僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

【ウルトラマンゼロ=伊賀栗令人】僕を「父親」にしてくれたヒーローの話。

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特別お題「わたしの推し

 

「守りたい…僕には二万年早すぎますか?それでもやってみたいんです!みんなを守るってことを!」


「俺の相棒だったら、もう三十分早く判断しろ…行くぞ!レイト!!」

 

 『ウルトラマンジード』第8話『運命を越えて行け』より、ウルトラマンゼロとそのゼロに変身するレイトの台詞です。

 ゼロの決め台詞にある「二万年早い」のフレーズを引用しながら、一度は背を向けた「ウルトラマンとして戦う運命」ともう一度対峙しようとするレイトの揺るぎない決意。大好きな『ジード』の中でも特に推したい名シーンの一つです。

 はてなブログ特別お題「わたしの推し」。

 「自分にとっての『推し』って何だろう?」と改めて考えてみた時に、僕の頭にふっと浮かんだのは、4年前……赤ちゃんの頃の面影も残る2歳半の息子と一緒に見ていたウルトラ作品の登場人物でした。

 その人物の名は、伊賀栗レイト。

 今回は、僕を本当の意味で「父親」にしてくれたヒーローのお話。ひょっとしたら「推し」という表現ももはや当てはまらないかもしれない、今の自分を形作ったまさに原点とも言えるキャラクターについて少し語ってみようと思います。しばしお付き合いを。

 

 

 

 

ロが見込んだレイトという人物

 歴代のウルトラシリーズを振り返ってみると、ウルトラマンに変身する人物は最初から特捜チームに所属していたり、そもそもが人間の姿を借りた宇宙人だったりと、「怪獣や宇宙人と戦う必然性」を物語の中である程度与えられていたパターンが多かったように思います。

 しかし伊賀栗レイトは、ウルトラマンゼロと出会うまでは、本当に極々普通のどこにでもいるサラリーマンでした。

 それが、怪獣騒ぎの中で崩落するビルの影にいた少年を助けようとした際に、運悪く落ちていたバナナの皮で足を滑らせ、走ってきたトラックに轢かれてしまう。ゼロはレイトのその勇敢な行動に感銘を受け、お互いに傷ついた身体を癒すために一心同体となることを決意する。……というのが『ジード』におけるレイトの初登場回『サラリーマンゼロ』の大まかなあらすじ。

 どこにでもいるサラリーマンがある日突然ウルトラマンと一心同体となる。この設定だけでも意外性があって十分魅力的なのですが、僕が考える伊賀栗レイトの最大の魅力は、そのヒーローらしからぬ優柔不断さ、気弱さと、いつも強気なゼロとの「ギャップ」なんです。

 普通ヒーローといえば、目の前に敵が現れたらファイティングポーズのひとつくらいはとっても良さそうなものです。でも、特にシリーズ序盤のレイトは全くそういう姿勢を見せない。『サラリーマンゼロ』では早速レイトがチンピラに絡まれるシーンが用意されていて、とてもウルトラマンに変身する人物とは思えない頼りない表情をいくつも見ることができます。

 かと思えば、人格がゼロと入れ替わった途端にその場の空気が一変。鋭い目つきと超絶アクションでさっきまで弱々しかったレイトがチンピラ達を次々となぎ倒していく。演じる小澤雄太さんの見事な演技力もあって、気弱なレイトとオラオラ系のゼロという正反対の性格を持つ人物が初登場時から既に一人の「そういう人」として完成しているのは、今見返しても素晴らしいキャラクター造形だと思います。

 

 『ジード』では、ゼロとは対照的なレイトの気弱な性格を「欠点」として描いていないのも凄く良くて。喧嘩も気性もあまり強いほうではない僕としては、「こういう人でもヒーローになれるチャンスがあるんだ」と気弱なレイトに少しばかりの勇気をもらえたことを思い出します。

 そして回が進むにつれて、ゼロに引っ張られる形でレイト自身もだんだん強くなっていく。最初に聞いた時はギャグかと思った「サラリーマンゼロ」の響きが、最終回付近になるとどこかドラマチックな印象すら漂わせるようになっていました。

