「あなたとトクサツ。」第17回のゲストは、「私立アメコミ高校」というブログでアメコミヒーローに関して詳しい解説記事をいくつも書かれているワキリントさん(@Ame_Comi_High)です。
●「あなたとトクサツ。」とは?
「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。
人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。
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今回は、ワキリントさんが幼少期から現在までに様々なヒーローと出会う中で形成されていった独自の「ヒーロー観」についてお話を伺っています。
1990年代後半から2000年代前半は、ウルトラシリーズや仮面ライダーシリーズに代表されるテレビ特撮シリーズの大転換期とも言える時代でした。
ウルトラマンは『ティガ』、仮面ライダーは『クウガ』というエポックメイキングに恵まれ、それぞれが新しい時代を象徴するキャラクターとして見事なアップデートを果たしたという一連の流れ。ワキリントさんは、リアルタイムでこの流れにまんまと飲み込まれ、特撮の世界にハマっていかれたとのこと。そして、『ティガ』や『クウガ』のようなシリーズの転換期となる作品との出会いの中で、独自の「ヒーロー観」が育まれていたことにある時、気付いたそうです。
今回は、そんな「ヒーロー観」を胸に、「正解のない道」を今も突き進むワキリントさんの「特撮と人生」をたっぷりとお届けします。
それでは、「あなたとトクサツ。」第17回です。
独自の「ヒーロー観」が生まれるまで
第17回:ワキリントさん
1996年生まれのぼくは、再放送で『ウルトラマンティガ』を、世代ドンピシャの年齢で『仮面ライダークウガ』『ガオレンジャー』という、その後のシリーズにとって転換点とも言える人気作で育ったちびっ子でした。
初めて貰ったクリスマスプレゼントのスパークレンスを鼻血を出しながら掲げたり、髪型を牛込草太郎(ガオブラックの人)みたいにしてほしかったのに失敗して坊主になっちゃってギャン泣きしたりと、語り尽くせぬ思い出があります。
小学5年生で特撮からいわゆる「卒業」をし、『ディケイド』『ゴーカイジャー』のお祭りには一応参加したものの、そこまでハマるということはなく、「やっぱり特撮は面白いなぁ」くらいの気持ちで済ませていました。
それからは漫画、音楽、文学と、特撮とは離れた芸術に触れながら、それらにもどこか「ヒーロー」を感じていたように今となっては思います。
大学入学を機に一人暮らしを始め、余りある時間を『クウガ』の再視聴にあて、「この作品、マジですごくない??」となってから特撮ヒーローの世界に「再入学」することになります。
今ではYouTubeの公式配信で過去作を追いかける毎日です。観たいと思えばすぐに手が届く今の子供たち、本当に幸せもんですよねぇ〜。
この辺りで、ブログのきっかけになるアメコミ映画とも出会います。
海外の「ヒーロー」の価値観はぼくに大きな影響を与えており、そのおかげで、徐々に固定観念を壊している日本の特撮ヒーローも好意的に見ることが出来ています(『仮面ライダーウィザード』で「ベルトの声、うるさっ」となっていた頃からめちゃくちゃ成長しました 笑)。これも多様性が叫ばれる時代ならではの変化なのかなと思います。
幼少期、「ヒーローとは何か」という自問自答に真摯に向き合った作品群で育ち、現代において更に進化を続けるヒーロー達を目の当たりにする中で、ぼくなりの「ヒーロー観」が育まれました。
そんな「ヒーロー観」を胸に、現在は誰かのヒーローとなる役者を目指して養成学校に通っています。こうなってくると特撮番組に出演することが目標なのだろう、と想像されると思いますが、その道はあえて選択せず、あくまで一ファンとして愛を高らかに叫ぶことで、恩を返したい、そんな気持ちです!
……ただ、仮に!仮に万が一、『クウガ』の続編が制作されるのなら、何がなんでも自分が関わりたい、というのも正直な気持ちとしてありますね(笑)。
誰かにとっての「ヒーロー」になるために
―ワキリントさん、初めまして。この度は「あなたとトクサツ。」に参加していただき、誠にありがとうございます。幼少期の特撮の記憶から、小学5年生で迎えた卒業とその後の「再入学」、そして現在につながるワキリントさんの「特撮履歴書」がとても分かりやすく文章化されていて興味深く読ませていただきました。ここからインタビューを通して更に深堀りしながらお話を伺えればと思っております。よろしくお願いします!
それではまず、最初に名前が出た特撮作品『ウルトラマンティガ』について。ワキリントさんは再放送でご覧になられたとのことですが、初めてのウルトラマン体験が『ティガ』だったのでしょうか?
