僕が僕であること(仮)

ジードとルーブが大好きな4歳の息子とのウルトラ備忘録です。

~誰か僕の心の中を見て~フジファブリック「バウムクーヘン」

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今週のお題「わたしの好きな歌」

 子供の頃から、流行りの曲の歌詞に感動したり共感したり出来る人の気持ちが全然分からなかった。

 周りの友達は浜崎あゆみや宇多田ヒカルの曲を聴いて「歌詞がいいよね~」と互いに共感し合っていたけど、一体歌詞のどの辺りが彼らの心を揺さぶるのか理解できず、僕は仲間外れになりたくない一心で顔を引きつらせながら必死に相槌を打っていた気がする。

 「どこがいいんだ、あんなもん」

思えば当時の僕は、世間の流行にケチをつけたり、大した意味もなく皆と違う方向を向くことに快感を覚えていたのかもしれない。そうしている内に、僕の青春時代は過ぎていった。

 大人になり、結婚もして子供が出来ても、僕は相変わらず物事を斜めから見る癖がついている。そのことで嫁さんに嫌な顔をされることが少なくないし、息子にも変なちょっかいをかけてしまう。なんでもっと素直に物事を捉えられないんだろう。時々、自分が嫌になる。

 それでも、未だに流行りの歌を聴いてその歌詞に感動したり共感したりすることはほとんどない。美しい言葉に意味深な表現。当たり障りのない内容に正直腹が立つときもある。その曲が「流行っている」だけで、僕の中の「ムカつく」フォルダに放り込まれる。感性が鈍すぎるのか、中二病をこじらせているかのどちらかだと思う。

 フジファブリックは、昔から僕の「好き」のフォルダにずっと入り続けているバンドだ。

 人気は、ミスチルとかサザンみたいに国民の誰もが知るというほどじゃない。でも、日本の音楽が好きな人の耳にはだいたい行き渡っている。そんな絶妙な立ち位置も、偏屈な僕が好きでい続けられる理由の一つなんだと思う。ブログのネタにしたこともあるけど、特に良さを広めたいとかいう気持ちはない。自分さえ分かっていればいい。

何をいったいどうしてなんだろう
すべてなんだか噛み合わない
誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て

 

僕は今まで傷を作ったな
自分でさえも分からない
歳をとっても変わらないんだな

 

僕は結局優しくなんか無い
人を振り回してばかり
愛想をつかさず 僕を見ていてよ

 

言葉では伝えられない 僕の心は臆病だな
怖いのは否定される事 僕の心は臆病だな だな

 

すぐに泣いたら損する気がして
誰の前でも見せません
でもね何だか 複雑なんです

 

嘘をついたら 罰が当たるから
それはなるべくしませんが
それもどうだか分からないんです

 

大切に出来ずごめんね 僕の心は不器用だな
冷めた後 ようやく気付く 僕の心は不器用だな だな

 

チェッチェッチェッ うまく行かない
チェッチェッチェッ そういう日もある
チェッチェッチェッ つまずいてしまう
チェッチェッチェッ そういう日もある

 

チェッチェッチェッ うまく行かない
チェッチェッチェッ そういう日もある
チェッチェッチェッ つまずいてしまう
チェッチェッチェッ そういう日もある

 

言葉では伝えられない 僕の心は臆病だな
怖いのは否定される事 僕の心は臆病だな だな

 「誰か僕の心の中を見て」そう言って、志村正彦は逝ってしまった。

 決して上手ではないけれど、何かを伝えたい意思を感じる歌声に、ポップなキーボードの音色と真っ直ぐなバンドサウンドが絡み合う。

 好きな「曲」を訊かれたら、もっと他にもある。でも今回のお題は好きな「歌」。そうなると僕はこの「バウムクーヘン」が一番に来る。オブラートに包まず、自己満足な分かりにくい例え話もなく、ただひたすらに書き手の人生を包み隠さずに表現した言葉たちのなんと不器用で鋭敏なことだろう。なんでも斜めから見ようとして、それがかっこいいと未だに心の奥底で思ってしまっている愚かな自分にこれでもかと刺さってくるのがたまらない。

 「怖いのは否定される事」

 僕も志村正彦のように、人の痛みが分かる人間になりたい。