僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな6歳の息子とのウルトラ備忘録です。

「『今』をどう生きるか」に向き合ったこの1年

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お題「#この1年の変化」

 久しぶりにはてなブログからのお題に参加してみます。

 お題は「この1年の変化」。「この1年」というのは、当然コロナ禍になってからの1年間を指すのでしょう。

 コロナのせいで変わってしまったこと、変わらざるを得なかったこと…数えきれないほどありますね。その中で僕の最大の変化は、過去と未来、そして「今」に対する価値観、向き合い方です。

 コロナ以前とコロナ以後を比較すると、先のことを考える機会が極端に減った気がしていて。

 家族旅行の予定にワクワクしたり、イベントを楽しみに日々を過ごしたりすることはもちろん無くなりました。目前に迫っている息子の卒園式や入学式ですら、まずそれが「ある」という事実に安堵することから始まるわけです。その光景を想像して、胸をときめかせる段階までいかない。再度中止になってしまった時のショックを容易に想像出来てしまうからか、心が自然と歯止めをかけているのかもしれません。

 だからとにかく「今」だけを見る。今、目の前に家族がいたり、仕事がちゃんとあって、コロナ禍ではあるものの一般的な日常生活を送れている幸せを噛みしめる日々。そうしているうちに、2020年はあっという間に過ぎていきました。

 

ロナが無かった頃

 先のことを考える機会が減ったのと同じくらい、昔のことも何だか振り返りにくくなった気がします。

 嫁さんと、昔の息子の写真なんかを一緒に見ていると、遊園地で楽しそうに遊んだりウルトラマンと一緒にポーズを撮ったりしている息子の姿にほっこりしつつも、「あぁ、コロナになる前はこんなだったね」とどうしても「今」との比較でため息つきがちだったり。

 あと僕、自分が一番テレビを見ていた時期(90年代後半~00年代)のバラエティ番組なんかをYouTubeで見返すのが大好きなんですけど、スタジオのタレント間の距離がめちゃくちゃ近くて思わず「密!密!」とツッコんじゃう。せめて気持ちだけでもあの頃に戻らせて欲しいのに、コロナが無理やり「今」に引き戻してきます。

 自分にとってはそんなに過去の話ではなかったことが、時の流れ以上に、目に見える生活様式の変化によって一気にいにしえの彼方へ葬り去られていく感覚はなかなかに重苦しいものがありました。

 コロナ以前のコンサートや野球場の密っぷりも今見ると凄いですよね。「俺たちってどれだけ飛沫浴びながら生活してたんだ…」って。あの頃のことが、圧倒的に昔のことに見えてくる。

定が無い日の過ごし方

 …と、まあこんな調子だとどうしても暗いトーンになってしまうので。

 この1年間のポジティブな変化も書き残しておこうと思います。決して、下を向くばかりの1年でもなかったのです。

www.bokuboku12.net

 最初の緊急事態宣言の頃は仕事も時短になり、むしろコロナ前より時間的にも精神的にもゆとりのある生活を送ることが出来ました。元々家にいるのが好きなほうですし、お酒も基本的に飲まないので、いわゆるあの頃の「自粛生活」は僕にとっては返って好都合とすら感じる場面も多かったです。

 緊急事態宣言が明けてからも、家族と過ごす時間や一人で好きなことをする時間が格段に増えました。

 予定に合わせて動くことが少なくなった代わりに、何も予定が無い日に誰かがぽっと口にする「今日何しようか?」が、これまでとは違う妙な輝きを放つようになった気がするんですね。

 ある時は、ふらっと立ち寄った公園で家族3人ひたすらぼーっとしてみたり、またある時は家から一歩も出ずに嫁さんはハロプロのDVD、息子はゲーム、僕は特撮ムック本みたいな感じで完全に別々のことをして過ごす。

 特別な思い出として残るようなことでも、誰かに自慢できるような1日ではないけれども、自分の中にしっかり充電されている感覚があってしかも楽しい。ストレスも少ない。コロナ前だったら、誰かに会ったりどこかへ行ったりして何か一つでも事を前に進めないと、充実していない気がして気持ちが焦っていました。

 

 コロナが収束してまた以前のような生活に戻るのはいつになるでしょうか。

 その時を待ち望む気持ちも無くはないですが、それよりも少なくとも、今よりちょっと先のことや昔のことを出来るだけポジティブに考えられるような世の中にまずは早くなって欲しいと思います。「今」だけを見るこの生活も、気持ち的に長くは続かない予感がしているので。