映画『シン・ウルトラマン』を見てきました。
※以下、重大なネタバレを含む箇所があります。
1年とちょっと前にわざわざこんな記事をしたためたほど、公開を楽しみに待ち続けていた映画『シン・ウルトラマン』。
映画館の座席に着いて、自分の心臓のドクドクという音が聞こえてきたのは生まれて初めてだったかもしれません。割と本気で「生きてて良かった、見られて良かった」が一番の感想です。ありがとう、ウルトラマン。
僕は特撮オタクを自称している割に、その根源にある「SF」という概念にについてはあまり知識を持っていないのですが、『シン・ウルトラマン』にははっきりと「SF」を感じた気がしています。
鑑賞後、タイトルロゴの下にある「空想特撮映画」の表記に少しうるっときてしまった。人類が初めて「ウルトラマン」という異形の者に遭遇にした驚きと戸惑い、そして興奮。未来への希望が詰まった素敵な映画でした。
「得体の知れないもの」の描き方
『シン・ウルトラマン』は、初代『ウルトラマン』が持つ「空想特撮シリーズの根源的な魅力」に、史上最も接近した作品だったと思います。
前半。次々と「日本だけに」現れる禍威獣(カイジュウ)の脅威をケレン味たっぷりの演出で(オタクにしか分からない小ネタも挟んで)見せつつ、ウルトラマンを「銀色の巨人としか」呼びようのない、得体の知れない存在として定義する。
何度も見ているはずのウルトラマンのAタイプを模したマスクが、最初はちょっと怖く見えて。体色も銀一色で、思っていた色と少し違う。そこにまず引き込まれる。
この巨人が一体どんなプロセスを経て、僕らの知っている「ウルトラマン」になっていくのか。この異質さこそが、「1966年の人たちが初めてウルトラマンを目撃したときのインパクトなのかもしれない」という興奮がありました。
「外星人」と呼ばれる地球外知的生命とのコンタクトでは、サラブ、メフィラスといった往年の名宇宙人たちが登場。オリジナルデザイナーである成田亨さんへのリスペクトが溢れる外見はもちろん、その侵略計画も原作にあった「意図」を残しながら見事な現代風アップデートがなされていて。
特に印象的だったのは、メフィラスの人間態を演じた山本耕史さんですね。
斎藤工さんとの居酒屋のシーンは、見た目は人間で会話も日本語なのに2人とも本物の宇宙人に見えた。ザラブの小物感も、にせウルトラマンのカクカクの目も良かった。まさか「ゾーフィ」がゼットンを連れてくるとは思いませんでしたけど。
あと、やっぱりやってくれた「巨大・長澤まさみ」のド迫力。この映画、お芝居的な面でも長澤まさみさんの浅見弘子がめちゃくちゃエネルギッシュに引っ張っていて、元々好きな俳優でしたが、ますます好きになりました。
ウルトラマンが人間をどう好きになっていくのか。そこを軸にしながら、人類の叡智とそれを信じる前向きな精神を実直に描こうとした、その志にも拍手を送りたいです。科学特捜隊のイデ隊員を思わせる滝明久、いい役回りでしたね。
映画全体を通して『ウルトラマン』への愛が溢れるオマージュでありながら、2022年の今見ても十分に新鮮味のある原液だけを巧みに抽出して1本の映画にした、という印象です。やっぱり庵野さんと樋口さんのコンビは信頼できる。
「一般の人」にはどう見えるのか、という視点
さて、2016年の『シン・ゴジラ』は特撮オタク以外の人たちを巻き込んでの大ヒットでしたが、この『シン・ウルトラマン』はどうなるんでしょうね。
オープニングから、あのマーブル模様が段々タイトルロゴになっていく例のやつで僕は「ニヤリ」という感じでした。でも、あそこでまさか「シン・ゴジラ」のロゴが現れるとは。
シン・ゴジラにそのまま角をつけたようなゴメスや、胴体が共通の着ぐるみだったことで知られるパゴスとガボラの関連付けなんかも、ああいうのはやっぱり元ネタを知らないと楽しめていないことになっちゃうのかな?
『シン・ゴジラ』とは出てくるキャラクターの数が違い過ぎて、でもその分小ネタも律儀に隠されているので、「普段から特撮に触れていない一般のお客さんにこの『シン・ウルトラマン』が『特撮オタク以外出入り禁止!』みたいな印象を持たれたら嫌だなあ」と思いながら見ている部分も正直ありました。杞憂に終わってくれたらいいのですが。
これから息子、嫁さん、友人……この『シン・ウルトラマン』は周りの色々な人を誘って観に行く予定にしています。各々の口からどんな感想が飛び出すのか、今はそれが楽しみで。映画館を出た後、一緒に「巨大・長澤まさみ凄かったな(笑)」って語り合いたい。あ、そういう意味では一般層にも広がる可能性、十分ありますかねこの映画。
最初にも言った「SF」の話で言うと、自分たちが宇宙単位で「地球人」であることをこんなに意識させられる映画も、まあ無いよなあと思うんです。突飛なことばかり起きているのに全然よその話な気がしないのは『シン・ゴジラ』のときと同様の感覚。そして劇中でも頻繁に出てくる「外星人」という呼称の日本語としてのセンスが、ベーターカプセルのフラッシュビームの如くキラリと光っていたなあ、と。