僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

20周年を迎えた『ウルトラマンコスモス』への特別かつ複雑な感情をつづってみる

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 『ウルトラマンティガ』25周年の影に隠れていた感はあるのですが、今年は『ウルトラマンコスモス』も放送開始20周年のメモリアルイヤーなんですね。

 

 『コスモス』は、円谷プロの公式サブスク「TSUBURAYA IMAGINATION」でテレビシリーズ全65話が絶賛配信中。YouTubeでも週に2回の定期配信が始まり、一時期の『ガイア』ブームもようやく落ち着きを見せ始めた息子と今度は『コスモス』を見返しているところです。

imagination.m-78.jp

 『コスモス』放送当時、僕はもう中学生でしたが、毎週土曜夕方6時からの放送は楽しみに見ていました。部活の午前練習が終わって、ちょうど家でダラ~っと出来る時間帯だったと記憶しています。だから大人になって見返してみると、特撮オタクになりたてだったあの頃の自分のことを思い出すと言いますか…。直撃世代ではないものの、僕にとってコスモスは特別な思い入れのあるウルトラマンの一人だったりします。

 ただ、当時から『コスモス』に関しては色々と複雑な感情を抱きつつテレビ画面を眺めていたのも事実で。息子と一緒にタブレットを見ながら蘇ってきたその「複雑な感情」とやらをここに書き残しておきたくなったというわけです。

 

 

 

 

「優しいウルトラマン」という命題

 近年のウルトラ作品へコスモスが客演する際に、キャッチフレーズとして定着している「慈愛の戦士」。

 怪獣をむやみに倒さず人間との共存の可能性を探る新しいヒーローとして、「コスモス=優しいウルトラマン」の図式は放送当時のファンの間でもそれなりに定着していたと思います。基本形態のルナモードは敵の攻撃を受け流す戦闘スタイル。青いボディに丸みを帯びたシンプルなデザインは、他のウルトラマンたちと比べても「優しい」印象を強く受けるものでした。

 主人公・春野ムサシの所属するTEAM EYESもこれまでの防衛隊とは違い、怪獣を倒すのではなく「保護」するために組織されたチーム。怪獣を「地球に生まれた一つの命」として守り抜こうとするEYESの基本姿勢を描きつつ、その中で彼らが直面するシビアな現実をどう乗り越えていくのかが『コスモス』という作品の大きな見所でした。

 で、ここからは僕が『コスモス』を見返すときに今でもモヤッとしてしまう部分。

 そもそも、「怪獣を保護する」ことがイコール「優しい」ということになるのか?…と。

 『コスモス』の世界ではEYESとは別に防衛軍が存在しており、彼らは怪獣を捕獲対象ではなく攻撃対象として認識しています。EYESの捕獲作戦が失敗に終わる、もしくは怪獣が出現すると同時にこの防衛軍が現れ、怪獣への対処を巡ってEYESと対立するというのがお決まりのパターン。

 問題は、この防衛軍がいわゆるステレオタイプな悪役としての役割しか与えられていないという点なんですね。

 ギリギリまで怪獣保護の立場で対処するEYESと、人命尊重の立場から怪獣を攻撃する防衛軍。どちらの主張も一理あるはずなのですが、本編では防衛軍のお偉いさんたちは見るからにおっかない表情をしていて、何が起きようとEYESの主張を真っ向から否定するタカ派の軍人としてしか描かれていない。

 それだけならまだしも、終盤にコスモスが登場するとそれまでの話の流れは一旦ストップしてしまい、怪獣を守るコスモスとEYESの「優しさ」が何もかもを解決させてしまう。「怪獣保護」のテーマと「優しいウルトラマン」。一見同じ方向を向いていそうで、実はウルトラマンの基本フォーマットを否定しかねない2つの要素をリンクさせた結果、コスモスの存在が絶対的になり過ぎていたきらいがありました。

獣保護の理想と現実

 『コスモス』の怪獣保護のテーマとその描き方には、当時のスタッフの方々からも相当な反発があったようです。以下、切通理作氏の著書『少年宇宙人』からの引用です。

〈怪獣との共存〉〈保護〉というのは、ハナッから無理だろうと思いました。夢物語みたいなことを本気で言っている気がして、これは、一番ヤバいシリーズになるかもしれないなぁと思ったのが、本音です。

