僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

【あなたとトクサツ。-第13回-】歪なパズルに潜むワンダーを追い求めて

 企画・脚本庵野秀明、監督樋口真嗣による映画『シン・ウルトラマン』の公開が目前に迫ってきました。

 同じ庵野&樋口コンビの『シン・ゴジラ』が、普段特撮を見ていない一般の客層にも口コミでその面白さが広まり、日本中で大ブームを巻き起こしたことは記憶に新しいところです。あのムーブメントをリアルタイムで目撃できたのは、今思えば貴重な体験でした。

 と、なると今度の『シン・ウルトラマン』にも同じようなブームを期待してしまうのですが、その期待の裏側にはどうしても拭い切れない不安が横たわっているのも確かでして…。

 それは、55年以上に渡るウルトラの歴史の中で、ごく初期の作品を除くと「特撮ファン以外の客層にも届くウルトラマン」が実現した例がほとんど無かったことに起因しています。調べてみると、ウルトラマンの映画はこれまで「興行収入10億円」のラインを一度も突破できずにいる。『シン・ゴジラ』が約80億円ですから、やはり壁は高いと思わざるを得ないです。 

 そんなウルトラシリーズも、一般層を意識した作品が全く作らていなかったわけではありません。

 2004年に公開された映画『ULTRAMAN』は、初代ウルトラマンの第1話をベースに「ウルトラマン」の存在をリアルな視点から再構築した意欲作でした。監督の小中和哉さんが当時のインタビューで「一般映画としてのウルトラマンを」としきりに仰っていたことからも、その志の高さがうかがえます。

 「あなたとトクサツ。」今回のゲストは、Twitterで大変お世話になっているれんたろうさん(@rentarooooo1107)。

 

●「あなたとトクサツ。」とは?

「あなたとトクサツ。」は、読者の「特撮と人生」にスポットライトを当てる企画です。

人生で最初にハマった特撮作品、好きだった特撮を「卒業」または「復帰」することになったきっかけや時期、特撮のおかげでこんなに良い思い / 悪い思いをした等々、「特撮と人生」にまつわるお話をたっぷりと語っていただき、インタビューを通して更に深堀していきます。

 

 小学生の頃にご覧になったという『ULTRAMAN』への愛着を中心に、ご自身の「特撮を楽しむ上での軸」がいかにして形成されていったのかを熱く語ってくださいました。

 『ULTRAMAN』の公開当時高校生だった僕としては、興行的に大コケしてしまったこの作品をこんなに楽しんでくれていたチビッ子がいたのかと嬉しくなったのと同時に、『シン・ウルトラマン』の公開を控えたこの時期にれんたろうさんとお話ができたことはとても意義深いものだったと感じています。

 それでは、「あなたとトクサツ。」第13回です。

 

 

 

 

憶に残り続ける「最大瞬間風速」

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第13回:れんたろうさん

 

 私が初めて観た特撮作品は『ウルトラマンコスモス』です。 
  
 映画館デビューも『ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』(2001)でした。母の話によると、大画面の映像や音にびっくりして泣き出してしまっていたそうですが、不思議なことに私の頭の中にはとても映画を楽しんでいた記憶が残っています。

 

 2才上の兄の影響もあり、仮面ライダーやスーパー戦隊も当たり前のように見ていました。また、母も当時の「イケメンヒーローブーム」にしっかり便乗し、自ら進んで親子で作品を見る始末。父は父で何かとイベントがあれば連れて行ってくれましたし、玩具も買い与えてくれ、一緒に怪獣図鑑を眺めていたくらいです。

 

 その頃の思い出はたくさんありますが、やはり映画館に行った記憶というのは脳裏に沁みついているもので、小学生の頃に見に行った『ULTRAMAN』(2004)は何とも忘れがたい作品です。

 

 私は『ウルトラマンネクサス』こそが初めての“自分のウルトラマン”という感じがして、とても好きなんですね。『ネクサス』が初めて全話通して視聴したウルトラマンということもあり、幼少期の私は『ネクサス』こそがウルトラシリーズのスタンダードであるという間違った教育を施されていました(笑)。

 

