僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

学童に通う息子の夏休みと、変わらない「夏のアイコン」の話

 

 照りつける日差しとセミの鳴き声。夏、ですね。

 

 夏と言えば、夏休み。小学2年生の息子は只今絶賛夏休みを満喫中!

 

 と、言いたいところなのですが、平日は学童のために変わらず学校へ通っています。

 もう少し大きくなったら学童もやめて、夏休みも自由にさせてやりたいと思ってはいるんですが……。共働き世帯の辛いところです。

 僕が子供の頃はというと、働いているのは父だけでしたから、夏休みと言えば母と過ごす時間が長かった。

 朝の9時か10時くらいに起きて、アニメの再放送を見て、母が作ってくれたちょっと薄味な焼きそばを食べながら「笑っていいとも」を見る。

 なんてことはない、でも確実に「いい思い出」として残っている夏休みの素朴な風景を、息子に見させてやれないのはなんだか少し申し訳ない気持ちになります。

 でもよくよく考えてみれば、アニメの再放送も、笑っていいともも、今はもうやってませんね。あれってずーっと続く当たり前じゃなかったんですね。大人になってやっと気付いてしまいました。

 

 

 

 

ミ捨てのついでに

 夏休みに集団登校はありません。この期間、息子は一人で学校へ行くことになります。

 家と小学校は、歩いて5分もかからない位置にあるので、息子一人でも十分たどり着ける。それでも「何の心配もなく」とはいかないのが親の常。

 

 息子には「ゴミ捨てのついでやから」と言い訳をして、途中の曲がり角まで登校に同伴させてもらっています。

 ふたり並んで歩きながら、昔みたいに、自分からいろいろと喋ってきてくれる回数はうんと減った気がします。

 特に朝は、彼も機嫌がよろしくない。曲がり角。僕が「いってらっしゃーい!」と手を振っても、こちらを振り向かずに「へーい」と気のない返事をしてくることも増えてきました。

 夏休みなのにリュックをしょって学校へ向かう息子から、僕はなかなか目を離すことができません。彼の後ろ姿を、見えなくなるまで、訳もなくずーっと眺めてしまう。

 

 息子が振り向いてはくれないかと、淡い期待を抱いているのでしょうか――。

 

 いやいや、これが彼の成長なんだから、これでいいんです。思春期はまだ少し先だけど、軽い親離れがもう始まっている気がする。僕もそろそろ、息子を一人の男の子として認めてあげなきゃいけません。

のアイコン

 最初に「照りつける日差しとセミの鳴き声」と書きましたが、僕は両方ともあまり好きじゃないです。

 肌が強くないので日焼けをするとすぐに痒くなってしまうし、セミはそもそも存在自体を嫌悪しています。

 セミってアホじゃないですか。こっちはなんにもしてないのに、訳のわからん飛び方してブンブンぶつかってきたりする。昔から大嫌いです。

 

 でも、これらが「夏」という季節を象徴するアイコンであり続けていることには、言いようもない愛おしさを感じるのもまた事実です。来年も、再来年も、ずーっと先まで、この夏の風景は変わらないで欲しい(できればもうちょっと涼しくはなって欲しい)。

 息子は、僕が子供の頃に過ごしたような自由一辺倒な夏休みを過ごせてはいません。

 いませんけど、例えばそういう夏の風景…暑くてたまらなくって水筒の水をゴクゴク飲んだり、セミの鳴き声をミンミンうっとうしく感じたり、という一つひとつの「夏のアイコン」が、大人になった彼の中にいい思い出として残っていたら嬉しいなあと思うんです。

 

 

 

 

 学童で夏休みの宿題をしっかりと進め、外でもたっぷり遊んできた息子は、家に帰ってくると妙に堂々としている。そうそう、夏休みの宿題の進捗が順調だと気持ちも晴れやかになるよな。家で自由を謳歌するがよい。

 今日は、最近ハマっている「ほねほねザウルス」というマンガ本を読んでいました。ファンシーな恐竜たちがドキドキハラハラの冒険を繰り広げる、なかなか楽しい本です。息子、僕と違って結構読書家なんですよね。

 こうして読んでいる本もまた、彼にとっては思い出深い「夏のアイコン」になるのかもしれません。

 なんだ、アニメの再放送や笑っていいともがなくたって、息子の夏休みは十分楽しそうじゃんか。僕が申し訳ないなんて、思う必要なかったですね。さあ、たっぷり楽しめよ夏休み。あと1ヶ月もあるぜ。