僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

阪神タイガースと月見里公園のノスタルジー

今週のお題「好きな公園」

 

 阪神タイガースの公式戦や高校野球の全国大会が行われる阪神甲子園球場。

 

 小学2年生まで、僕はこの甲子園球場のすぐ近くに住んでいました。

 人間の人格形成が一体どの辺りで完了するのかは知りませんが、少なくとも僕という人間を作った場所は、青春時代を過ごした場所でも、今家族3人で住んでいる場所でもなく、小学2年生までを過ごした甲子園球場のある「甲子園町」でした。実際に住んでいた期間は4年ほどなのに、僕の記憶に残っている子供の頃の思い出の半分くらいはこの町のことです。

 甲子園球場、南側の出入口から100mほど離れたところにあるのが月見里公園。黒く大きな蒸気機関車を真ん中にどんと構えた、春になると桜の木が色づく割とオシャレな公園……と認識しています。

 

 ちょうど僕が甲子園町を離れたのと同じ小学2年生になった息子。学校が終わると毎日のように近所の公園で友達と走り回っていて遊んでいます。

 「公園行ってくるわー!」

 甲高い声でお馴染みの報告が届くたびに、僕にとっての「公園」…つまり月見里公園のことを思い出しています。ドナルドダックのサッカーボールを失くして泣きながら探したこと、補助輪無しの自転車に乗る練習に父親が何度も付き合ってくれたこと、そして阪神大震災の記憶。

 はてなブログ今週のお題は「好きな公園」。今日はちょっとばかり、月見里公園について一人語りをしてみようと思います。

 

 

 

 

い出を確認するために

 年に何回か、甲子園球場に阪神タイガースの試合を見に行くことがあります。

 試合が始まるのはナイターであれば18時。だいたい17時くらいに到着して辺りをブラブラしてから観戦へ、というのがいつものコースです。

 その「ブラブラ」の中で、必ず立ち寄るのが月見里公園。

 ちょっと早めに家を出ているのは野球の試合云々ではなく、月見里公園に行くためと言ってもいいかもしれません。大切な思い出に浸れる貴重な機会であることと、自分が生きている間は、自分が育ったこの町の風景が変わっていく様を常に確認しておきたい。そんな気持ちがあります。

 

 僕が遊んでいた頃の月見里公園には、アイスクリームのキッチンカーがよく止まっていました。あのカラフルなキッチンカーには子供ながらに猛烈な憧れを抱いたものです。母親には何度もキッチンカーのアイスクリームをねだりましたが、結局一度も買ってもらえませんでしたね。だから大人になった今も、キッチンカーを見かけるとスーッと体が引き付けられてしまう特異体質になってしまいました。

 公園でテントを張って暮らしていたアウトドアなお兄さん(多分あれは長旅の途中だったと思うのですが)と仲良くなり、何故かククレカレーを2箱ほどプレゼントされた、なんてこともありました。あの時に持って帰って母親が温めてくれたククレカレーがもうめちゃくちゃ美味しくて。あの味が忘れられず、僕は未だにボンカレーよりククレカレー派です。

 いつも遊んでいた、ドナルドダックのイラストが描かれたサッカーボールはこの公園で失くしました。暗くなっても公園でボールを探し続ける僕の泣き声のせいで、近所の親御さんまで出動しての大がかりな捜索が実施されたようです。今でも月見里公園に行くと、あのボールがどこかに転がってやしないかと探してしまう自分が怖いです。

災と仮設住宅

 補助輪無しの自転車に乗る練習も、この月見里公園でした。

 月見里公園には遊具があるスペースとは別に広いグラウンドもあったので、そこで転んでは置き、転んでは置きを繰り返していました。あんな擦り傷だらけの膝で、子供が血を流しながらよくやってたなあと思います。後ろを支える父親の大きな手が本当に心強かったですから。

 自転車の練習を始めた頃くらいに、あの阪神大震災が起きました。

 当時僕が住んでいたマンションは幸い無事だったのですが、近所に倒壊した家屋もいくつかあったらしく、しばらくすると公園のグラウンドには仮設住宅が建ちました。

 あの仮設住宅というのは、「仮設」というだけあって建つのも凄く早いんです。だから僕がいつものように自転車を持って「さあ練習だ」と公園に着いたときには、この間まで無かったはずの仮設住宅が当然のようにズラーッと並んでいて。あのひんやりとした光景は今も忘れられないです。

 結局、その後自転車には自然と乗れるようになっていたのですが、あれだけ練習に付き合ってくれた父親と「乗れた、やったー!」の瞬間を一緒に味わえなかったのは残念でしたね。

わる景色、変わらない景色

 月見里公園には息子も何度か連れて行きました。

 息子が元気に遊ぶ姿に、昔の自分を見たかったのだと思います。

 自分が遊んでいた頃とほとんど変わらない景色の中に息子がいる、というのはやはりいいものです。息子は蒸気機関車にもびっくりしていました。それを見た僕も「どうだ、凄いだろう」って、別に自分のものでもないのに鼻が高くなったりして。息子と一緒にタテジマのユニフォームを着て甲子園へ行くときの、ある種の儀式のようになっています。

 

 もしかしたら、僕が阪神タイガースを応援している理由は、この月見里公園にあるのかもしれません。

 昔住んでいた場所なんて、よほど近所でもなければそんなしょっちゅう見に行くことは無いじゃないですか。だけど「阪神タイガースの試合を見に行く」という大義名分があることで、あの頃の思い出はこの公園を通じて何度も紐解くことができるし、愛着のある町の景色の変わりようも知ることができる。

 今はもう、当時住んでいたマンションも、家族で足繫く通った阪神パークも無くなってしまいました。甲子園球場も阪神タイガースも、あの頃に比べると随分シュッとしてまるで別物のようです。

 だけど、月見里公園だけはほとんど形を変えずにそこにあり続けている。クレヨンしんちゃんの『オトナ帝国』のヒロシじゃないですが、僕にとっては「あの頃に戻れる」唯一と言ってもいい場所なんですね。

 オトナのノスタルジーに付き合わされる息子には同情します。僕も昔の思い出に浸ってばかりではいけない。それも重々分かっています。でも長い人生、そういう時間が少しくらいあったっていいじゃないかと。無くなってから後悔したのでは遅いんだからと、僕もそれなりに人生を経験してきたからこそ、そんな風に思うのです。