 子供ながらにテレビマガジンなどで「ウルトラNプロジェクト」の存在も知っており、玩具売り場でウルトラマンノアのソフビを手に取り、TVに出ないかなぁと思っていた矢先にあの最終回ですよ。狂喜乱舞でした。ネクサスの最終回をリアルタイムで観ることができたのは私の誇りでもあります。

 

 時は流れ、その後は“普通”の少年としてヒーロー番組を楽しみ、それぞれの作品を小学校2年あたりのしかるべきタイミングで卒業していきました。

 

 空白の期間を経て、多くの方がそうであるように『仮面ライダーディケイド』にて特撮熱が再燃、立派にオタクへと成長していき、人生が大きく変わっていきます。

 

 中学生になると、少ないお小遣いをやりくりして過去作品のDVDを毎週のようにレンタルし、どっぷり沼に浸かっていったといった感じでしょうか。中高とずっと体育会系の部活に所属していたこともあり、友達にわざわざ趣味を言うことはありませんでしたが、とにかく楽しかったです。

 

 そんな私がもう一段階、深く沼に沈んだ作品があります。それは『牙狼 闇を照らす者』(2013)です。

 

 『牙狼』と言えば、やはり初代主人公の冴島鋼牙の姿が思い浮かびますが、本シリーズは制作から雨宮慶太監督が外れ、新主人公の「道外流牙」を打ち出し、諸々の新設定も配備した新シリーズとなります。

 

 私が好きなのはこの作品の異常なまでの「最大瞬間風速っぷり」なんですね。というのも、『牙狼 闇を照らす者』は全25話中、変身すらしない回があったり、敵怪人(ホラー)が使いまわしであったりと、お世辞にもあの初代『牙狼』のような画の派手さはありません。

 

 しかし、まるでジャンプの主人公のように熱い心をもった新主人公「道外流牙」の戦いっぷり、弱く未熟であるからこその魔戒騎士たちのチームワークなどがとても光る作品になっています。物語の終盤はまるで1クール目の溜まりにたまった鬱憤を全て晴らすかのような大立ち回りや盛り上がりがあり、私が観てきた特撮作品の中でもその面白さはトップクラスだと感じています。

 

 制作の都合を吹っ飛ばすほどの熱量を持った作品として、『牙狼 闇を照らす者』には前述の『ウルトラマンネクサス』を彷彿とさせる部分も感じています。このような経験から、未だに自分は手堅くまとまっている作品よりも、シリーズとしては歪ではるけど、ある部分が突出している作品の方が好きだったりします。

 

 中学3年生で毎週深夜特撮を観ていたのですから、もう抜け出せません。今に至るまで、作品ごとにハマる濃淡はあれど、ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊のいわゆる「三大ヒーロー」は毎年視聴しています。これからも自分を熱狂してくれる作品に出会えることを願ってやみません。

ロセスを見届ける醍醐味

―れんたろうさんとはTwitterを通じて普段から仲良くさせていただいているのですが、特撮についてどんな作品が好きか…といったお話はこれが意外と初めてですよね。送っていただいた文章では、『劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT』の映画館デビューに始まり、リアルタイムでご覧になったという『ネクサス』の衝撃から、れんたろうさんが特撮にのめり込んでいくまでが簡潔にまとめられていて読み応えがありました。今回は更に突っ込んだお話を伺えればと思っております。よろしくお願いします!

それではまず、れんたろうさんの映画館デビュー作『劇場版コスモス』についてお聞きします。れんたろうさんの頭の中に残っている「映画を楽しんだ記憶」…具体的なシーンやセリフで印象に残っている箇所を教えてください。

 よろしくお願いします。

 『劇場版コスモス』の印象に残っているシーンといえば、やはりなんといっても大画面で観る、バルタンとの戦いですね。幼心にものすごい迫力でした。

 と言っても、初見時の記憶はおぼろげですが…(笑)。後から見返して、少年ムサシをメインとしたジュブナイルものの要素ももちろん好きです。他のウルトラ映画に比べると、ストレートな面白さに欠けるとは思いますが、独特な魅力をもった素敵な作品だと思います。

 ここからテレビシリーズの『コスモス』も飛び飛びではあるものの視聴し始め、後の映画2作(『劇場版 ウルトラマンコスモス2』、『劇場版 ウルトラマンコスモスvsウルトラマンジャスティス』)も同じように家族で映画館まで足を運びました。それが自分の特撮原体験ですかね。

