮面ライダー」への積年の思い

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第9回:高橋薫さん

 

 ぼくとトクサツについて、語りたいのは「仮面ライダー」についてです。

 

 ぼくは基本、ウルトラ派かライダー派かとでいえばウルトラ派なのですが、その原因が実はぼくの幼少期にあるのです。 ぼくの家はどこにでもある平凡な一般家庭だったのですが、両親、特に母が教育的に厳しく、テレビを見ることに常に抵抗勢力になっていました。

 

 娯楽番組などもってのほかだったのですが、唯一許してもらえたのが「ウルトラシリーズ」でした。そんな日々を送っていた1971年4月、新たな特撮ヒーローが誕生しました。「仮面ライダー」です。

 

 当然のようにぼくも見たがったのですが、母の決断は否でした。

 

 その上、母は当時のUHFのチャンネルが見ることができないように、屋根からUHFのアンテナを下ろしてしまったのです。当時『仮面ライダー』はNET系のUHFのチャンネルでの放送で、アンテナが上がってなければチャンネルを合わせても砂嵐を見ることしかできません。そのため必然的にウルトラ派にならざるを得なかったばかりか、『ミラーマン』『キカイダー』『変身忍者嵐』などのUHFでの特撮ものに触れることすらできなかったのです。

 

 さすがに物心ついてから母と対立することとなり、『機動戦士ガンダム』の放映中にアンテナを上げてもらえることになりました。ただ、「仮面ライダー」とのファーストコンタクトは大学時代の『仮面ライダーBlack』まで持ち越すことになったのです。

 

 ぼくが自分の息子や娘に「自分で触れてみて、判断してから対応しなさい」と教えてきたのは、この母との葛藤があったからかも知れません。ただ自分の見たかった欲求を満たす代謝行為なのかも知れませんが…。

「特撮」を通して生まれた信念

―高橋さんの特撮原体験、特に1970年代当時の空気をまとった「ぼくはなぜ『ウルトラ派』になったのか」の経緯に関して、その時代を知らない人間の一人としてとても興味深く聞かせていただきました。この企画ではこれまで比較的世代の近い方たちとお話をさせてもらっていましたが、今回はまた違ったお話を伺えるのかも…とワクワクしています。よろしくお願いします。

それではまず、教育的に厳しかったというお母様について。屋根の上にあるアンテナを下ろしてしまうほど『仮面ライダー』を息子に見せまいとしたお母様が、「ウルトラシリーズ」の視聴を唯一許してくれていた理由は何だったのでしょうか?

 よろしくお願いします。

 ぼくは1968年の生まれで、ウルトラでいえば『セブン』と『帰ってきたウルトラマン』の間になります。

 リアタイは『帰ってきた~』からだったのですが、近所に優しい本屋さんがあって、時期遅れの本、今でいうバックナンバーの本を安く譲ってくれていました。

 だからぼくの家には初代マンとセブンの絵本があったんですね。母はよくぼくに読んでくれていましたから、ウルトラには不良性がない、もしくは少ないのを感じ取っていたのではないかと思います。逆に仮面ライダーは東映制作ですし、やくざ映画の東映ですから、その不良性が気に障ったのではないでしょうか。

 

―なるほど!今でこそ「ニチアサ」の東映ですが、当時はやくざ映画のイメージもあったのですね。それと同時に、近所の優しい本屋さんの存在がお母様に対してウルトラの良いイメージを植え付けていた、と。今だとちょっと考えにくいというか、特撮の中でウルトラとライダーをそこまで別物として捉える人も少なくなっている気がします。
お母様に読んでもらったウルトラの絵本に関して何か記憶に残っている内容などはありますか?

