僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

感想『ゴジラ−1.0』 / 日本産ゴジラに明るい未来はあるか

 

 映画『ゴジラ−1.0』を見てきました。

 

※以下、重大なネタバレを含む箇所があります。

 

 結論から言いますと、とても楽しめました。

 

 あの『シン・ゴジラ』から早7年。日本産のゴジラ映画をリアルタイムで体験できる喜びを享受しつつ、日本を代表する映画監督・山崎貴監督のお手並み拝見というところで終始ワクワクが止まらず。

 ゴジラ映画史上最高傑作だ!……とまではいかなかったですが、「公開初日のIMAXレーザーの初回で見て良かった」と思えるくらいには充実感がありました。惜しいところも色々とありつつ、それらを上回る魅力的なポイントが想像以上に沢山あったなという印象です。

 買う予定の無かったラメ入りの限定ソフビもいつの間にか手に取っちゃってましたしね。怪獣映画ファン的に言えば、見た後にソフビが欲しくなる怪獣映画はそれだけで無条件に良い映画ですから。

 僕の行った回ではエンドロールが流れ終わった後には客席から拍手も起こっていました。どうやら世間の評判も上々のようです。

 

 

 

 

「日本産ゴジラ」の未来

www.bokuboku12.net

 長年のゴジラファンとして、ゴジラにもう一度「映画スター」としての地位を確立してもらいたいという僕の個人的な期待感はこちらの記事にもある通りです。

 そういう意味で、物語の主人公・敷島浩一の乗る「震電」の突撃によって一度は瓦解し海の底に沈んだゴジラがラストに見せた再生を示唆する描写。同じゴジラによる続編があるのかどうかという部分で、「このゴジラをもう一度見たい」と観客に思わせられるかがひとつの勝負だったと思うのですが、僕は率直に次も「このゴジラが見たい」と思いました。

 

 『シン・ゴジラ』でもうやり切ったかに思えた「怖いゴジラ」のイメージを、今回は「核」というモチーフをストレートに重ねつつ「強くて恐ろしい」イメージに振ってきた。ここはシンゴジとの差別化という意味でも非常に良い選択だったのではないでしょうか。

 特に銀座に上陸した際のゴジラの暴れっぷりは素晴らしいの一言。人間の存在など眼中にないと言わんばかりに、戦後の復興しつつある東京の街を蹂躙し手当り次第に破壊し尽くす様はまさに怪獣王の貫禄。圧巻でした。そして放射熱線の圧倒的なエネルギーに込められた核、原爆のイメージ。ゴジラにとって「核」は切っても切り離せない重要なモチーフですが、これほどまでに明確な映像表現を持って「ゴジラと核」を重ね合わせた作品はちょっと記憶にありません。

 熱線を放射する際の段取り……特徴的なギザギザの背びれが尻尾のほうから順番にガチャン、ガチャンとせり上がっていくギミックも面白かったですね。ああいうタメというか、「来るぞ来るぞ」と観客に思わせてくれる見せ方はゴジラを解っているなあという感じがしました。

 

 メインとなった駆逐艦「雪風」とゴジラの戦いでは、海上でのスペクタクルがハイレベルなVFXによって非常に美しく描かれており、ここもIMAXで見て良かったと感じたポイントでした。これぞまさしく「水も滴るいいゴジラ」。ゴジラと水しぶきの親和性を改めて感じた次第です。

 映画全体を見ても『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』では部分的に少なからずあった、「うわっ、CGだ」って思わず目を伏せちゃいたくなる特撮パートが今回の『−1.0』に関しては全くと言っていいほど見られず、「ハリウッドのゴジラにも全然負けてないじゃん」と腕組みしながら感心してしまいました。

 あと、ゴジラの命とも言える伊福部音楽の使い方も良かったです。特に人間がゴジラに抗う場面であのお馴染みのテーマが流れたのは燃えました。

 今後1年、いや2年おきくらいでもいいので、このクオリティのゴジラをまた何度でも見たい。それもこれも、この『−1.0』の興行成績次第というところなのでしょうか。東宝の皆様どうかよろしくお願いします……!

 

 

 

ジラと人と

 ドラマパートは、キャッチコピーにもある通りゴジラという脅威に「生きて抗う」人々のエネルギッシュさが強調されていました。戦後間もない日本を舞台にしたことで「生きるための戦い」というワードに特別な説得力が生まれていたと思います。

 主人公の敷島浩一が元特攻隊員で、震電に乗ってゴジラに特攻を仕掛けるという展開では、この映画がどストレートに自己犠牲を賛美する作品になりやしないかと正直不安だったのですが……。でも震電は実在する機体で本物にも脱出装置がきちんと付けられているそうです。僕、それを知らなかったので、震電がゴジラに向かっていくシーンは色んな意味でハラハラしました。

 戦争を生き延びて「しまった」男たちが、それぞれに抱える思いをゴジラにぶつけようとする。人の命が簡単に切り捨てられてきた時代に、そして大戸島でもゴジラを撃てなかった敷島の「生きて帰る」という決意の重さはいかばかりか。

 戦後間もない、何もかもを失ってすぐの人々がゴジラという未知の恐怖にどう抗っていくか。オーソドックスな物語の構造の中に、『シン・ゴジラ』とは別の角度からゴジラと人の関係性をアプローチする試みがなされていて、そこはかなり上手くいっていたのではないでしょうか。

 

 少し気になったポイントとしては、敷島と整備士の橘が再会する辺りからなんとなく展開が読めてきてしまったり、銀座で吹っ飛ばされた典子さんにしても、「浜辺美波は東宝の看板女優だし、こんなちょっとの出番で終わるわけないよな」と思ったらやっぱり生きていたり、という辺り(野暮とも言う)。でも本当に典子さんはあれ物理的にどうやって生き延びたんでしょうね?そこんところ詳しく知りたいので是非続編を……!

 

 それでは最後に、今日僕が映画館に着いたときのツイートを記念に貼り付けておきます。ちなみに嫁さんと息子(小3)と、家族3人で見に行きました。

 自分用に買ったソフビを息子に奪われるという一幕もありつつ……(笑)。

 いやいやでもね、息子はウルトラマンに出てくる怪獣は好きなんですけど、ゴジラにはこれまでほとんど興味を示さなかったんですよ。それが今日映画館で『−1.0』を見て「そのソフビを俺にくれ!」となって。相当かっこ良かったみたいです、今回のゴジラ。で、僕も自分がゴジラに夢中だった子供の頃を思い出して嬉しくなっちゃってね。もうそのゴジラ、お前にやるよって。

 劇場の売店にもゴジラのソフビを持ってるキッズを何人か見かけました。そんな光景、僕が子供だった30うん年前から今まで見たことがなかったので、なるほど日本のゴジラもまだまだやれるぜと。そういう意味でも、『−1.0』は日本産ゴジラの未来につながるとても意義のある一作だったと思います。

 限定ソフビ、次の休みに映画館に行ってももう売り切れちゃってるかなあ。本音を言うと、こっそり自分用のを持っておきたいのですが……。