僕が僕であること(仮)

ジードとルーブが大好きな4歳の息子とのウルトラ備忘録です。

夢は持たなくていいけど、想像力を持っておいてほしい。

f:id:ryo_nf3000:20190420174220j:plain

 息子には常々、「夢なんか持たなくていいから、想像力だけは持っておいてくれ」と思いながら接している。そしてそれを、彼が成長していく過程のいつ、どこでどうやって伝えようかと考えている。

 4歳にもなれば、「将来の夢」的なことを自分の中に抱き始めてもおかしくはありません。息子は保育園の先生から「○○くんは大きくなった何になりたい?」とか訊かれたとき、どう答えているんだろう。父親としてはかなり興味あります。

 今、学校でそういう教育をしているかは知りませんが、僕が小学校高学年から中学生くらいにかけては、とにかく先生たちから「夢を持ちなさい」と口うるさく言われた記憶があります。何事も頑張る人は夢や目標を持っているものだ、と。そして僕も、夢や「なりたいもの」が比較的沢山あった子供でした。

 今回は、30歳の僕が息子に伝えたい夢と想像力の話。大人になって分かった、あの頃の自分に足りなかったものを自己分析してみます。

 

なろうと思えば何にでもなれた頃

 息子はもちろんですが、保育園で元気に遊ぶ子どもたちを見ていると「この子たちは20年後、どうなっているんだろう」と想像を巡らしてしまうときがあります。

 彼ら彼女らは、今からなら何にでもなれる。正確には、なろうとする権利を持っている。俗に言う「無限の可能性」というやつですね。

 例えばプロスポーツ選手になるにはひょっとしたら特別な才能が必要かもしれないけど、それでも本気で目指すことは子供のうちなら誰にでも出来ますし、周りの大人たちもそれを温かい目で見守るに違いない。この環境ってほとんど特権に近いと思います。

 ちなみに僕は、小学生の頃は絵描きになりたいと思っていました。クラスに僕より絵が上手な子はずっといなかったし、サッと描いただけでみんなが驚き、褒めてくれました。

 中学生の頃は記者になりたかった。国語の成績が良くて、読書感想文なんかは誰よりも早く、そして担当の先生が喜ぶようなちょっと捻った文章を簡単に書くことが出来ました。

「お前、将来は新聞記者になれ」

当時の担任の先生にそう言われ、大人がそう言うんだったらなりたいと思いました。

僕に足りなかったもの

 現実、僕は絵描きにも新聞記者にもなっていません。

 今でも絵を描くのは好きですし、文章もとても記者なんてレベルではありませんが、こうしてブログにちょこちょこ書いたりしています。

 ただ当時の僕には、夢を叶えるための想像力が圧倒的に足りていなかった。

 絵描きになるには具体的に何をしたらいいのか。実際に新聞記者になった人が、これまでしてきたことは何なのか。学生時代の僕は、これらを想像し、考えて調べて自分にフィードバックするというプロセスを全く踏んでこなかったのです。

 周りの人たちに比べたらそこそこ上手い絵と、そこそこ上手い文章。当然、周りの人たちは褒めてくれます。僕はそこで満足しきっていました。これだけ他人に褒めてもらえるんだから、何かにはなれるだろうと高を括っていたわけです。

 高校に入ってからは周囲の目を気にして特に好きでもない運動部に入り、なんとか「普通」であろうと無理をしていた気がします。あんなに好きだった絵も文章を書くことも、高校の3年間はほとんどしませんでした。夢を叶えるという意味ではとてつもなく大事だったはずの3年間、とにかく僕は「普通」でいたかった。

想像する力

 大した努力もせずに、ただなりたいものが沢山あっただけの僕。そのせいか、今も仕事をしている最中に「あれ、俺こんなとこで何してんだろ」と不思議な心境に陥ることがあって。

 学校の先生たちは、自分の持った生徒にはきちんと夢を答えてくれたほうが都合がいいのかもしれません。でも僕は自分の経験から、息子には「夢なんて無理に持つものじゃないよ」と伝えたい。

 学校の宿題でみんなの前で発表する「将来の夢」なんて適当に答えておけばいいと思います。大事なのは、それが本当に自分の意思から生まれたものなのかどうか。誰かの顔色をうかがってない?自分をちょっと良く見せようと無理してない?無ければ無いって、正直に言えばいいんだよ。

 代わりに持って欲しいのは、想像する力です。

 自分が何かになりたいと思ったとき。そのためには何をしなければならないのか、最初は的外れでもいいから、自分の頭で想像できるようになってほしい。絵描きになりたいなら、自分よりもっと上手に絵を描ける人を探して勉強する、記者になりたいなら実際になった人の話を聞きに行く。想像することで、自分の行動をより具体的な形にしていくことができます。

壁にぶつかりながら…

 学校の勉強って何の役に立つんだろうと、学生のときは僕も思っていました。特に苦手だった数学はその疑問が頭から離れず、途中で理解することをあきらめました。

 でも大人になって思うのは、世の中に出ると苦手な分野や「これ何の役に立つの?」と感じる様々なことを、自分の力で解決しなきゃいけない局面に必ず立たされる。苦手でも、成績自体は悪くても、ちゃんと理解することをあきらめなかった人は、そういう局面で強いと思います。

 子供の頃に夢がなくたって、大人になってから夢を持つかもしれない。そのときに、自分で考える力が無かったら何もできない。実際、受験勉強もほとんどせずに何となく上手いこと学生時代を乗り切ってしまった僕は、大人になってからこの「考える力」の無さがコンプレックスになっています。常に誰かの意見を聞かなきゃ何も決められない。

 息子の夢…と言っても、今はまだ「ウルトラマンになりたい」とかそんなのです。でも、そこから想像を広げることはできる。「ウルトラマンになるにはどうしたらいいの?」って考えられたら、それは彼にとってとてつもなく大きな成長だと思うんですよね。

 そして何事においてもその想像力さえ発揮できれば、息子が本当に夢を持ったときにきちんと行動に移せるでしょう。夢が無ければ無いで、自分のすべきことを考えることができはずだ、と。

 いや、人生そんな単純にはできてないって僕も分かってますよ。でも、せめて息子には、父親の後悔くらい知っておいて自分の人生に生かしてほしいと思うんです。