僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

息子が学校から持って帰ってくる「怪獣らくがき」があまりにも愛らしいので

 

 「パパぁ、怪獣描いたから見て〜」

 

 雨の平日。開きっぱなしの傘を玄関にパーンと放置したまま、重たいランドセルを床にドンと降ろした息子が僕のところに意気揚々と何かを持ってくる。外で遊べなかった代わりに教室で描いた「怪獣らくがき」コレクションです。図書室の絵本を参考に書いているとのこと。

 これは『帰ってきたウルトラマン』に登場する宇宙大怪獣ベムスター。

 うむ、こうしてソフビと見比べてみると、なかなか特徴を捉えている気がする。胴体と完全に分離した両脚が多少気にはなるけれども……。くちばしの処理に苦慮した感じが微笑ましい。怪しげな目もかわいい。

 こちらも同じく『帰ってきたウルトラマン』の用心棒怪獣ブラックキング。

 1本だけ長い牙が絵の中できちんと表現されている辺り、怪獣のディテールをよく見ているなと感心する。だがしかし、ぴょーんと伸びた左腕の異常な長さと弱々しさはどうしたものか。でも、相変わらず目がいい。ウルトラ怪獣の目をしている。

 息子はこれを「ペギラ」だと言い張っているのですが、耳があるのは「チャンドラー」やろ!

 

 

 

 

学2年生の画力

 小学2年生の平均的な絵の実力について僕は全く知識を持っていませんが、息子の絵は上手い下手で言うとあまり上手いほうではないのかなと思います。

 と言うのも、僕が同じ頃に描いていた絵は、多分こんなに「愛らしい」感じではもうなかった。子供なりに、どうしても滲み出てしまうその「愛らしさ」をなんとか打ち消そうと、もっと背伸びをして絵を描いていた記憶があるのです。

 では、その「背伸び」とは具体的に何なのかという話。

 例えば怪獣を描くにしても、なるべく「怖い怪獣」になるように描く。目を釣り上げ、不必要に牙を何本も付け加える。体の模様もわざと大袈裟に変化させる。このように、オリジナルの要素に自分なりのアレンジを加えて描くことが多かったように思います。親に自分の描いた絵を見せたときに、どちらかと言うと「かわいい」よりも「かっこいい」と言われたがっていました。

粋な絵心を

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 小学生の頃の僕は、暇さえあればとにかく絵を描いて過ごしていました。だからそういうアレンジも、誰に言われるでもなく自然にできたのかもしれません。

 今の息子を見ていると、小学校という同年代の集団におけるポジショニングの仕方も、遊びの優先順位も、同じ頃の僕とは全く異なっていて。今風な表現を使うとすれば、僕が「陰キャ」寄りだとしたら息子は多分「陽キャ」に近い。絵を描いてそれを家に持って帰ってくるなんていうのも、基本的には雨の日だけですからね。晴れの日の休み時間は友達と外で走り回って遊んでいるようです。

 だからこそ、絵を描くことにあまり慣れていない息子の「怪獣らくがき」が余計に愛らしく思えてしまう。

 あまりこう、上手いとか下手とかを気にしている感じがない、純粋な息子の絵心に触れている感じがして、それが良いんです。癒やされる。自分の描いた絵を持ってきて「どう?上手いやろ?」と評価を求めてくるでもない、ただただ「描いたから見て」という、彼のストレートな気持ちが絵のタッチにも出ているというか。

 一体いつまでこんな絵を描いて僕に見せてくれるんでしょうね。高学年になると一気に大人びてくるからなあ……。

 

 ところで息子、この「怪獣らくがき」の保管を僕に求めてくるのはいかがなものか。しかもね、「どこにこんな紙あってん」とツッコミを入れたくなるような、やたらと大きなサイズの紙に描いてくるんですよ。ファイリングできひん。

 それどころか最初に載せたベムスターなんて、ひっくり返してみたら学校の行事に関するまあまあ大事なプリントでしたからね(笑)。そのズボラは「愛らしい」では済まさんぞ。