僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

YouTube世代の息子に「リアタイ」の尊さを伝えたい

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 今日の『ウルトラマンクロニクル ZERO&GEED』。

 『劇場版ウルトラマンジード つなぐぜ!願い!!』の分割放送の第1回目だったのですが、80分弱の映画を2回の放送に詰め込むスケジュールはやはり無理があったのか、大事な場面がほぼほぼ端折られていてほとんどダイジェスト版のようになっていました。

 横で見ていた息子が、「この映画懐かしいなぁ」と自分が3歳だった頃のことを思い出しながら年甲斐もなく感傷に浸っていて、それはそれで面白かったんですけどね。好きな作品だけにもう少し丁寧な扱いをして欲しかったのが正直なところでした。

 実は、土曜朝のウルトラマンを息子とリアタイしたのは結構久々でして。「特撮もアニメもやっぱりリアタイに限るよねぇ」なんて思いながらテレビを見ていたら、息子が僕にこんなことを言ってきました。

「このCM飛ばしてー!」

いやいや…これ今放送してるやつだから。でもあれか、息子は普段からテレビよりもYouTubeを見ている時間のほうが長い。ウルトラマンにしても、自分の好きな場面を自分で探してそれで終わり…ということがかなりの頻度である。では教えてやろう、CMも飛ばせない、スキップも出来ない、途中でトイレも行きにくい、テレビの前にただただ座って見ていることしか出来ない「リアタイ」の醍醐味を!

 

レビを「体験」する

 自分が子供の頃に好きだったテレビ番組を思い返すと、やっぱり「リアタイ」していた番組の記憶の残り方は強烈なものがあります。

 僕の場合、主にレンタルビデオで見ていた昭和のウルトラシリーズよりも、毎週決まった時間にテレビの前に座って見ていた『グリッドマン』や『カクレンジャー』のほうが覚えているし思い入れもちょっと特別。番組の内容と同時に、その頃の部屋の雰囲気だったり、家族の何気ないやり取りだったり…なんかよく分からないけど覚えていて。番組を楽しんでいたというより、その時代の空気と一緒に「体験」したような感覚。

 もちろん当時からビデオテープに番組を録画をすることは出来ましたし、実際にテープが擦り切れるまで何度も見ていました。ただ、ビデオのように早送りも出来ず、テレビで放送されているものをただ見るしかないという状況は最初の一度だけなんですよね。あの緊張感の中で、自然と感覚が研ぎ澄まされていたからこそ色々なことが記憶に残っているのかな、と。

からどうにでもなる時代

 それこそ、僕の両親が子供の頃にまで遡ると家庭用のビデオすらも普及していない時代。テレビ番組はその日、その時に放送されたものを見逃すともう二度と見られなかった。「ビデオがあるなんて今の子はいいねぇ」と、僕の後ろで母親がよく小言を言っていたのを思い出します。

 「夕方のアニメを見るために学校から急いで家に帰ってきた」とか「父親が見るプロ野球中継のせいで好きな番組を我慢せざるを得なかった」なんて子供時代の鉄板エピソードも、今の時代だと全部録画や配信で片が付いてしまいますよね。後からどうにでもなる。

 ただそのせいで、テレビを「体験」する緊張感を今の子たちはほとんど味わっていないし、その必要性も感じていない。最近息子はウルトラマンの他にポケモンにもハマっていますが、アニメはハードディスクに録画が溜まっていくのを待ってますもんね。何曜日の何時に放送されるなんてことは全く気にしていない。

 もちろん配信には配信の、YouTubeにはYouTubeの良さがあります。そして息子には、自分が面白いと思ったものを選ぶ権利があります。だから僕のほうから無理に「テレビは全部リアタイ!」などと強制することは出来ないのですが、リアタイすることで得られる喜びがあることは感覚として知っておいて欲しいと、テレビで育った人間として強く思います。

撮ヒーローという原体験

 土曜朝のウルトラマンに関しては僕が極力リアルタイムで見ようとしているせいか、息子にも視聴習慣がついています。ただ、たったの30分でもちょっとウルトラマンや怪獣が画面に出てこなくなると集中力が続かない場面もあって。YouTubeの後追い配信なら、指でなぞるだけで好きな場面まで飛べることを知っているからでしょうか。

 番組に集中し過ぎてぐっと画面を見つめていたら、パッといいところでCMになって我に返る。リアルタイムで見るテレビには、決して毎回ではありませんが、自分の心と体がいつの間にか画面の向こう側にまで動かされている不思議な魅力を感じることがあって、それは映画館でもネット配信でも味わえないテレビならではのものだと僕は思っています。

 没入感はあるんだけど、時々現実に引き戻される。自分ではコントロール出来ない綱渡りのような独特の緊張感が、その記憶をより強烈なものにしていく。僕にとっては、幼少期に見た特撮ヒーローがその原体験でもありました。

 そもそも、昔はテレビをリアルタイムで見ることの魅力なんてわざわざ見出そうとはしていませんでした。それしか選択肢が無かったわけですからね。しかし時代が変わり、新しい媒体が登場し、息子のような新世代の様子を観察することで、僕はテレビを「リアタイ」することの醍醐味に気付かされました。

 息子にとってはもしかしたら鬱陶しい時があるかもしれませんが、「一緒にテレビをリアタイする」習慣は、彼が大きくなっても少しは残しておきたいものです。