僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

この2ヶ月の間に息子が見せた変化をつづる。

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 「今はコロナやからおうちから出たらあかんねんでー!」

 

 とうとう息子の口からも、「コロナ」という単語が出てくるようになってきました。僕は、彼に説明するときに直接「コロナ」とは言わないようにしていたんですけどね。ここ2ヶ月近くの間、テレビのニュースからも大人同士の会話からも、「コロナ」の3文字が聞こえてこない日はありませんから、これも自然な流れなのでしょうね。

 息子の通う保育園でも登園制限が始まり、親の職種によってはしばらく登園出来ない子が出てきています。いつもなら20人はいる息子のクラスも、この間迎えに行ったときは広い教室にたったの5人しか園児がいませんでした。保育園生活最後の1年なのに、仲良しの子とまたいつ会えるか分からないなんて辛いよなあ。

 休みの日。せめて1日に1回、日の光くらいは浴びようと息子を連れて近所を散歩しています。うちの子は変に物分かりの良いところがあって、この状況でも外で遊びたいなどと駄々をこねたりはしないのですが、僕が「一緒にお散歩行こうか」と声をかけた時のテンションの上がり具合がコロナ以前に比べると格段にアップしていますね。やっぱり、少なからずストレスにはなっている。

 自転車に乗ると彼の中の“ライダー魂”に火がつくのか、散歩中に急に立ち止まったかと思えば、

「へーん、しん!」と(笑)。

ちなみに写真のポーズはV3とのことです。

 

 

 

 

巻く感情

 イベントに行けない寂しさを埋めるように、息子とのおうち時間はウルフェスやTHE LIVEのバトルステージの様子が収録されたDVDをよく見ています。

 ただ、ついこの間まではテレビの前でウルトラマンに「がんばれーっ!」と大声張り上げて声援を送っていた息子も、最近はじっと座っておとなしく見るようになりました。物事を客観的に見る力が育ってきているのか、見終えた後に「タイガが出てきたときの音楽が良かったなあ」などと、ちょっと得意気に語る様子が微笑ましくて。彼の中で、ウルトラマンの楽しみ方が少しずつ変わってきているようです。

 またこれまでのように親子でイベントへ行ったりする日々がいつ戻って来るのか分からない状況で、息子の成長には嬉しさと焦りの感情が半々、といったところ。

 子供にとっての1ヶ月、2ヵ月って、大人が考えているよりもうんと長いですから。平穏な日常がいつかは戻ってくるとしても、今の息子には今しか会えないわけで…そう考えるとやっぱりちょっと焦ります。息子の本気の「がんばれーっ!」を、あと1回くらいは聞きたいなあと思っているのですが…親のエゴでしょうか。

子の「僕」

 変化と言えば、寝る前の「パパ明日お休み?」が恒例になってきて。

 僕が「ごめん、明日はお仕事やねん」と伝えると露骨に寂しそうな表情を見せるようになりました。保育園に行っても、仲良しの子がいないとつまんないもんね。だんだん強がれなくなってきている息子を見るのが少し辛いです。

 あと、息子の一人称がこれまでは自分の名前だったのがいつの間にか「僕」に変わりました。これは分かりやすい成長の一つですね。

 僕はまだまだ息子の「僕」には違和感しかなくて、会話のラリーが一瞬止まってしまうんです。だって、この間まで自分の名前を連呼していた子が、急に胸張って「僕の番です」とか言ってスマホをぶん取ってきたりするんですよ。「僕」って言えば何でも通るみたいな(笑)。

 コロナの影響で久しく会っていない僕の母親や親戚が息子に会ったら、ここで書いている一つひとつの変化もより一層大きな成長として感じられるのでしょうね。「うわー、大きくなってー!」とやや大袈裟に喜ぶ顔が目に浮かぶ。そのときは僕も、後ろでこっそり胸を張っておこうと思います。