よろしくお願いします。
初めてのウルトラマン……ゼアスだったような気もするし、ジョー二アスやUSA組だったような気もするし、パワードの見た目に心奪われたのが最初だったような気もするし……という感じなのですが、ハッキリと「観た」という記憶が強烈に残っているのはティガですね。
96年生まれのぼくが地方民故の再放送によって平成ウルトラマンシリーズ一作目に触れることができたのは、大きくなってからシリーズの歴史を知った上で考えると、めちゃくちゃ運が良かったんだと思います。
―鼻血を出しながらスパークレンスを掲げていらしたとのことですが(笑)、当時の『ティガ』に関する思い出や、率直な印象を教えてください。
こちらは当時の写真です。
スパークレンス、当時何処にも売ってなくて、母親が探し回ったそうです。そりゃそうです、僕が見ていたのは再放送なんですから(笑)。
ぼくは典型的な「ヒーロー好き」のちびっ子だったので、テレビの前で「ティガー!頑張れー!」という感じで応援しながら見ていました。意外なのは、大人になって観返す前はキリエロイドやイーヴィルティガに混じって、江ノ電怪獣タリバンのことを鮮明に記憶していたんですよね。
ヒーローが大立ち回りをして、怪獣を爆破で倒すという様式美……世間で言うところの予定調和ですが、そういったものを壊す「怪獣を殺さない回」だったのが幼心に刺さったのではないか、と思っています。幼少期から「人と違うことを誇りなさい」という教育を受けてきたのも要因の一つですかね。
近年でいうところの『ギンガS』の「ガンQの涙」や、『オーブ』の「ニセモノのブルース」のような、いつもとは毛色の違う回にハッとさせられるタイプのちびっ子だったのかもしれません。Ryoさんも息子さんがいらっしゃるので思い当たる節があるかもしれませんが、子供って意外とそういうのを分かって見ているものなんですよね。「なんか違う」って。
―素敵なお写真を提供していただきありがとうございます。スパークレンスをめちゃくちゃ嬉しそうに掲げていてほっこりしますね(笑)。
なるほど、50数話の中にポンと放り込まれた、普段のお約束の通りではない回が幼少期のワキリントさんにとって印象深い回として残っているんですね。タリバンの回は『ティガ』の中では語られる機会が少ない回ですが、ウルトラマンの優しさが素朴に描かれていて良いですよね。僕の息子はどちらかと言うと怪獣が沢山出てくるドンパチ回が好きですが、たまにそういう不思議な回があるとテレビを見る目つきが変わって、それを観察するのがまた面白かったりします。
リアルタイムでご覧になったという『ガオレンジャー』や『仮面ライダークウガ』についてはいかがですか?
『ガオレンジャー』ではとにかくガオキングをはじめとした巨大ロボが好きでしたね。
パワーアップのペースが丁度良くて、全てのパワーアニマルに愛着がわいていました。スーパー戦隊では初の試みとなるCGを駆使し、これまでのシリーズのサポートメカと比較するとメカメカしくない動きをしてくれていたのも親しみが生まれる要因だったと思います。
好きなのはガオジュラフとガオハンマーヘッドで、登場するパワーアニマルから派生して動物の英語を沢山覚えました。
よくいる、鉄道好きで「車輌見ただけで何系!」とか言える凄いちびっ子みたいな感じで、動物や魚の英語や漢字を苦労せずに読み書きして覚えていました。小学校入学前なので、相当先に進んだ学びですね。ようやってたわ〜あの時の自分!(笑)
他にも、ガオレンジャーが着ているジャケットのシンボルマークを無地に白い肌着に母が描いてくれたりしていて、それを着ることで彼らのいる世界に自分もいる感覚を味わっているような幼少期でした。
そして、『仮面ライダークウガ』は間違いなくぼくのバイブルとなっている作品であり、一番のヒーローです。
当時の感覚としては、「何かとんでもないものを観ている」という感じで、特にドラマパートが強烈に印象に残っています。
『クウガ』がぼくらに何を伝えようとしていたかをきちんと理解するのは再視聴した大学生の頃でしたが、かといって子供の頃もバトルパートにただはしゃいでいたという訳でもなく、未確認生命体をとりまくドラマを固唾を飲んで見守っていた、そんな表現が近いような気がします。
特にン・ダグバ・ゼバとの吹雪の決戦は、視聴時の自宅の景色も込みで記憶に残っていますね。
クウガのソフビは持っていたんですが、何故かアークルはおねだりもしなかったことを覚えています。経済的に親を気遣った可能性もあるんですが、なりきり遊びには自分なりにこだわりもあって、どこかで「自分はクウガになるべきではない」と感じていたように思います。
長々とお話しましたが、総合すると『ティガ』と合わせてシリーズにおける転換点ともいえる作品…そのシリーズのどこがウケたのかを作り手たちが吟味して、その当時の最先端の技術やセンスでアレンジした情熱の極地みたいな作品群を幼少期に観ることができたのは、自分にとって宝物と言えますね。
―この「あなたとトクサツ。」も今回で17回目なのですが、『クウガ』の登場率は高さに驚かれされます。それもワキリントさんのように、「バイブル」や「原点」といった表現が用いられることが非常に多く、特撮ファンに今も愛され続けている作品であることを実感しています。
さて、ワキリントさんが小学5年生の頃に一度迎えた特撮からの卒業。何かこれというきっかけなどはありましたか?
