僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

自分にとっての「ブログ」とは何かを考える

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 いきなり堅苦しいタイトルですみません。

 今日はブログそのものに関するお話です。基本的には、書きたいことがあったときに気ままに書いていくことを意識している当ブログですが、しばらく更新せずにいるとPV数が急激に落ち込んだりして、僕も気にしないとは言いつつもやっぱり「そろそろ書かなきゃ」と焦燥感にかられることが全く無いとは言えません。

 今日はせっかくの休日で特に予定もないし、ブログでも書こうかなとパソコンの前に座ったのですが…。正直、特に書きたいこともなく膠着状態。「書きたいことがないのに書こうとする」ことがどれだけ無謀なことなのかを実感しています。そう考えると、誰かから依頼されて記事を書くプロのライターさんやほぼ毎日のように記事を更新し続けているブロガーの方々は本当に凄いなと思いますね。書く体力と語彙力、面白いネタを見つける気づきの力がハンパない。

 

分を保つために

 先月から職場が変わり、以前に比べると自分の時間はかなり増えました。休むペースも一定で非常に規則正しい生活が出来ているなと感じます。家の中でイライラすることも減り、今は息子と一緒に遊んでいる時間が一番楽しい。

 ブログの更新頻度が上がらなかったり、ネタをなかなか思いつかなかったりするのは、私生活が充実してきた証拠なのかとも思います。僕は文章を書くスピードが遅く、最近は1つの記事を完成させるのに最低でも5~6時間くらいかかっていました。それくらいの時間があるなら、息子と外へ遊びに行こう、映画でも見ようとか、別の選択肢に手が伸びることが現状増えています。

 以前は、日常生活の中で最低限保っておきたい自己肯定感を、ブログを書くことによって満たしていたようなところがありました。少なくとも今年に入ってからくらいは、そういった目的でブログを書くことが減ったなと思います。それが自分にとっていいことなのか、悪いことなのかはまだ分かりませんが…。

ょっとくらいは自惚れたい

 だからと言ってブログそのものを止めようと思わないのは、自分を発信できる場所をちゃんと確保しておきたいからなのでしょうね。

 Twitterも楽しいんですけどね。気軽につぶやけてしまう分、後で自分のツイートを読み返すと「何書いとんねんこいつwww」と自分でツッコミを入れてしまうことがしばしばあって。ホームビデオで昔の自分を見返したときの照れくささみたいな。ブログにももちろんそれはあるんですけど、少なくともTwitterよりはちゃんと人前で舞台に上がって発信しているような感覚があります。

 あまり大きな声では言えませんが、自分の書いた記事を読み返して「なかなかいいこと書いてるやん」と自画自賛してしまう時ってあるんですよ。自分がこのブログの一番ファンだっていう、どうしようもない自惚れです(笑)。

 自分でも意外なほど上手く書けていたりすると、「これ本当に僕が書いたっけ?」とその頃の自分にインタビューでもしてみたくなる。ブログに書いた文章は形として残りますから、その積み重ねがちょっとした自信になったりもします。

気ない日常を残したい

 昨日は、ひらかたパークで行われたウルトラマンルーブショーに家族で行ってきました。

 ショーは朝の回とお昼の回があり、僕たちは朝の回を見てからひらパーで遊んで帰ろうというスケジュール。カツミとイサミ、そしてひらパー初登場のアサヒと豪華メンバーで行われたショーは楽しく、息子もキャッキャと喜んでいました。最後のハイタッチ会では、息子があまりにも全力でカツ兄とイサ兄の手の平を叩くもんだから、後ろの僕がペコペコ頭を下げるという一幕も。恥かかせるなと(笑)。

 たっぷり遊んでさあ帰ろうかという頃。ちょうどお昼の回が始まる直前の野外ステージを、羨ましそうに見つめる息子の背中がちょっと寂し気で。大人の僕たちよりも、ずっとずっと濃密に感じているであろう楽しい1日が終わってしまうことへのせめてもの抵抗だったのでしょうか。 

 でも前のように「見たい見たい」と涙を浮かべて駄々をこねることもなく、彼なりに納得した表情で出口へ向かう姿には成長を感じました。明日も明後日も、きっと楽しい1日になるよ。

 時間の経過と共に流れていってしまう、日常の中でふと感じたこと、息子の小さな成長。特に書きたいことがなくても、パソコンの前に座れば残しておかなきゃと思うことが結構あるものですね。