はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
息子が生まれた7年前の、あの日。
出産予定日に休みを取り、家でじっとしているのも落ち着かなくて、嫁さんの好物のお寿司を食べに出かけました。それも1皿100円じゃないお高いやつ。丸一日嫁さんと2人でソワソワしながら過ごしたものの、結局その日は産まれる気配が無くて。
「この子の誕生日は何日になるだろうね~」と一日を終えようとしていた夜の11時半ごろ。嫁さんが急にうずくまって「あ、これ来たかも…」と。
慌てて産婦人科に電話をかけ、病院まで車を走らせたあの15分弱。僕の人生で最も緊張感のあるドライブでした。ただ不思議なもので、ハンドルを握っている間の記憶は鮮明に残っているのですが、病院に着いて嫁さんと病室に入った辺りのことは全然覚えていない。多分、軽くパニックになっていました。
息子が産まれたのは、翌日の早朝6時半ごろだったと思います。
3時間近くの陣痛と出産の痛みに耐えた嫁さんのたくましさに驚き、背中をさするか「がんばれ」と声をかけるくらいしか出来なかった男の無力さを痛いほど感じ、そして産まれてきた息子の顔がまあ可愛いこと。出産の立ち合いには正直怖さがあって(血を見て倒れちゃわないか的な…)、どうしようか直前まで迷っていたんですけど。嫁さんの差し出した指を、産まれたばかりの息子が小さな手でぎゅっと握っているのを見て「立ち会えて良かった」と心底思えた記憶があります。
と、ここまではよくある「子供が生まれた日」のお話。
息子が産まれた直後のことです。僕の母親から一本の電話が。母にとっても初孫の誕生で、電話越しに喜びが伝わってきたものの何処か様子が違っていました。聞くと、「実は昨日おばあちゃんが亡くなった」と。
「おばあちゃん」とは母の実母であり、僕にとっての祖母のことです。
愛媛で暮らしていた祖母は、10年ほど前から寝たきりの状態でした。関西にいる僕も年に一度会う機会があり、同じく関西在住の母は仕事をしながら時々愛媛に帰って介護をしていました。母は高校卒業と同時に故郷の愛媛を離れたそうですが、特に祖母が寝たきりになってからはその決断への後悔を僕によく語っていましたね。
お通夜と葬儀の準備のために愛媛へ向かう途中、母は産まれて間もない孫の顔を一目見ようと僕たちのいる病院に顔を出してくれました。孫の寝顔をガラス越しに見ながら、
「おばあちゃんの生まれ変わりかもね」
と、少し安心したように呟いた母の優しい表情は、今もはっきりと脳裏に焼き付いています。
僕も母も、例えば輪廻転生とかそういうオカルト的な話はあまり信じないタイプなんです。テレビでそういう番組が流れていたら、2人で小馬鹿にして「んなことあるわけないじゃん」とツッコミを入れたりしていました。
だから母の口から「生まれ変わり」という言葉が出てきた時は、一瞬信じられなかったですもんね。人間誰しも、そういうものを信じたくなる時がやって来るのだなと。母にとって、あの日の息子は確かに「おばあちゃんの生まれ変わり」でした。
あれから7年経った今も、孫を見守る母の目の優しさは変わっていません。自分の母親と生まれ変わるように孫が生まれたあの日のことは、母の記憶にも生涯残り続けるのでしょうね。僕にとってそうなのだから、母にとってもそうなるはずだという確信にも近い思いがあります。
コロナ禍ということもあり、そう簡単に愛媛へお墓参りに行くことも出来ないのがとても残念なのですが。息子がもう少し大きくなった頃、祖母のお墓の前で息子に「生まれ変わった」あの日のことを教えてげようと、そう思います。