ソフトボールのクラブチームに入って、土日が練習で朝に家に居られなくなったのが一番の原因だと思います。「仕事で家を空けがちな父ですら休んでいるのに何故!?」と駄々をこねたのを覚えています。
周りの目を気にして自主的に…という卒業の仕方ではなかったので、雨で練習が休みになった時なんかは『仮面ライダー響鬼』や『カブト』を流し見はしていました。
『電王』の時期になると中学生になりバスケ部に入ったのと、シンプルに「電車!?桃!?なんやそれ!?」と違和感のほうが先に来てしまい、観なくなってしまいました。だから本格的に特撮から気持ちが離れたのは『電王』の頃ですかね。今思うと勿体な過ぎですが…デンライナーが現実にあったらあの時に戻って録画させますよ(笑)。
―気持ちが離れる前に生活環境の変化がそうさせてしまう、というのは中学生くらいになると避けられないことですもんね。僕も未だに、『ティガ』が始まる前にウルトラマンを卒業してしまったあの頃の自分にビンタを食らわせたいです(笑)。でもそういうタイミングのすれ違いが、後々になって作品への印象度を強めたりもするので分からないものですよね。
特撮から卒業された後に触れた漫画、音楽、文学に感じた「ヒーロー」の要素というのは、具体的にはどのような部分でしょうか?
端的に言うと、どのジャンルでも「生きる希望を与えてくれる」ところに「ヒーロー」を感じたんだと思います。
『平成ジェネレーションズ FOREVER』のクライマックスで強く思ったことが、ぼくが特撮を「卒業」した後も、仮面ライダーやヒーローの存在はずっとあって、ぼくではない誰かをどこかで勇気付けていたんだな、と。
自分に刺さらなかった作品であっても、ぼくにとっての『クウガ』的な存在として、その作品を大切にしている人がどこかに必ずいるだろうという想像が働くようになって。何が誰に刺さるかなんて、決まった法則があるものではないので、自分のものさしで一方的に断じてしまうのはあまり良くないと思うようになったんですね。
例えばぼくは『SLAM DUNK』に影響されてバスケ部に入りました。生きていく中で、何かに影響されて行動を起こす…そういった経験はありとあらゆるところから得ていくと思うんです。
恩師と呼べる人に出会って教師を目指したり、『めちゃイケ』を見てお笑い芸人の夢を持ったり、『MOTHER2』をプレイしてゲーム開発者を志したり……。
人生において、自分が何かをしたいと思ったときに、その背中を押してくれたものがその人にとっての「ヒーロー」なんだろうと思います。
―例えば同じ「仮面ライダー」の名を冠していても、その時代に合わせて極端なアップデートがなされていく昨今の流れの中で、ワキリントさんがご自身の成長と共に独自の「ヒーロー観」を育まれてきたことはある種必然だったのかもしれませんね。
そこは大学生でアメコミ映画を観賞していく中で育まれていった感性だと思います。
多様性に対する寛容さとでもいいますか、アメコミヒーローと一口に言っても、それは白人男性に向けてのエンパワメントを指す言葉ではなくなってきた。
となれば、日本のヒーローも多様性があって当然だし、もはや小さな男の子だけが楽しむものでいいはずがないんです。…と、まあこんな風にヒーロー観を構築していくのが半ば趣味のようになっているのも、「ウルトラマン/仮面ライダーとは何か」「スーパー戦隊に何をもたらせるか」を自問自答し、回答をみせてくれていた、幼少期の変革期のヒーロー達による影響ですね。
―なるほど、そしてその「ヒーロー観」を胸に、役者さんを目指して養成学校に通っていらっしゃると…!ちなみに養成学校では具体的にどのようなことをされているのでしょうか?
誰かの生きる希望となるような役…あるいは正解のない芸の求道者としてのぼく自身に、「ヒーロー」を見出す人が生まれてくれることを目指して頑張ってます!