 

―『劇場版コスモス』は、テレビの『コスモス』ともそれまでのウルトラシリーズとも少し違う独特の空気をまとった作品でしたよね。出来る限り他者と分かり合おうとする姿勢を崩さないウルトラマンと防衛チーム…「未知なるもの」への探求心という意味で、当時中学生だった僕は『ウルトラQ』の頃のマインドに原点回帰した作品という印象を持っていました。『コスモス』は劇場版が3作も作られただけあって、幼少期のれんたろうさんにとっても特に印象深い作品だったことは納得です。

ちなみに同じ頃ご覧になっていた仮面ライダーやスーパー戦隊では、どのシリーズが印象に残っているでしょうか?また、お父様が連れて行ってくれたというイベントに関しても何か記憶に残っていることがあればお願いします。

 同じ頃見ていた仮面ライダーというと、やはり同年代の『アギト』~『555』、戦隊は『ガオレンジャー』~『マジレンジャー』になります。

 毎週観ていたはずですし、変身ベルトなどの玩具も買ってもらっていましたが、不思議と本編の記憶があまりないんですね… 。その後、一度特撮を卒業し、2009年の『仮面ライダーディケイド』にて再び日曜の朝に帰ってくるのですが、自分が本当の意味でニチアサヒーローに惚れこみ、どっぷり沼にハマっていったのはこの時期です。

 それでも、『555』のベルトなどは塗装が剥げるほど遊んでいた記憶がありますし、幼稚園の頃、友達の家に行けば必ずと言っていいほど同じベルトをみんな持っていたので、子どもながらに「『555』は人気だなぁ」と思っていました。

 家族で行ったイベント系は全部ウルトラマン関連ですね。写真を見返してみると、大阪の「ひらかたパーク」(通称 ひらぱー)のヒーローショーによく行っていました。今はどうか分かりませんが、当時は遊園地に留まらず、ショッピングモールなどでもよくヒーローショーをやっていたような気がします。

 

―やっぱり仮面ライダーの変身ベルトは男の子にとって共通の憧れなんですね。ファイズドライバーは携帯電話(時代を感じさせる二つ折り型)がモチーフにもなっていて、当時の子供たちに大人気だったと聞きました。友達の家に行けば必ずベルトがあるというのは、1988年生まれの僕にとってのスーパーファミコンやプレイステーションに置き換えられる現象で、当時のライダーが子供たちの間でどれだけ流行っていたのかがうかがえるお話です。

さて、れんたろうさんが幼少期に感じられていた「『ネクサス』こそがウルトラシリーズのスタンダードである」という認識は、今考えるとかなり偏っている気が僕もするのですが…(笑)。従来のシリーズに比べて対象年齢をぐっと引き上げた感のあった『ネクサス』や映画『ULTRAMAN』は、当時のれんたろうさんの目にどのように映っていましたか?

 『ネクサス』は自分にとっては2作目のウルトラマンであり、素直に「新しいウルトラマンはちょっと暗いなぁ」と思ってはいました。

 …が、鬱なストーリーだと語られていることは知らず、不思議とストレスが溜まることはありませんでしたね。ヒーローものとしては1話のアンファンスの登場シーンからベタ惚れでしたよ(笑)。「絶対、これ面白いじゃん」ってなりました。

 憐が登場してからは作風もグッと明るくなりましたし、何よりあの最終回ですよね。ノアは当時買ってもらっていたテレビマガジンという子供向け雑誌に大々的に登場しており、てっきり次のウルトラマンなのか〜と純粋に思っていたりもしたので、あの登場の仕方は本当に驚きました。あれをリアタイできたのは特オタとして誇れます。

 スペースビーストに関しては、恐らく大人が心配するほど子供は怖がっていなかったかと…。

 それで言えば、確かに『ULTRAMAN』の「ザ・ワン」は役者さんの不気味な演技や最終形態になる時のあの異様な大きさが怖かったです。公開当時は既に小学生になっていたので、ストーリーも楽しめました。パンフレットを買ってもらい、何度も読み込んでいた思い出もあります。思えば、この頃から少しずつ「作り手」の存在に薄々興味を持ち初めていたかもしれません。

