僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

YouTube ハマる息子に モヤる僕

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 息子が現在絶賛ハマり中なのがYouTube。

 僕が仕事から帰ってくるなり、息子の

「ゆーちゅーぶ見ていいー?」

という甲高い声が家中に響き渡る。4歳の男の子がタブレットの画面を指でなぞりながら、YouTubeで好きな動画を探している光景。

 まだネットで気軽に動画を楽しむ文化が無かった時代に登場したYouTubeに、マイパソコンで恐る恐るアクセスしていたのは僕が高校生の頃ですから、本当に時代が変わったことを実感させられます。息子とその同世代の子どもたちは、生まれた頃には既にスマホがあり、見る映像の半分はテレビだけではなく、スマホやタブレットを通じて楽しむことが当たり前になっている。

 ギリギリ昭和生まれ世代の僕としては、その光景を素直に受け止めきれないモヤモヤ感があるのも事実で。特に自分の息子となると、お絵描きをしたりひらがなカタカナを楽しく覚えようという大切な過程を踏むべき時期にYouTubeが入り込むことを頭の中で理解しきれない。このまま彼にYouTubeを自由に見せていていいものか…。

 

妬心と自尊心

 ユーチューバーの動画を何よりも面白がる息子を見て、僕は何とも言えない気分になります。あえて言葉にするとしたら、独占欲、嫉妬心のようなものでしょうか。だって、僕と一緒にテレビを見たり遊んだりするより、1人でYouTube見るほうが楽しいと言われているようなものですから。はっきり言って悔しい。

 だからと言って、息子に対して「YouTube見るの禁止!」というのも気が引ける。育児に積極的な父親を「イクメン」だなんてもてはやす時代に、なんでもかんでもダメダメ言う父親ってどうなの?という世間の目、または被害妄想。そして禁止する理由が「俺と遊ぶよりYouTubeのほうが楽しいだなんて許さん!」というどうしようもないジェラシー。自分でも、なんてかっこ悪い父親なんだと思ってしまいます。

 そのせいか人気ユーチューバーの配信する動画を見ても、僕はちっとも面白いと思えない。素人が再生回数目的にたれ流すグダグダな映像の何がいいのか、そもそも人気者のふりしてるけどお前は誰?…などと、子どものようにやさぐれてしまう。ジェラシーは人の常識的な判断能力すら狂わせます。

奇心をどう満たすか

 もう少しまともな理由をお話すると、YouTubeってきりが無いんですよね。そこが怖い。

 僕も最初は自分の好きな動画を探して見るけど、気が付いたら最初見ていたのとは全然違う動画に行きついている、なんてことが往々にしてあって。おすすめの動画が表示される機能とワンクリックで見られるお手軽さ故に、ただ漠然と「見る」ことが目的と化してしまう。

 それを毎日のように続けるのは、子どもにとってはやっぱり良くないと思うんですよね。好奇心をただ「見る」という行為だけで満たすのはあまりにも勿体無いというか。同じ映像を見るにしたって、何が見たいという具体的な目的がきちんとあればまだいいんですけど、息子はいつも「YouTube」を見たいと言う。そう言われると見せたくなくなる僕は天邪鬼でしょうか。

、結局どうする?

 僕が小学生の頃、周りのほとんどの友達は家でゲームをする時間を親に制限されていた記憶があります。それを聞いて子ども心に「制限なんかしたって隠れてやるだけやん」と小馬鹿にしていましたが、今度は自分が親になって息子のYouTubeを制限するかもしれない。

 出先で息子がご機嫌ななめになってしまったときなんか、スマホとYouTubeにはよく助けてもらっているんですけどね。そういう部分では大歓迎なのです。街を歩いていても、ワンワン泣いてる子どもに、スマホをさっと差し出して泣き止ませるお母さま方をよく見かけますから、みんな考えることは同じなのだなと安心したりもします。

 「じゃあ結局どうしたいの?」って聞かれると何も答えを用意できないのが僕の悪いところで。物事を自分の都合に合わせてディスったり歓迎したりするズルい大人になってしまいました。

 取りあえず、禁止だの制限だのと言う前に「YouTubeなんかよりもっと楽しいことあるやん!」と息子に思わせるのが先ですね。それが外で遊ぶことなのか、スポーツなのか、テレビゲームになるのかはまだ分かりませんが、「パパと一緒に遊ぶ」も堂々と立候補しておくとしよう。かっこ悪くても、息子にとって一緒に遊ぶことが何よりも楽しいと思える父親を、まずは目指してみます。打倒YouTube!