 もう50年も前のことですからねえ。

 ただ、絵本に出ていた女性隊員の中で、アンヌ隊員が好きだったのは憶えています。フジ隊員や、リアルタイムで見ていた丘隊員よりも、アンヌ隊員の方が好きでした。もちろん『セブン』を実際に見るのはもっと後の話なのですが、ビジュアル的に好みの女性だったのだと思います(笑)。

 

―アンヌ隊員、お綺麗なのはもちろんですがダンという思いを寄せる相手もいたりして、ウルトラにおける女性隊員のひとつのモデルになった存在ですもんね。僕の父は1960年の生まれで『セブン』直撃世代なのですが、やっぱりアンヌ隊員が一番だと照れながら言ってました(笑)。 
さて、幼少期の高橋さんがお母様から『仮面ライダー』の視聴を止められてしまったときに、子供なりに何か抵抗されたり…といったことはありましたでしょうか?「僕だったら絶対母とバトってただろうなあ…」と漠然と思ってしまい凄く気になっています。

 ぼくの家は、父が外国航路に乗っていて一度出て行ったら数ヶ月帰ってこないというような環境だったので、今にして思えば母は周りから舐められるまいと必死でいきがっていたのだろうと思います。

 そんな母を見て、ぼくはできるだけ波風を立てないように、なるべく良い子でいるように毎日を送ってました。仮面ライダーは見たいし、友達とライダーごっこもしたいけど、とりあえず我慢しておこうと。バトルまでは起こらなかったですね。

 

―そのような環境ですと、やはりお母様なりに考えられた上での行動でもあったのでしょうね。当時の『仮面ライダー』ブームの凄まじさは、世代である僕の父も当事者とし度々熱く語っていました。
そんな中で、番組を見ることが叶わずにライダーごっこも我慢せざるを得ない…子供なりの「生きづらさ」を感じてしまうシーンが当時の高橋さんには多くあったのでは、と想像してしまうのですが、実際のところその辺りでやはり何か苦い記憶なども…?

 ライダーごっこの時は、いつもショッカーでしたね(笑)。それを生きづらさというのであればそうなのだろうけど、当時はそれが普通と思ってました。

 

―周りはみんな『仮面ライダー』を見て興奮して、見られない自分が当然の如くショッカー役で…でもそれを「普通」だと受け入れる。それぞれの家庭環境や時代の変化もありますが、やっぱり子供にとっての「親」は大人が思っている以上に絶対的な存在なんだなと思わされます。

「子供の頃に見たくても見られなかった特撮」の話で言うと、僕はずっと『ウルトラマンタロウ』と『レオ』が大好きだったのに見られず、中学生くらいになって自分でビデオをレンタルして初めて見たときの感動が未だに忘れられなかったりします。高橋さんは、あの頃視聴が叶わなかった『ミラーマン』や『キカイダー』を大人になってご覧になりましたか?

 見ました!

 大学に入って一人暮らしを始めたのですが、友人たちに恵まれまして今のぼくを構成するほとんどの要素がこの時期に生まれました。ちょうどレンタルビデオ店が販路を拡げていた時期でもあって友人たちが薦めるものを片っ端から見ました。

 『仮面ライダー』『キカイダー』『変身忍者嵐』…この時期にできた友人たちは今でも心の宝ですね。

 

―大学時代にそういった「分かり合える」ご友人と出会われていたとは羨ましいです。初めてご覧になった憧れの特撮ヒーローたちへ、大学生の高橋さんはどういったご感想をお持ちになりましたか?

 そうですね。当時「アニメック」という雑誌がありまして、その名の通りアニメの雑誌なんですが、評論家の池田憲章氏が「SFヒーロー列伝」という連載をされていて。

 まだビデオがなかった時代の特撮ドラマを取り上げて解説してくださっていたのが大好きで、中高生時代に浴びるように読んでいました。実際に作品を見てみて、「ああ、池田先生が書かれてた通りだなあ」と(笑)。あと、ぼくが大学に入った年に『仮面ライダーBLACK』が放送開始して、誰にも邪魔されずに見る仮面ライダーってこんなものなんだと改めて思ったり。

 

―「誰にも邪魔されずに見る仮面ライダー」の味(笑)、はいかがでしたでしょうか…!