 

―れんたろうさんはTwitterでも度々、映画『ULTRAMAN』への思い入れを語っていらっしゃいますよね。

ULTRAMAN

ULTRAMAN

  • 別所哲也
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 特に衝撃的だったのは、テレビシリーズでは中々描けないようなスケールの特撮シーンと、当時の自分からしたら大人っぽく見えた人間ドラマでしょうか。

 クライマックスの新宿の戦闘シーンでは、現在の日本、それも東京という実在の都市に確かに怪獣が現れたという臨場感がありました。

 空中での高速戦闘シーンは目を見張るものがありましたよね。いわゆる「板野サーカス」と呼ばれるやつですが、僕はあれが本当に好きなんです。あそこで流れる始めるメインテーマもたまらなくかっこよくて、あそこまで「巨大感」と「スピード感」を併せ持った迫力のある映像は、ウルトラには未だに無いのではないか、と。

 人間ドラマの方はウルトラマンとザ・ワンの「1on1」で物語が進んでいき、やがて互いに進化していく展開がドツボにはまりました。この作品は興行成績的にはあまり伸びず、計画されていた続編も頓挫してしまいましたが、それこそ当時のファンの目にはどのように映っていたのかを知りたいですね。

 『シン・ウルトラマン』が話題の昨今ですが、自分の中ではどうしても「リアル思考」かつテレビシリーズとは別ラインで制作されたという点で今作と比べてしまうことが多くなりそうで、楽しみでもありますが、大いに不安でもあります(笑)。

 

―映画『ULTRAMAN』の公開時、僕は高校生で既に特撮オタクでした。監督の小中和哉さんが掲げていらっしゃった「一般映画としてのウルトラマンを作る」という高い志に感激したことを今でも覚えていますね。そして実際に出された作品のクオリティの高さと極めて堅実な作りに、ウルトラシリーズが新しい時代に突入する空気をひしひしと感じていました。

ただ、僕が見に行った時も劇場に全然お客さんが入っていなくて、作品とは別のところで衝撃を受けてしまったことも記憶に残っています。エンドロールの後に堂々と続編の特報も流れていましたから、それが中止になったことへの落胆たるや…。なので、当時小学生だったれんたろうさんが『ネクサス』や『ULTRAMAN』を楽しまれていたというお話を聞いて、あの頃の落胆していた自分が少し救われた気がしています(笑)。

その後の卒業を経て『仮面ライダーディケイド』で特撮に復帰され、『牙狼 闇を照らす者』に魅了されたというれんたろうさん。『ネクサス』との共通項としてその「最大瞬間風速っぷり」を挙げておられますが、近年の特撮作品にそういった要素を感じられることはありますか?

 『牙狼 闇を照らす者』は履修している人も少なく、中々語る機会が少ない作品ですね。

 今でこそ新シリーズが途絶えてしまっていますが、『闇照』は2013年当時に、『牙狼』というある意味で行き詰っていたコンテンツの可能性をグッと広げた意欲作だと思っています。クオリティこそ高いとは思えませんが、個人的にはとても愛くるしい作品なんですね。

 この『闇照』に共通した要素をもつ近年の作品というと、中々思いつかないのですが、それこそがこの作品が唯一無二である証なのかもしれません。今後、自分にとってこの作品を越えるくらいの作品が出て来るのだろうか…と思うほどです。

 

―僕は『牙狼』シリーズは未履修なのですが、作品が形作られていく過程をリアルタイムで追いかけたからこそ、クオリティ云々とはまた別のベクトルの愛着が生まれるという現象にはとても共感を覚えます。

 『闇照』に限らず、特撮作品というのは他媒体の創作物と比べると群を抜いて、あらゆる「制約」に立ち向かうことが余儀なくされていると思います。「子供番組であること」や「戦闘とドラマの配分」「予算」「玩具の売り方」など、物語を紡ぐ上でクリアすべき難題が多すぎますよね。

 実際に、僕の大好きな作品の中でも当初の想定から路線変更された作品が多々あります。1年間ないしは半年間、どんな形になるのかも分からないパズルをくみ上げていくのを見届けているような感覚があります。だからこそ、できあがった形が歪であろうと、そこに行くまでの過程にとても愛着を覚えてしまいます。

