息子、はじめての京阪電車。これで君も立派な「おけいはん」だ。
先週の日曜日、ひらかたパークで開催された「ウルトラマントリガー&ゼットショー」に家族で行ってきました。
大阪は枚方市にあるひらかたパークでは定期的にウルトラマンのショーが開催されており、これまでにもジード、ルーブ、タイガと、毎年最新ヒーローの雄姿を息子と応援しに行くのが恒例行事となっていたのですが…やはり、ここでも「コロナ禍以前・以後」の話題を避けて通ることは出来ません。
今回のトリガーショーも、昨年のゼットショーから約1年ぶりの開催でした。コロナ禍以前は大体3ヵ月に1回くらいのペースで開催されていたショーの回数が自粛ムードの間にぐっと減ってしまったんですね。
ひらパーだけではなく、以前は近所の住宅展示場やショッピングモールにウルトラマンが来てくれることも沢山あったのですが、最近はめっきり聞かないです。
そんな中で、待ちに待ったトリガーとゼットのタッグバトルが、最近ちょっと「照れ」の感情が表に出始めた小学1年生の息子の「秘めた思い」に火をつけた…というのが今日のお話。
ショーならではの魅力
僕はヒーローショーの何が好きかって、ショーそのものよりもそれを真剣に見ている子供たちの反応なんです。
見るからにボロボロでくたくたになった着ぐるみの怪獣たちが1回目のバトルでヒーローを苦しめるお馴染みの展開。そこから司会のお姉さんが客席にいる子供たちに「みんなでウルトラマンを応援しよう!」と語りかけ、奇跡の復活を果たしたヒーローが一度は敗れた敵にリベンジを果たす。王道の中の王道を行くストーリーには実家のような安心感があります。
周りの子供たちが、目の前のウルトラマンに「がんばれーっ!」と必死に声援を送る姿が微笑ましい。
うちの息子はもう随分前から声を張り上げたりしなくなっちゃったんですけどね。でも、ショーの時にこっそり彼の手元を見てみると、持って来たウルトラマンのソフビをいつもよりぎゅっと握っていたりして、「ちゃっかり『手に汗握ってる』やんけ~」ってなるのがまた楽しくて(笑)。
いくつになっても、ヒーローが敗北する姿にはハラハラさせられるものがあります。それはやっぱり、映像とは違うショーならではの「生」の魅力。
今回のトリガーショーでも、ムルチという怪獣がトリガーの背中を容赦なく踏みつける場面で、もちろんそれはアクターさんのお芝居なわけですけど、トリガーがあまりにも苦しそうに手を伸ばしていたので大人の僕が思わず「あぁ…」と声を出してしまいました。客席から、ステージから、ショーにはそういう「人の息遣い」が直に伝わってくる良さがあります。
声を出さずにウルトラマンを応援する方法
コロナ禍の今は、ショーの間に客席から大きな声を出すことが禁止されています。
あの甲高い「がんばれーっ!」が聞けないのは、そりゃあもうめちゃくちゃ寂しいです。子供たちはみんなちゃんと言いつけを守っていて、それを見たおじさんの僕は「えらいぞ、チビッ子たち…」なんて思ったりもするんですけど。
じゃあ子供たちはどうやってヒーローを応援するのかというと、「気持ちを込めた拍手」と「両手を前に出して思いを伝える」この2つのアクションを、司会のお姉さん主導でショーの前に一度練習するんですね。
声を出せない中でこういう方法もあるんだなあと僕が感心していたら、隣の息子から急に厳しい目線が…
「ほら!パパも両手出して!ウルトラマン応援せんでどうすんねん!」
と、こう言うわけです。いや、あんたもうウルトラマンに「がんばれーっ!」とか言わなくなってたやん。これは全力でやるんかい。そんでもってパパにも強制参加させるんかい、と(笑)。
なんかね、凄く意外だったんですよ息子のその必死さが。小学生になって、ウルトラマンの他にも好きなものが沢山出来て、ウルトラマンが作り物だということももう大体理解していると思うんですけど、「応援せんでどうすんねん!」と気持ちだけはウルトラマンの存在を本気で信じていたあの頃とそんなに変わっていない。
照れ臭さもあってか以前から声に出さなくなっていたけど、ステージのウルトラマンに向かってぐーっと両手を懸命に伸ばす息子の真剣な横顔には迫るものがありました。心の中でめっちゃ「がんばれーっ!」って叫んでるやん。僕はあんたを頑張れって応援したいわ。
子供たちの応援がウルトラマンのエネルギーとなって怪獣は無事に撃退されたわけですが、ショーを見た後に自分の中の「ウルトラマン熱」が急上昇するあの感覚は、まさにコロナ禍の間に忘れかけていたものだった気がします。
家に帰って変身アイテムのおもちゃを触りたくなる、最新回の録画をもう一度見直したくなる。ショーという場で、自分もそこに参加することで好きなものに対する熱量を再確認する。その日は帰ってから家で息子と「トリガー祭り」でしたもんね。DXガッツスパークレンスがめちゃくちゃ遊ばれていてパパは嬉しいぞ。
コロナ禍が早く終わって欲しいのはもう言うまでもありませんが、成長していくにつれて父親には段々見えづらくなっていく息子の「秘めた思い」に触れることが出来た今日という一日を、僕は大切に覚えておこうと思います。