コメディアンの志村けんさんが、新型コロナ肺炎で亡くなったというニュース。
僕はドリフに直接影響を受けた世代ではなく、物心ついたときに志村けんは既にお笑い界の重鎮でたまに「バカ殿」で見る人というイメージでした。ただ昨日の朝の訃報には、仲良しだった親戚のおじちゃんがいなくなってしまったような、自分でも不思議なほど強い喪失感を覚えています。寂しい。
「コメディアン」の肩書がこんなに似合う人もいなかったよなあ、と。今の20代の人で「お笑い芸人になりたい」という人は聞いたことあるけど、「コメディアンになりたい」はあまり聞いたことがない。「日本のチャップリン」とまで呼ばれた偉大なコメディアンが70歳という若さで亡くなって、次の人はいつ出てくるのだろうと思ってしまいます。それだけ、志村けんが唯一無二の存在だったということなのでしょうね。なんか一周回ってかっこいいです、コメディアン。
日本人の誰もが知る人の死で、改めて知った新型コロナの恐ろしさ。日々刻々と情勢が変化していく中で、僕は自分が2週間前に書いた記事を読み返しながら反省しているところです。
自粛しない若者たちと自分
その記事がこちら。
別に言い訳するわけではないのですが、この頃はまだ兵庫大阪間の行き来を自粛する要請も出ておらず、文字通り「自粛ムード」がなんとなく漂っている、そんな状況でした。外へ出るのもマスクをしていれば大丈夫だろうと。
記事の趣旨としては、楽しみにしていたイベントやら何やらが全部中止になって、その寂しさをどうしたら埋められるだろうと色々考えています、ということだったのですが…。
ここ何日かのテレビのニュースを見ると、東京都の感染者数の増加と同時に、自粛要請が出ているにも関わらず「自分は感染しない」と信じ切って遊び歩く若者の街頭インタビューなんかが流れるようになりました。あれを見て、どうにも真正面から批判できない自分がいたのです。2週間前に大阪の街を歩き回っていた自分は、例えそこでどんな崇高な理由を主張したとしても、テレビに出ていた「新型コロナをナメきった若者たち」と根っこの部分でほとんど変わらない。
自分が無症状の保菌者で、外出することで顔も名前も知らない他の人たちを無意識のうちに感染させてしまう。その視点が完全に抜け落ちていました。
大切な人や場所を守るために
今は、仕事以外での外出はほぼしていません。嫁さんも息子もそうです。
月に何回かの恒例行事だった実家での食事もやめにしています。うちは両親ともに喫煙歴が長く、万が一新型コロナに感染した場合、重症化するリスクが高いと考えられるためです。
実家との連絡はLINEグループで行い、それぞれのマスクの在庫状況や近況報告をこまめにするようにしています。両親には、僕よりも妹のほうがより直接的に「おとんもおかんも自分が高齢者であることを自覚するように!」と釘を刺しています。僕が言いにくいことをはっきり言ってくれるから助かる。
僕が言えたことではありませんが、本当に今は、個人個人が我慢できるところは徹底して我慢するべき時なのだと思います。だからこそ、我慢した後にちゃんとこれまでの日常が戻ってくるよう、国には最低限の補償を求めたい。でなきゃ、70年くらい前の「欲しがりません、勝つまでは」と大して変わらないじゃないですか。いざコロナが収束してみたら、大好きだったあんな場所やこんな場所が無くなっていて…なんて未来は想像したくもありませんから。
家でも「好き」を楽しむ
家の中でじっとしているのは確かに気が滅入りますが、我が家の場合は3人の「オタク気質」故に、それぞれが独自に「好きの楽しみ方」を持っているのは大きいなと思います。ダメージが最小限で済む。
嫁さんは、「大好きなモー娘。にちょっとでもお金を落としたい」と言って、中止になったコンサートの払い戻し分をグッズの購入にあてています。僕もウルトラマンショップのネット通販を活用して、普段なら購入に迷うような高額グッズをこっそり何点か…(笑)。
息子は、新しく始まったスーパー戦隊シリーズ『魔進戦隊キラメイジャー』のエンディングテーマにハマり中。ダンスも好きなんですけど歌がツボみたいで、「♪キラキラフルル~」ってずーっと歌ってます。こういうしんどい時だからこそ、正義が悪をやっつける特撮ヒーローの明解さはより気持ち良く映りますね。キラメイジャー、僕も毎週楽しんで見ています。
上の方から自粛自粛と言われるとやっぱり何となく息苦しさを感じてしまうのですが、これをなんとかプラスの方向へ持って行かねばと思いますね。家の中の楽しみ方を追求しつつ、コロナが収束した後もこれまでと変わらない平和な日常が過ごせるよう、今は願うばかりです。