 『牙狼 闇を照らす者』をはじめ、自分が好きな作品は完成形こそ歪であるけど、そのパズルの組み方に熱量を感じる作品が多いですね。制作陣の心意気といいましょうか。それを見届けるのが毎作の醍醐味であるように感じています。

 

―完成形を想像しにくいパズルだからこそ、その過程には見るべきものがある。僕も、歪な形で幕を閉じてしまった特撮作品には幾つも出会っていますが、「絶賛するほどでもないのに何故か嫌いになれない…」と感じることが多々あって。あの何とも言えなかった不思議な感情を、今回のお話の中でれんたろうさんが見事に言語化してくださったような気がしています。

それでは最後に恒例の質問を。れんたろうさんにとって「特撮とは?」を一言でお願いします!

 非常に難しい質問ですよね(笑)。

 今の自分にとって特撮とは「最初のエンタメ」ですかね。

 特撮を観始めたことがきっかけで、映画や漫画など、他の媒体のコンテンツに手を出すことも多くなり、自分の趣味嗜好の拡大につながりました。あの時たまたま見始めた番組が引き金となって、こんなにも毎日の楽しみができるとはまさか思っていませんでしたし、実生活で苦しいことがあった時には何度も力をくれた素敵な作品たちばかりです。

 そんな事を考えると、やっぱり「特撮ヒーロー作品」は多くの子どもにとっての「最初のエンタメ」であると思いますし、誰かにとって毎日をより良くするきっかけを与えるようなものであってほしいなぁと、偉そうにも思っています。

 

―長時間のインタビューお疲れ様でした。とても濃いお話を沢山させていただき、記事を作るのも凄く楽しかったです。ありがとうございました!

話を伺って感じたこと

 雑誌やブログで特撮作品に関する感想文を読んでいると、「整合性」というワードをよく目にします。

 整合性。つまり、その物語において登場人物の言動に矛盾が無いか、基本的な設定が現実に即したものにきちんと整えられているか。僕も含めて、普段から特撮を熱心に見ておられるファンの方々は、そういった部分を常に気に留めながら作品を楽しんでいるという印象があります。

 それはやはり、ゴジラも、ウルトラマンも、仮面ライダーも、現実の世界には存在しない「嘘」であることが見る側にとってある種のコンプレックスになっているからだと思います。誰の目にも「嘘」だと分かっているからこそ、見る側はそれをどうにかして信じたいという心理が働く。「嘘」を大真面目に描こうとするからこそ、そこには整合性が強く求められるというわけです。

 しかし、インタビューの中でれんたろうさんも仰っていたように、作品の制作には「制約」がつきもの。特に近年の特撮作品は、いわゆる「大人の事情」がどうしても見え隠れしたり、それを逆手にとることで全く新しいものを生み出したりと、「立ちはだかる『制約』にいかにして付き合うか」の大喜利大会のようになっている側面があります。その中で、本来守られるべき「整合性」が失われてしまうケースも多々あって。

 特撮を語る際に、諸々が「整っていない」ことは往々にしてマイナスポイントとして捉えられがちですが、れんたろうさんはそれをパズルに例えながら、ご自身が特撮を楽しむ上での大切な軸にされている。完成形が歪なものになったとしても、いやだからこそ、その過程に何があったのかを追求する姿勢は僕も見習わねばと思わされました。

 同時に、NHKの対談番組で『シン・ウルトラマン』について訊かれた樋口真嗣監督が仰っていたことも思い出しました。

金城さんや円谷一さん…当時の人たちがやっぱテレビだし予算もあるし、毎週30分必ず作んなきゃいけないっていう条件の中であれだけのものを、妥協をした上であれだけのものを作ってるとしたら…。その辺のリミッター外したらどんなものになってたんだろうなっていうのを想像しながら作っていて。

 『シン・ウルトラマン』、一体どんな作品になるのでしょうね。「制約を外す」というプロセスを経た先にどんな形のパズルが組み上がるのか。今回、れんたろうさんからお話を伺ったことでますます楽しみになっています。

 

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