授業内容は一口に説明するのが難しいのですが、特撮界隈にだけ通じる例えで言うと『ドンブラザーズ』の空想の蕎麦ですね(笑)。
パントマイムではなく、自分が過去に食べたことのある蕎麦を思い描きながら箸を進めることで、小道具などで全く違う蕎麦が出てきても馴染みの店のそれに見える…みたいな。その上で、文脈としてその蕎麦が病に伏した父が自分のために打った最期の蕎麦だったとしたら…啜り方一つ取っても変わってくるわけです。それを自分なりに表現できるような身体づくりや、自分の過去を見つめ直してリンクするものを見つけ出すことなどをやってます。
これは「メソッド演技」と呼ばれる割と主流な方法論で、フィクションの世界で実際に生きるにはどうするかを学んでいます。
―既にご自分がどういう役者さんになるか、というところまでのビジョンを描いていらっしゃるんですね。僕も陰ながら、ワキリントさんの夢を応援しております。
ありがとうございます!
ぼくが大好きな特撮の道をあえて選択せず、一人の役者として世間から認められた時に高らかに憧れを叫ぶことで、特撮の素晴らしさを伝えられればと思います。一般的に然るべき時期とされている歳に卒業したまま離れてしまっている人にも呼びかけていきたいですね。みんなそれぞれに、希望を見出した好きなヒーローがいるはずですから。
そしてそうすることが、ぼくの「ヒーロー観」を作ってくれたヒーローたちに追いつける方法だと信じています。『クウガ』への云々は、まずはそういった貢献を周りの人たちに認めてもらってからですね。
―いつの日か、『クウガ』の続編が制作される時にワキリントさんががっつり関われる、そんなステージに上がれる未来を祈っております。
それでは最後に、ワキリントさんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします!
わー!来てしまった!最後の質問だ…!
ぼくにとっての特撮とは、「永遠に終わらせたくないものであると同時に、終わりを見届けたくもあるもの」です。
『ティガ』や『クウガ』など、長い空白の期間を経て生み出された作品で育ったぼくには、それらがない期間というものは想像しただけでも少し怖いくらいです。これからは、未来の視聴者のために永遠に続くシリーズであってほしい。
そして、『クウガ』が自分のバイブルとしてあり続けることは、同時にドラマの中の悲しみもそこにあり続ける…けれど、ならば愛情でもって果ての果てまで付き合うぞ、と。夢に向かって戦う覚悟はとっくにできていますから。
中途半端はしません。だっておれ、『クウガ』で育った「リント」だもん!!偶然なんだけど本名なんだ!!!
―長時間のインタビューお疲れ様でした。素敵な役者さん目指して頑張ってください!ありがとうございました!
お話を伺って感じたこと
今回のインタビューで感じたのは、幼少期に触れるものがその人の人生にいかに強い影響力を与えるか、ということです。
そういう時期に『ティガ』や『クウガ』、『ガオレンジャー』といった、シリーズの歴史を語る上で外せない作品と出会われたワキリントさんを、僕は心底羨ましいと思いました。僕はちょうどその頃、特撮からはほぼフェードアウトした状態でしたから余計に…。
とは言え、僕も自分が幼少期の頃に触れた特撮ヒーロー…『ビーファイター』や『グリッドマン』に夢中になっていた記憶はずっと残っていて。今は多様性の時代とよく言われますが、ことヒーローに関しては、昔からずっと、全てを一括にして語ることは難しい、ある意味懐の深い存在であり続けていたと思っています。
僕はずっと「人知れず戦うヒーロー」に憧れてきました。自分たち人間の知らないところで暗躍する悪を、誰にも知られずに静かに打ちのめす。「もしかしたら現実世界のどこかに本当にヒーローがいるのかもしれない」と思わせるリアリティに魅了されていたのです。これは完全にリアルタイムで見た『グリッドマン』の影響ですね。
ワキリントさんの「ヒーロー観」の根本にある『ティガ』と『クウガ』には、物語の中心にいるヒーローの存在が、周囲の人間たちの頑張りを明るく照らす…そんな共通点があったように思います。
役者になるという夢に、「誰かにとってのヒーローになりたい」というビジョンまでも描けているのは、まさにワキリントさんの「特撮と人生」から一つの答えが導き出された結果なのでしょう。
しかしその道のりに必ずしも正解はない。だからこそ、ワキリントさんに影響を与えた、『ティガ』や『クウガ』といった明るい未来を提示して終わった物語にはより一層の力強さを感じるようになりました。
これからも、誰かの人生に素晴らしい影響を与えるヒーローの出現を、僕は待っています。円谷英二さんが「ウルトラの星」(ティガ第49話)で言ってましたもんね、「ヒーローが必要なんだよ」と。お話を伺いながら、そんな名台詞も思い出さずにはいられませんでした。
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