 

【監督 原田昌樹】

動物だって、人に危害を加えるものは駆逐されるわけじゃないですか。ましてや、ウルトラマンコスモスは、攻撃型のコロナモードなんてあるわけです。

じゃあそういうのを段階的に分けて、この怪獣は、悪を生むものなのか、実害があって、倒すしかないんだとか、そういうところで設定していかないとならないよって話を何度もしていたんだけど

 

【脚本家 川上英幸】

もう「異物」じゃないということですよね、それは。考えれば考えるほどよくわからなくなって、誰を保護して、誰を殺していいのかとなると、非常に難しい。

 

脚本家 太田愛】

 鏑矢諸島で怪獣を保護する『コスモス』の基本的な世界観を、ファンタジーに落とし込んで成立させることも出来なくはなかったのでしょう。でも当時『コスモス』に携わったスタッフの中には、それを良しとしない人たちが大勢いた。大人になってもウルトラマンを真剣に見続けている僕のようなファンにとっては胸が熱くなる話です。

 怪獣保護を「人類がまだ果たせていない夢物語」と定義してムサシの挫折と成長を描いた第13、14話『時の娘』は、やはり太田愛さんと原田昌樹監督のコンビによる作品でした。

 人間が空を飛ぶことも、宇宙へ行くことも、最初は誰もが夢物語だと言った―。奇しくも先の原田監督の証言にある「夢物語」という言葉から怪獣保護の現在地を捉え直していく展開にはとても説得力があり、以後の放送回でこの要素がほとんど深堀りされなかったことは率直に言って残念でした。

 またこの回では、怪獣の出現が人間に与える悪影響(電気や水が止まると、病人や乳幼児が最も大きな被害を受ける)がシノブリーダーの口から明示されており、怪獣保護の理想と現実についてもしっかりと考えさせられる内容になっています。

スモスの姿勢

 と、まあここまで散々文句を言ってしまいましたが…。僕、これでも『コスモス』はかなり好きなウルトラマンなんですよ。

 怪獣が出現した時のTEAM EYESの基本姿勢がいいですよね。むやみに攻撃するよりもまず調査しよう、「怪獣たちの本当の心を知ろう」という。

 特に『コスモス』以前の平成ウルトラシリーズはライドメカのコックピット内でドンパチやり合う描写が比較的多かったので、調査から判明した怪獣の生態が物語を動かしていく流れは初代ウルトラマンの科特隊を思わせるところがあり、僕の目にはとても新鮮に映りました。EYESメンバーの和気あいあいとしたムードも相まって、他のシリーズには無いコスモス独自の空気感が形成されていたように思います。

 怪獣・宇宙人のバラエティに富んだ素晴らしいデザインワークも魅力的でした。息子が『コスモス』に反応したのはこの部分。カオスウルトラマンがかっこ良くてたまらんみたいです。500シリーズのソフビ発売求ム。

 それと、やはりリアルタイムで見ていた人間にとって忘れられないのは、主演の杉浦太陽さんの誤認逮捕による突然の放送打ち切りから復活までのあの1ヶ月弱です。

 事件に関する詳細はここでは控えますが、急遽制作された「特別総集編」や、帰ってきたムサシのコメントから始まった復帰回(第51話『カオスの敵』)のことは今でも鮮明に覚えていますよ。人々の応援・声援が瀕死のウルトラマンに力を与えて復活するという、これまでの平成ウルトラマンが見せてきた奇跡の展開がまさに現実になった瞬間でもありました。

 

 『コスモス』に関しては、リアルタイムで見ていたが故の思い入れの深さと、作品の中身に納得がいかずモヤモヤしていた気持ちが今もちょうど半分半分という感じです。これが大人になってから息子と一緒に見ていたら、また違った思いを『コスモス』には抱いていたのでしょうね。細かいことは気にせずに大絶賛してそう(笑)。

 でも、自分が子供でも大人でもない多感な時期に触れた作品だからこそ、20年経った今でもこうして大真面目にブログに思いを綴ったり出来るのだと思います。円谷公式YouTubeの配信は週2回のハイペース。これからしばらくはコスモス漬けになりそうな予感です。