昭和のウルトラシリーズだと僕は『帰ってきたウルトラマン』が一番のお気に入りなのですが、息子の最近のブームは『ウルトラマンA(エース)』。
「てっててーててててっててー♪」
リビングから毎日聞こえてくる息子の歌声。ウルトラマンエースの主題歌を、歌はもちろんイントロから間奏まで全パートを口で再現しようとするその生真面目さ、僕も少しは見習いたいものです。でも、なんでまた急に『エース』なんだろう?
思えば、僕が子供の頃の『エース』と言えば、とにかく「ちょっと変なウルトラマン」という印象でなかなか取っつきにくい存在でした。中でも最も抵抗のあった設定が男女合体変身。星光子さん演じる南夕子の妙にハキハキした発声も相まって、子供心に画面を直視するのが恥ずかしかったことをよく覚えています。
しかも、南夕子は途中で月星人であることが判明し地球を離脱。その後は片割れの北斗星司が両手に指輪をはめて一人で変身…って、「じゃあこれまでの話は一体何だったんだ!」と(笑)。
今でこそツッコミながら楽しめますが、子供の頃は無理矢理感が満載の展開に何だか見てはいけないものを見てしまっているような不気味さを感じ、正直あまり好きになれなかった『エース』。しかしそれを今、5歳の息子がテレビにかじりついて見ている。今回は、令和の時代を生きる5歳児もハマる『ウルトラマンA』の魅力について考えてみます。
エースの願い
現在、円谷プロのYouTube公式チャンネルでは「Stay At Home With ULTRAMAN」と題して、歴代のウルトラシリーズの中から今伝えたいメッセージと共に厳選した10作品を配信する試みがスタートしています。
その第1弾に選ばれたのが『ウルトラマンA』の最終回、『明日のエースは君だ!』。ウルトラシリーズのファンにはあまりにも有名な、地球を去るエースが少年たちに残した最後の言葉をここで引用しておきます。
「優しさを失わないでくれ。弱い者を労り、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが、何百回裏切られようとも。それが私の、最後の願いだ」
これをソラで言えてしまう自分がちょっと怖いのですが(笑)。確かに、今まさに僕たちが胸に刻んでおくべきメッセージという感じがしますね。
宇宙の遊牧民族・サイモン星人に化けたヤプールの残党がウルトラマンエースを抹殺するために仕掛けた罠。ウルトラ兄弟のお面を被りサイモンをヤプールから守ろうとした少年たちの優しさと信じる気持ちを、結果的に裏切ることとなった北斗星司の無念さはいかばかりか。引用した最後の言葉も含め、『エース』のこの結末は何度見ても胸の奥がキュッと締め付けられます。
ヒーローのあるべき姿
最終回に限らず、『エース』では「人間同士の信頼」に重点を置いた展開がとても多くて。
主人公の北斗がTACの同僚にすら全く話を信じてもらえなかったり、ヒッポリト星人の回では、父親を超獣に殺された男の子が竜隊長に「TACなんて駄目だよ!あんなエースも早く星人に渡しちまえばいいんだ!」と怒りを露わにする。
もちろんそれぞれのドラマには子供番組らしく前向きな結末も用意されているわけですが、見終わった後に印象に残り続けるのは、人間誰しもが持っている負の部分…信じることの怖さや優しさの裏にある激しい情動だったりする。トラウマ回の多い第2期ウルトラシリーズの中でも、特に『エース』はその辺りをオブラートに包まず生々しく描いている気がします。
僕は、『エース』のその生々しい感じが正直苦手でした。娯楽としての楽しさより先に怖さが来てしまう。トラウマとも違う、本能的に目を背けたくなる感覚。しかし30歳を過ぎ、それなりに社会経験を積んだ今見ると、人間の普遍的な負の部分を描いたドラマに自分でも不思議なほど奥深さを感じてしまって。
最終回。街を壊されたくなければサイモンを渡せというヤプールの要求に対し、北斗は「そんな要求を呑めば少年たちの気持ちを踏みにじってしまうことになる」と反対。「家や街はまた建て直すことが出来ても、少年たちの気持ちは一度踏みにじったら簡単には元に戻らない」と言います。
これ、地球防衛の中枢であるTACの司令室で繰り広げられている会話なんですよ。地球の危機にもの凄くミクロな視点から立ち向かっていて、僕は子供の頃…どころか、本当につい最近までこの展開に全然ついていけなかった。「そうは言っても、街を守んなきゃどうにもならないじゃん」と。
それが今は、自分に子供が出来たことも大いに関係しているのでしょう、地球の危機を目前にしても「少年たちの気持ち」を第一に考えられる北斗星司という人間に、僕は「ヒーローのあるべき姿」を見ています。そして、そこを突いてくるヤプールの卑劣さも…。
フィクションの役割
最終回の配信は息子と一緒に見ました。令和の5歳児の目には『エース』の結末がどう映ったでしょうか。
息子が『エース』にハマっている最も大きな理由は、怪獣よりも強いとされる“超獣”の存在。タブレットでYouTubeを見ながら「ジャンボキングのお人形欲しいな~」とつぶやく5歳児、なかなかカオスな光景です。ベロクロンやバキシムといった傑作超獣はもちろん、シリーズ後期に登場するケバケバしいデザインの超獣にも魅力を感じているようです。ファイヤーモンスのソフビなんか売ってないって。
僕は普段、特撮やアニメを一緒に見ている息子に補足説明みたいなことはあまりしないのですが、こと『エース』の最終回に関しては、シーン毎にこと細かく解説を入れたくなってしまいます。ウルトラ兄弟のお面を被ってサイモンをいじめる少年たちに北斗が「ウルトラ兄弟は弱い者いじめはしない」と叱るところで、「な、あんたも北斗の言うてること分かるやろ」みたいな(笑)。
『エース』でメインライターを務めた脚本家の市川森一さんは、例の最後の言葉を自らの方向性と合致しなくなったウルトラシリーズへの「捨て台詞」のつもりで書いたといいます。その捨て台詞が、ファンの間で名言として語り継がれているというのも実に皮肉な話ではあるのですが…。
ウルトラマンに、「どの星」ではなく「どこの国」という言い方を敢えてさせているのが、僕は凄くいいなと思うんです。「これは架空の物語だけれども、そこで繰り広げられている内容は現実の世界のお話なんだよ」という作家のメッセージがその言い方に込められている気がして。
エースの願いは果たして息子に届いているのか。その答えが分かるのは、まだ何年も先の話なのでしょうね。父親として、首を長くして待とうと思います。