「人の親」になること

 僕、「自分みたいな人間に果たして『人の親』が務まるのだろうか……」と考え込んでしまっていた時期がありましてね。というか、今も少しあったりして。

 「育児」のカテゴリーまで作って息子に関するエピソードをこうしてブログに残しているのも、そんなモヤモヤした気持ちを少しでも振り払いたいという願望があるからなのかもしれません。

 正直、中学生くらいの頃と精神年齢はほとんど変わっていないような気がするし、もちろん教育に関する素養なんてのも無い。割と本気で「こんなにバカな人間が人の親になっちゃったよ!本当にいいのみんな?!」って、常に世間に問いたい気分なんです(笑)。

 ちょうど『ジード』を息子と見始めた時期が、そういう感情がピークに達していた頃でした。

 今思うと、まだまだ「父親」になりきれていなかったと感じます。日々成長していく息子に対して、どう接していくのが正解なのだろうかと悩んでいる状態でした。

 そんな中、レイトのある台詞にハッとさせられて。

 

一つ大切なものが見つかると、他にも大切なものがどんどん増えていくんだ。ルミナさんと出会ったから、マユが生まれた。マユが生まれてから、この街や地球を前より愛おしく思うようになったんだ。僕がいなくなった後も、マユが生きていく世界だからね。

 

 これは『ジード』第6話『僕が僕であること』で、サラリーマンを体験したリクに「どうしてそこまで仕事を頑張れるのか」と訊かれたレイトの回答です。これまで気弱な面が強調されていたレイトの「父親」としての一面が顔を出したシーンでした。

 「自分がいなくなった後も子供が生きていく世界」という視点は、あの頃の僕にとっては目から鱗でした。

 僕はレイトのようにウルトラマンに変身して怪獣と戦ったりはもちろんしないけれども、自分の身の回りにある色々な物事をそういう視点で見ていくと、息子に対して自分がどう「父親」としての背中を見せていくか、その解像度がわずかですが上がった感覚が確かにありました。

 ……まあ、実際にやることと言えば息子との散歩の時に落ちている空き缶を拾ったりとかね、その程度です。「見てるか息子よ」みたいなね(笑)。

 でも、そうやってちょっとでも良いことが出来た自分のことをたまらなく好きになれる瞬間ってあったりしませんか?

 

 

 

 

「○○君のパパ」として

 息子が生まれてから7年の歳月が経ち、僕もいよいよ日常生活の中で「○○君のパパ」と呼ばれることのほうが増えてきました。

 息子の友達なんかにそう呼んでもらうと、「そんな『パパ』なんていう柄もでないしな……」とついオドオドしちゃったりで、父親になりきれていなかった頃の昔の自分が出てきてしまうんですけどね。そんな時、僕の心の支えになっているのが伊賀栗レイトという存在なんです。

 レイトは気弱ではありましたけど、先に紹介した台詞の通り自分の中に「父親としての軸」をちゃんと持っているキャラクターでした。

 僕がそこにすぐ到達できるとはまだ思えませんが、どこにでもいるサラリーマンのレイトには自然と親近感が湧き、とりあえず目指すだけ目指してみようと思わせてくれる懐の深さがありました。

 

 そう言えばこの間、外を歩いていたらそれこそまさに「あ、○○君のパパ!」って息子の友達に声をかけられたんですよ。

 「髪ボッサボサでパジャマ同然のいつもの恰好じゃなくて良かったあ」などとホッとしつつ(笑)、息子がこれから暮らしていくこの街のことに思いを巡らせる良いきっかけになりました。僕も「○○君のパパ」として、胸を張って生きていかなきゃと思いましたもんね。「あ、これレイトさんが言ってたやつだ」ってなりましたもん。

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 自室のウルトラコーナーに飾ってあるウルトラゼロアイNEOの玩具。レイトがゼロに変身するためのアイテムです。「推し」のアイテムって、そんなに頻繁に遊ぶわけじゃなくてもすぐ手に取れる場所に置いておきたい、お守りみたいなものなんですよね。

 『ウルトラマンジード』も今年で5周年ですか。月日が経つ早さを感じずにはいられませんが、僕を「父親」にしてくれたと言ってもいい大切な作品。特撮に興味が無い人にも是非一度見てもらいたいと思います。