僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

息子に優しくしてあげられないときのこと

 

 最近の息子(小2)が、まあよく喋るんです。

 

 今ハマっているゲームのこと、学校で起きたできごと、図書室で見つけた面白い本の話。

 『ウルトラマンデッカー』の妄想話も多いです。次に新しく出てくる怪獣はなんだろう、トリガーダークならぬ「デッカーダーク」は果たして出てくるのか、などなど。インプットしたら即アウトプット。子供のハイペースな循環に30過ぎの僕がついていくのはなかなか堪えます。

 こっちにも余裕があれば、そんな息子の話にも全部付き合ってあげられるんですけどね。イライラしていたり時間的に追い込まれているときは、正直そうもいかなくて。

 ときには僕が部屋で作業をしている横にピタッとくっついて延々と楽しそうなことを喋っている。こっちにはもう「なんか楽しそうに喋ってるな〜」くらいしか伝わってない。テキトーに相づちを打っていても「これ聞いてあれ聞いて」と、お構いなしにどんどん情報が出力されていくんです。受け止めきれない。で、余計にイライラしてちょっとキツくあたってしまう。良くないことだと、分かってはいるんですけども。

 

 

 

 

 もちろん、あとから凄く後悔します。

 息子がいつまで、こうして自分の「楽しい」を僕と共有しようとしてくれるかは分かりません。

 学校でのこと、友達とのこと、ある日突然喋ってくれなくなる可能性って全然ある。ウルトラマンだって急に飽きて見なくなっちゃうかもしれない。今しかない。今しかないからこそ、もったいないことをしたなあという後悔が襲ってきます。無下にしてしまった息子にもすまん、という気持ちです。

 でも、後悔すると分かっていても、人間イラッとするときはイラッとするわけで。余裕がないときはない。それもまた現実です。

 仕方ないんですよねえ、本当に。自分の子供の成長を見守るというのは、こういうモヤモヤを積み重ねて抱えて、それらと付き合っていく、ということなのかもしれません。

 今日の息子が僕に何を話してくれるのか、それはそれで家に帰るまでのお楽しみではあるんですけども。少しでも受け止められるよう、準備体操くらいはしておかなきゃいかんなあと思っているところです。