©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
あぁ……週に一度のお楽しみだった『SSSS.GRIDMAN』がとうとう終わってしまいました。
僕が子どもの頃に原作グリッドマンにハマった世代で、大人になった今でもその思い出が色褪せていないことはこのブログでも何度か書いてきました。あれから25年が経ち、アニメでよみがえった「夢のヒーロー」は再び僕たちを夢中にさせてくれた。グリッドマンのアニメ化自体信じられなかったほんの1年ほど前とは、世界が180°変わったような不思議な気分です。
※以下、重大なネタバレを含む箇所があります。
最終回。僕は生まれて初めて、アニメを見ながら泣きました。
鎧が外れグリッドマンの本当の姿が出現した瞬間や、子どもの頃に何度も見た左手を突き出す「ぐんぐんカット」、絶妙なタイミングでかかる原作主題歌「夢のヒーロー」。どう見ても、これは25年間グリッドマンのことを忘れなかった僕たちのために作られた作品だ。それがはっきりと分かったとき、込み上げてくる感情を抑えることが出来ませんでした。多分、今の僕が原作グリッドマンを見返したらオープニングから涙涙でしょうね。画面を直視できないかもしれない(笑)。
よみがえった「ヒーローへの憧れ」
アニメの放送が始まる前に更新した記事で僕は、「人知れず行われている戦い」への説得力が原作グリッドマンの魅力のひとつだと書きました。
グリッドマンと怪獣の戦う場所を、人間にとっては未知なる世界でありながらすぐ近くにあるコンピューターワールドという空間に限定することで、「僕たちが知らない間にもどこかでグリッドマンが戦っているのかも」と思わせてくれる。僕は子どもの頃、ウルトラマンや仮面ライダーはいなくても、グリッドマンなら本当にいるのかもしれないと本気で思っていましたから。
『SSSS.GRIDMAN』では、人間の住む街に怪獣やグリッドマンが現れて戦いを繰り広げます。しかし、次の日になると裕太たち3人とアカネ以外の人たちはみんなそのことを覚えていない。壊された街は元通りになっており、怪獣の被害に遭い死んだ人物は違う理由でもっと前に死んだことになっていたりする。
全てはアカネという神様が創り出した空想の世界である、と判明するのはシリーズの後半以降。作品の世界自体を謎に包み、それが原作でいうところのコンピューターワールドの暗喩であると徐々に明かしていく方法で「人知れず行われている戦い」に説得力を与えていました。
コンピューターワールドに現代風の解釈を施し、人間の内面というミクロな世界へ落とし込むことで、僕があの頃に感じたヒーローへの憧れを完璧な形でよみがえらせてくれた。見事と言うしかないです。
まさかのフィクサービーム
覚醒したグリッドマンがアカネの心を救うために放ったフィクサービーム。事あるごとに原作への思い入れを語ってきた僕ですが、まさかの展開に「ここでそう来たかー!」とカウンターパンチを食らった気分でした。
確かに原作では毎回戦いが終わった後、破壊されたコンピューターワールドをグリッドマンがフィクサービームで修復していましたね。ウルトラシリーズには、ウルトラマンが壊された街を直すシーンなんてありませんし、よく考えてみればあれはグリッドマンがグリッドマンであるための重要な要素だったのです。そこに着目し、最終回のクライマックスの場面で、まるで100%勝利を確信した棋士が王手をかけるがの如く繰り出してきた作り手の「グリッドマン愛」。原作ファンの一人として最大級の賛辞を送りたい。
独りじゃない。いつまでも、どこまでも。
原作グリッドマンでは、主人公の3人と敵対していた武史が最終的にカーンデジファーを倒すプログラムを完成させ、彼らに新たな友情が芽生えたところで物語が終わります。孤独だった武史が、友達を持つことで自分自身に新たな可能性を見出す。グリッドマンが彼らとの別れ際に語ったように、「友達を持つことの大切さ」というメッセージを当時の子どもたちに分かりやすく伝えようとしていました。
一方『SSSS.GRIDMAN』では、主人公たち3人に「グリッドマン同盟」という愛称がつけられていたものの、作品が内包するメッセージは原作とはやや異なるものだったと僕は理解しています。
明解な表現が見つからず申し訳ないのですが、あえて言葉にするとすれば、「部屋の外へ出ていく勇気は必要だけど、君の孤独を全否定はしない」みたいな感じ。
広い世界へ出ていく勇気は、自分自身と周りの人たちを肯定することで初めて手にすることが出来る。ドアノブに手をかけたアカネに、六花、内海、裕太の3人がかけた言葉からは、友情というよりも孤独な人間の自問自答という印象を受けました。だからこそ、全てはラストの実写パートで目を覚ました少女の夢、といういわゆる「夢オチ」が絶妙にしっくり来たわけです。真ん中に「・」の入らない「覚醒」というサブタイトルは、虚構と現実の境目を表していたのでしょうか。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会
今思えば、内海が特撮オタク特有の気恥ずかしさを表すアイコンになっていたり、アニメで特撮を表現する試みも、過去のアニメや特撮作品に対するちょっとしつこいくらいのオマージュも、「虚構であること」の一つのサインでありながら、メインの視聴者を独りにしないために作り手から差し出されたグリッドマン同盟の証だったのかもしれません。放送後にTwitterで、フォロワーの方々の考察や元ネタ探しを読んだり見たりするのがどれだけ楽しかったか。あのワイワイみんなで騒ぐ感じや、同世代特有の共感と感動が入り交じった空間こそ、同盟と呼ぶに相応しかったと思うのです。
僕が子どもの頃に憧れ、大人になっても忘れることが出来なかったあのグリッドマンが、こんなに素晴らしいリメイクの機会を与えられたことにただただ感謝しています。そして僕たちの夢のヒーローは、今もどこかで、誰かの心を救っていることでしょう。
ちなみに『SSSS』とは、「Special Signature to Save a Soul(魂を救う特別なサイン)」の略だそうです。「アクセスコードはGRIDMAN」の台詞だけでも泣けるのにここでそのネタばらしをするかと、顔をボロボロにしながらテレビに向かって思わずツッコミを入れてしまったのでした。