12年ぶりに日本のゴジラがスクリーンに復活すると聞いて、「この『シン・ゴジラ』を見るまでは絶対死ねないぞ」と考えていた僕が、あれから3年経ってまたその「死ねない」状況に追い込まれています。
今年の年末、22年ぶりに寅さんがスクリーンに帰ってくる――。
本日より、『男はつらいよ50 お帰り 寅さん』の予告編が松竹映画の公式チャンネルにて公開されています。
吉岡秀隆演じる満男のナレーションをバックに、若き日のとらやの人たち、満男の初恋の人・泉ちゃん、そして寅さんの四角い顔。本当に、本当にあの寅さんを映画館で見ることが出来るんだと、シリーズが終了してからファンになった僕はたった1分の映像にもこ込み上げてくるものを感じずにはいられませんでした。
今回は、当ブログ二度目の寅さん語り。ちょうどこの間、嫁さんと一緒に第1作のDVDを見たこともあって、この映画の面白さをより多くの人たちに知ってもらいたい気持ちが湧いてきました。しばしお付き合いくださいませ。
寅さんってどんな人?
「寅さんってこんな人やったんや」
これが嫁さんの寅さん評。
日本映画界の歴史に名を刻んだ『男はつらいよ』は1996年、主演の渥美清の死と共に48作に渡るシリーズにピリオドを打つこととなりました。あれから20年以上が経ち、そういう映画があったこと自体を知らない世代も増えてきています。
かく言う嫁さんも、僕が薦めるまでは寅さんを見たことがありませんでした。ただ多くの人に愛された映画シリーズであることはなんとなく知っていて、本屋に行けば四角い顔が表紙の名言集なんかが置いてあったりするものだから「寅さんは温かみのあるいい人」のイメージが勝手に出来上がっていたそうなんですね。
実際に作品を見た嫁さんの言う「こんな人」には別になんの裏があるわけでもなく、まあはっきり言うと「クズやんwww」って、画面を指差しながらケタケタ大笑いしていたわけです。
表現の是非はともかくとして、嫁さんのこの一言は車寅次郎という男を的確に表現しているように僕には思えました。そう、寅さんは別に「いい人」じゃない。
清々しいまでの…
嫁さんのツボにハマったのは、第1作で寅さんが妹・さくらの縁談をめちゃくちゃにしてしまう一連の場面。もうね、僕もこれ数えきれないくらい見てますけど、何回見ても酷いし本当にさくらの困惑する表情が痛々しくて仕方がない。
自分の縁談の席で、ついこの間まで行方知らずだった腹違いの兄が「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻の周りはクソだらけ!ってなぁ、ガハハ」ですもん。恥さらしもいいところです。
もちろんその縁談は破談となり、寅さんはとらやの面々から激しくバッシングを浴びるわけですが、ここでも「そりゃ返って好都合だよ、さくらくらいの女になりゃね、後から後から男押しかけてきちゃうからな、こっちで断ってやりてぇくれぇだよ」と清々しいまでの開き直り。全部あんたのせいやっちゅーねん(笑)。
寅さんは基本的に妹思いではあるし、事あるごとに「自分が何とかしてやろう」という気概を見せてくれる人情に厚い面もあるけど、いかんせん常識が無いし不器用が過ぎる。正直、こんな人が自分の家族にいたら……なんて想像したらめまいがしそうなレベルです。
最後の「情」に深く頷く
それでも、とらやの人たちと我々ファンが寅さんのことを見捨てなかったのは、自分がそんなどうしようもない奴だということを一番自覚しているのが他でもない寅さん自身だったからなのでしょう。
映画のパターンとして寅さんは最後に再び旅に出るわけですけど、そのきっかけは失恋だったり家族の何気ない会話を耳にしてしまったことによる「後ろめたさ」だったりする。特に初期の作品には、人間誰しもが抱えたことのある言葉にしにくいモヤモヤとした感情が上手く表現されているように感じます。
僕も寅さんの不器用さと非常識っぷりには思わず笑ってしまうし、ほんとに何なのこの人と軽蔑するときもあるけど、最後の最後に見せる「情」には黙って頷かざるを得ない。さくらじゃないけど、「寅さん、行っちゃうの?」っていつの間にか寂しく思えてくる。
これが最初から「寅さんはいい人」の認識で見ていると、最後の「情」の部分があまり効果的じゃなくなってくるような気がするんですよ。普通のいい人がやらかして旅に出たところで、ただ可哀想なだけでしょって。
50作目の『お帰り 寅さん』。僕は予告編を見てつい涙ぐんでしまったけど、寅さんの「いい人」の部分が過剰に強調されてしまうのはちょっと抵抗ありますね。
「お帰り」というからにはあの破天荒な寅さんを見て大いに笑って、最後に少ししんみりしてから、カラッと笑顔で映画館を後にしたい。僕にとって初めて映画館で見る寅さんだけに、そこはちょっとこだわりたいところです。
寅さんに関しては昨年こんな記事も書いています。よろしければ。