僕が僕であること(仮)

ジードとルーブが大好きな4歳の息子とのウルトラ備忘録です。

息子がいじめを受けたとき、自分のすべきことは何かを考える。

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 「しょこたん」こと中川翔子さんの著書『死ぬんじゃねーぞ!!』を読みました。

 自身が学生時代に受けたいじめの経験と、そこからどうして今の自分まで辿り着いたのかがお得意の漫画と共に生々しく描かれており、他人の痛みを本当に理解できる人の生きた文章がしっかりと胸に突き刺さる。今まさにいじめに悩んでいる人はもちろん、年ごろの子を持つ親、子供たちと接する機会の多い教師の方も一読すべき内容だと思いました。

「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない

「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない

 

 僕はやっぱり、息子のことを考えながら読みました。あと2年で小学校へ上がる息子。ちょっと気が早過ぎるかもしれないけど、親としては息子が学校でいじめを受けたりしないか、心配は尽きません。僕も子供の頃、直接いじめを受けたことはなくてもその光景を目の当たりにしたことは何度もあります。それがどんなに残酷で、人の人生を悪い方向へ変えてしまうのかも…

 

じめと僕

 僕の場合、正確に言うと「いじめを受けないように立ち振る舞っていた」が正しいですね。自分がいじめの標的になるかもしれない、そう感じた瞬間は数えきれないほどありました。

 いじめって、いつ誰が標的になるのか予測がつかない。昨日までジャイアンみたいに威張ってた子が、ある日を境に周りから何を言っても無視されるようになりぐっと涙をこらえていたり、何も悪いことしてない優等生が廊下ですれ違いざまにいきなり殴られてうずくまっていたり。少なくとも僕が通っていた小中学校ではそういう類の、今考えると意味不明ないじめが結構ありました。

 僕はその場の空気を読んだり、人の機嫌の良し悪しを察知するのが比較的上手だったんだと思います。俗に言う「世渡り」というやつ。積極的に悪口を言う人は徹底的に無視するのが一番効果的だと知っていたし、取りあえずニコニコ笑っておけばいきなり殴られる可能性が低くくなることも感覚で分かっていた。生まれつき、いじめを回避する能力が備わっていた感じがありますね。消極的な平和主義とでも言いましょうか。

 もちろん周りにはそういうのが下手な子もいて、「なんでそれ今言っちゃうかなぁ」などとハラハラすることも少なくなく。

を選ぶ権利

 でも大人になってみて、それは実に虚しい能力だったんだなと感じます。いつでもどんな場面でも、他人の顔色を伺う癖がつきました。周りに合わせることばかりで、主体性が無いまま大人になってしまったような気がします。

 例えば、息子がいじめを受けたことを、父親である僕に相談してきたとして。

 程度にもよりますが、正々堂々と立ち向かえなんてとても言えません。自分がこれまで、いじめに対して一番やってこなかったことです。僕と同じように空気を読め、取りあえず笑ってろというのも気が引けます。やり過ごすというのは、そもそも根本的な解決になりませんから。だから相談されてもどうしたらいいのか分からない、これが正直なところで。

 しょこたんの本では、いじめが辛くてどうしようもないときは、その場から「逃げる」べきであると。「逃げる」という言い方も本当は良くなくて、自分の選んだ道を進むその権利は誰にも侵害されるべきではない、といった趣旨のことが書かれていました。自身の壮絶な体験が語られているからこそ、絶大な説得力を感じる言葉でした。「逃げた人」の扱いを受ける道理もないというのは確かにそうだ。

に歩いてあげられるよう

 息子に僕が出来るのは、道を用意してあげること。彼の選ぶ道を尊重することなのだと思います。ふわっとした言い方で答えになっているかどうか微妙ですが、そういうことなんだと思います。

 親としては、息子に対してこういう子に育って欲しい理想みたいなものはやっぱりあって。そこから外れそうになると若干の不安が襲ってくる。でもその不安は、僕自身の弱さであると言い換えることができます。そしてそれを子供に押し付けることは実はいじめと大差無かったりする。

 息子と一緒に行ったウルトラマンのイベントで、僕が父親としての自分を強く意識するのと同じように、息子にも「息子としての自分」について考えるときがやってくるでしょう。そこで「いじめられているみじめな自分」をさらけ出してくれるかどうかは、僕の振る舞いにかかっています。

 本当は、いじめなんて無い環境ですくすく育ってくれるのが一番なんですけどね。今は小学生でもスマホを持ってLINEでグループ作ったりしてる時代ですから、完全に無くすのはまあ無理だろうと思います。ひょっとしたら、僕らの時代よりもずっと学校が子供たちにとって過ごしにくい場所なのかもしれない。本当にそこは心配な部分です。

 だからこそ仮に遠回りであっても、僕は彼の選ぶ道を、歩幅を合わせながら一緒に歩いてあげる準備をしておきたい。息子にとって最後の最後にでも頼ることの出来る、防波堤のような存在でありたい。しょこたんの本を読みながら、そんな風に思うのでした。