僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな7歳の息子とのウルトラ備忘録です。

~『ウルトラマン』の根源的な魅力に迫るドキュメントとして~映画『シン・ウルトラマン』

 

 映画『シン・ウルトラマン』を見てきました。

 

※以下、重大なネタバレを含む箇所があります。

www.bokuboku12.net

 1年とちょっと前にわざわざこんな記事をしたためたほど、公開を楽しみに待ち続けていた映画『シン・ウルトラマン』。

 映画館の席に着いて、自分の心臓の音を聞いたのは生まれて初めてだったかもしれないです。割と本気で、「生きてて良かった、見られて良かった」が一番の感想。ありがとう、ウルトラマン。

 僕は特撮オタクを自称している割に、その根源にある「SF」という概念にについてはあまり知識を持っていないのですが、『シン・ウルトラマン』にははっきりと「SF」を感じました。感じた気がします。鑑賞後、タイトルロゴの下にある「空想特撮映画」の表記に少しうるっときてしまった。驚きと興奮、そして未来への希望が詰まった素晴らしい映画でした。

 

 

 

 

「得体の知れないもの」の描き方

 『シン・ウルトラマン』は、初代『ウルトラマン』が持つ「空想特撮シリーズの根源的な魅力」に、史上最も接近した作品だったと思います。

 前半。次々と「日本だけに」現れる禍威獣(カイジュウ)の脅威をケレン味たっぷりの演出で(オタクにしか分からない小ネタも挟んで)見せつつ、ウルトラマンを「銀色の巨人としか呼びようのない」得体の知れない存在として描く。

 何度も見ているはずのウルトラマンのマスクが、最初はちょっと怖く見えて。体の色も、思ってた色と少し違う。そこにまず引き込まれる。これが、1966年に人類が初めてウルトラマンを目撃したときのインパクトなのか……という興奮がありました。

 「外星人」と呼ばれる地球外知的生命とのコンタクトでは、サラブ、メフィラスといった往年の名宇宙人たち。オリジナルデザイナーである成田亨さんへのリスペクトが溢れる外見はもちろん、その侵略計画も、原作にあった「意図」を残しながら見事な現代風アップデートがなされていて。

 特に印象的だったのは、メフィラスの人間態を演じた山本耕史さんですね。斎藤工さんとの居酒屋のシーンは、見た目は人間で会話も日本語なのに2人とも本当に宇宙人に見えた。ザラブの小物感も、にせウルトラマンのカクカクの目も良かった。まさか「ゾーフィ」がゼットンを連れてくるとは思わなかったけど。

 あと、やっぱりやってくれた「巨大・長澤まさみ」のド迫力。この映画、お芝居的な面でも長澤まさみさんがめちゃくちゃ引っ張っていて、元々好きな俳優だったけど、ますます好きになりました。

 ウルトラマンが人間をどう好きになっていくのか。そこを軸として、人類の叡智とそれを信じる前向きな精神を実直に描こうとした、その志にも拍手を送りたい。イデ隊員を思わせる滝明久、いい役回りでしたね。

 全体を通して『ウルトラマン』への愛が溢れるオマージュでありながら、2022年の今見ても十分に新鮮味のある原液だけを巧みに抽出して1本の映画にした、という印象です。やっぱり庵野さんと樋口さんのコンビは信頼できる。

「普通の人」にはどう見えるのか、という視点

 さて、2016年の『シン・ゴジラ』は特撮オタク以外の人たちを巻き込んでの大ヒットでしたが、この『シン・ウルトラマン』はどうなるんでしょうね。

 オープニングから、あのマーブル模様が段々タイトルロゴになっていく例のやつで僕は「ニヤリ」という感じでした。あそこでまさか「シン・ゴジラ」のロゴになるなんて思わないし。シン・ゴジラにそのまま角をつけたみたいなゴメスとか、あと胴体は共通の着ぐるみだったことで知られるパゴスとガボラの関連付けも、ああいうのはやっぱり元ネタを知らないと楽しめていないことになっちゃうのかしら?

 『シン・ゴジラ』とは出てくるキャラクターの数が違い過ぎて、でもその分小ネタも律儀に隠されているから、普通の人に「特撮オタク以外出入り禁止!」みたいな印象を持たれたら嫌だなあと思いながら見ている部分も正直ありました。杞憂に終わってくれたらいいのですが。

 これから息子、嫁さん、友人…この『シン・ウルトラマン』は色んな人を誘って観に行く予定です。各々の口からどんな感想が飛び出すのか、今はそれが楽しみで。映画館を出た後、一緒に「巨大・長澤まさみ凄かったな(笑)」って語り合いたい。あ、そういう意味では一般にも広がる可能性、十分ありますかねこの映画。

 

 あと「SF」っぽい話でいうと、「我々は『地球人』である」ことをこんなに意識させられる映画もまあ無いよなあと思うんです。突飛なことばかり起きているのに、よその話な気がしないというか。頻繁に出てくる「外星人」という呼称の日本語としてのセンスが、ベーターカプセルのフラッシュビームの如く光っているなあ、と。