 「ああ、宇宙刑事みたいだなあ(笑)」とか言いながら、結構のめり込みました。『BLACK』は第1話の出来が感心するほど良かったんですよ。今でも年に何度か見たりしています。

 

―『仮面ライダーBLACK』はデザインも時代を感じさせないカッコ良さがあって、今年は『仮面ライダーBLACK SUN』なる新作も予定されていたり、凄く人気のあるライダーというイメージです。ちょうど解放されたタイミングでそういった作品に出会われているのも運命的ですね。 
高橋さんの幼少期のテレビ体験から生まれた「自分で触れてみて、判断してから―」という信念に関して、それを受けたお子さんの趣味嗜好に何か思われたところはありますか?

 大した信念でもありませんが、他人というフィルターを通して得た知見によるものではなく、興味があるのであれば自分で触れてみて、それ以上進むかどうかを自分で判断しなさいと言い聞かせてきました。

 おかげで2人の子供、共にどこに出しても恥ずかしくない特撮マニアに育ってしまいました。

 2歳の時に『ゴジラ×メガギラス』に連れて行かれた息子とは特撮映画を一緒に観にいく友となり、下の娘は学校の課題図書に切通理作氏の『怪獣使いと少年~ウルトラマンの作家たち~』を選ぶ娘になりました。偏った子供なのかもしれませんが、選択したのは自分だから、選択を悔やむことはあっても他人のせいにはしないと思う。格好いいことではありませんが、まあこんなものです。

 

―なんと…!2人のお子さんが共に特撮をお好きでいらっしゃるというのはこれもまた運命的で、幼少期の体験によって得た高橋さんのスタンスが次の世代へ見事に結実していて素晴らしい…。凄いお話を聞かせてもらいました。「他人というフィルターを通して得た知見によるものではなく―」というのは本当にその通りですよね。僕も、今後の教育の参考にさせていただこうと思います。

さて、それでは最後に恒例の質問を。高橋さんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします。

 そうですね。特撮とは…「共通語」ですかね。

 大学時代に得た生涯の友人たちとの共通語であり、ぼくと連れ合いとの間に産まれてきてくれた二人の子供との共通語であり、Ryoさんをはじめとして若い人たちとこうやって語り合うことのできる共通語、という感じでしょうか。

 

―長時間のインタビューお疲れ様でした。一人の特撮ファンとして、また一児の父としても大変有意義な時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございました!

話を伺って感じたこと

 娯楽の面に関して言うと、僕は両親にはかなり恵まれた部類の人間なんだなあとつくづく思わされます。

 テレビやゲームに制限をかけられることは無かったですし、遊んでいた玩具を勝手に捨てられていたみたいなことも一切ありませんでした。最初にも書いた通り、父親は元々オタク気質で特撮やアニメに理解がありました。母親も、何なら当時の一般的な小学生よりもテレビゲームに明け暮れていたゲーマーでしたからね。

 特撮との出会い―。その経緯は本当に千差万別で、この企画はまさにその「人それぞれ」の部分をどこまでクローズアップ出来るか、が勝負だと思っています。ただ、程度の違いこそあれど、ほとんどの人が共感出来てしまう「その世代特有の共通体験」みたいなものもあって。今回の高橋さんのお話は、空前の「変身ブーム」をリアルタイムで経験された方たちにとっては思わず頷いてしまう内容だったのではないでしょうか。

 子供の頃にお母様が見せてくれなかった『仮面ライダー』との20年越しのファーストコンタクトを通じて、時間が経った今でも「心の宝」と言えるご友人と出会われた高橋さん。

 その時は納得がいかなかったり「どうして?」と感じていたことも、今にして思えば良い経験だった…というのは長い人生によくある話ですよね。高橋さんの場合は、それをご自身のお子さんに本人の意思を最大限尊重する形で落とし込まれていて凄く素敵だなと思いました。

 「他人というフィルターを通して得た知見によるものではなく、興味があるのであれば自分で触れてみて、それ以上進むかどうかを自分で判断しなさい」

 僕も、これから色々なことを経験していく息子に対してこんな言葉をかけてあげられる父親になりたい。今回高橋さんからお話を伺って、そんな風に思わされました。特撮という「共通語」を通じた新たな学びと出会いに改めて感謝です。

 

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