僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな7歳の息子とのウルトラ備忘録です。

息子の「正義感」と僕の「生き方」の話

 

 先日、「近所の公園に遊びに行っていた息子が目に涙をいっぱい浮かべて家に帰ってくる」という、ちょっとした事件がありまして。

 

 インターホンが鳴った後、モニターに映っていたのはガクッと首を下げた息子の姿。ドアを開けると、その息子が今にも泣きだしそうな表情で何かを言いたそうにこちらをじっと見つめていました。もうね、びっくりしましたよ。息子が小学校のお友達と外で遊ぶようになってから、こういうことは初めてだったものですから。

 で、話を聞いてみたところ、「○○君に仲間外れにされた」「○○ちゃんにはこんなことを言われた」…だからたまらず帰ってきた、と。つまりその、小学生によくありがちな仲違いが起きていました。

 まあ、子供のうちにこういう喧嘩をするのは全然、悪いことではないですよね。学校って、そういう人間関係のイロハというか、「生き方」を学ぶところでもあると思うので。時には涙を流すことも必要です。

 ただ僕は、元気いっぱいにニコニコで遊びに出かけた息子が、悲しい顔で家に帰ってきたことにもの凄くショックを受けてしまって…。息子にも「もう一回公園に戻って仲直りしてきい」とは言えず、結局その日は家で一緒に過ごしました。

 

 

 

 

み出す勇気を

 この間、ずっと気になっていた『魔女見習いをさがして』という映画をやっと見たんです。これ、僕と同世代の方々には是非おすすめしたい作品。

 女の子向けの魔法少女アニメと言えば今ではすっかりニチアサの『プリキュア』が定番ですが、僕が小学生の頃に同じ時間帯で放送されていたのは『おジャ魔女どれみ』シリーズでした。

 『魔女見習いをさがして』は、『おジャ魔女どれみ』が20数年前にテレビで放送されていた世界、つまり僕らが暮らしているこの世界のお話。子供の頃に『おジャ魔女』を見ていた女性3人の主人公(ソラ、ミレ、レイカ)が、一緒に旅をする中で、大人になって見失ってしまった大切なものを見つける、というのが大まかなストーリーです。

 この映画、何が面白かったのかと言いますと、女の子同士の仲直りの過程。これに凄くリアリティが感じられて良かったんですね。

 旅の途中で喧嘩をして実家の尾道に帰ってしまったレイカに、その原因を作ったミレが直接謝りに行く。会いに行こうと一歩踏み出すきっかけになったのは、3人を繋いでくれた『おジャ魔女』だった、という展開で。

 僕も一つひとつの話を詳しく説明できるわけではないけれど、リアルタイムで『おジャ魔女』は見ていました。

 『おジャ魔女』は単なる魔法少女ドタバタコメディにあらず、現実世界に横たわるシビアなテーマを度々取り上げていたアニメという印象が残っています。その中でも特に覚えているのが、普段は仲良しの女の子たちが些細なことをきっかけに喧嘩をしてしまい、仲直りをしたいのだけれどもお互い勇気が出ない…そんなミクロな人間関係を丁寧に描いていたことでした。

 そして、その仲直りの過程に漂う妙な空気感は、このアニメでしか味わえない独特な手触りで。

 『魔女見習いをさがして』は、『おジャ魔女』のあの手触りをメタ的な構造の中できちんと再現していて実に見事でした。どれみちゃんたちをあくまでアニメキャラとしての存在に留めつつ、原作の「出汁」を巧みに抽出することで、堂々と「続編」と言えるものに仕上げている。作り手の真摯な姿勢がよく伝わってきて、『おジャ魔女』のファンはみんな幸せだろうなと思いました。

しいと思った道へ

 息子が公園で友達から仲間外れにされてしまったこと。

 僕は息子側の話しか聞いていないので、実際に何が起こっていたのかは半分しか分かっていません。向こうには向こうで言い分があるかもしれませんしね。

 それに、ちょっと前に息子のクラスの担任の先生から「息子さんは正義感が強く、授業中に他の子を注意し過ぎるきらいがあります」と指摘も受けていたんです。それでクラス内で目の敵にされることが何度かあったことを聞いていて。

 僕は授業中に騒いでいる子がいても、自分が注意することで変な目立ち方をしてしまうのが嫌な子供でした。だから息子の正義感(それを正義感と呼ぶのかどうかという問題もありますが)については正直あまり理解できません。どうしても、「それ、あんたの役割ちゃうやろ?」と言いたくなってしまう。自分が間違っていると感じたものをひたすら指差していくのは、「生き方」として凄く窮屈でしんどいことですから。

 でもだからと言って、小学2年生の男の子に大人が考える「生き方」を説くのも気が引ける。息子はしなくてもいいことをして自分を苦しめているけれど、決して間違ったことは言っていないのです。「他の子に注意したってお前は何も得せえへんのやから、黙って自分のお勉強だけしとき」とは、思っていても言えませんでした。

 

 家で息子とがっつり遊ぶのは久々でした。一緒にゲームをしたり、ソフビを引っ張り出してリビングにひたすら並べたりして「ああ、保育園の頃は毎週こうして息子と遊んでいたな」と昔を思い出しました。

 翌日、学校から帰ってきた息子。僕のところに来て、昨日自分を仲間外れにした子とちゃんと仲直りできたことを僕に伝えてくれました。どちらからというわけではなく、お互いに歩み寄って手を取り合えたようです。

 息子が泣いて帰ってきたとき、僕は今の自分に何ができるだろうと色々なことを考えました。公園に行って親の僕が間に入ろうか、それとも担任の先生にメールで事情を説明して解決してもらおうか…。

 結局、息子と一緒に遊ぶ以外は何もしなかったのですが、彼らが自分たちで仲直りできたと聞いて何もしなくて良かったと心底思いました。子供の成長のチャンスを一つ潰してしまうところだった、と。

 僕が小学生の頃に見ていたどれみちゃんも、大人になってから見た『魔女見習いをさがして』でも、喧嘩して、そこから頭をひねって自分と向き合って一歩踏み出すことができた人は、みんな人間的に一回り大きくなっていましたもんね。

 今、こんなに真面目なブログを書いている僕の横で、息子は得意の変顔をかましながらおちゃらけてブンブン踊っているわけですが(笑)、この間泣いて帰ってきた頃に比べると随分たくましくなっています。顔つきも違う。

 「生き方」の話なんて、まだしなくていいですよね。「お前が正しいと思った道を行け」と、直接は照れくさいので、ここにこっそり書いておきます。