僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

~絆という名のウルトラマン~『ウルトラマンネクサス』の逆転サヨナラ劇を回想する

f:id:ryo_nf3000:20190808105440j:plain

 

 YouTubeの円谷プロ公式チャンネルにて先月から『ウルトラマンネクサス』の配信がスタートしました。

 

www.youtube.com

 昨年の9月からスタートした『ウルトラマンガイア』の配信もまだ終わらないうちに『ネクサス』の配信開始とは、平成ウルトラマンを応援してきたファンの一人としてこんな贅沢をしてもいいものかと戸惑ってしまうような状況です。

 79年のアニメ作品『ザ・ウルトラマン』の配信も進行中で、現行の『タイガ』も合わせると週に4回もウルトラマンを見ることができる。いやあ、凄い時代になりました。

 

 今回は、僕が初めてウルトラマンをリアルタイムで完走した作品である『ネクサス』について、思いの丈を綴ってみようと思います。

 今でこそカルト的な人気を誇る当作品ですが、放送当時はファンの間で、もう賛否両論どころじゃないほどの騒ぎだったんですよ。その辺りの記憶も含めて。

 

 

 

 

送開始前の大きな期待

 

 『ネクサス』の記事を書くにあたり、実家からあるものを引っ張り出してきました。

 

 当時の円谷プロのオフィシャルマガジン「ウルトラマンDNA」の創刊号です。

f:id:ryo_nf3000:20190808104610j:plain

 この創刊号で大々的に組まれたネクサス特集が、今読むとなかなか興味深い内容でして。

 企画書から引用した、ウルトラファンの心をくすぐる熱いフレーズの数々。渋谷浩康プロデューサーの作品にかける並々ならぬ意気込みと、ネクサスそのものの奥ゆかしいデザインを堪能できるグラビア。その内容は、『ネクサス』放送開始直前のウルトラマンを取り巻く空気感や『コスモス』以来2年ぶりとなるテレビシリーズへの期待感で溢れています。

 

巨大ヒーローとリアルなメカアクションの共存!かつて円谷プロが構築したハードSF世界の完全再現と更なるエボリューション(進化)!!!

―「ウルトラマンネクサス」企画書より―

 「エボリューション(進化)!!!」ですよ。その括弧書きは果たして必要なのか(笑)。

 円谷プロのオフィシャル、という雑誌の性格も大いに関係しているとは思うのですが、まるで携わっているスタッフ全員が新しいウルトラマンの大成功を確信しているかのような、自信満々の文言が放送開始前にズラリと並んでいる誌面には驚かされます。初代ウルトラマンが初めて人類の前に現れたときの衝撃を引用しながらネクサスの特徴的なシルエットを大きく掲載した見開きのページなんかは、もう読んでいるこっちが引いてしまうくらいの「黙って期待したまえ」感。

 僕も当時、これを読みながら「一体どんなウルトラマンが見られるんだろう」と本当にワクワクしていました。ウルトラの長い歴史を大きく塗り替えるような伝説が生まれるのでは、と。

戦の結果……

 いざ放送が始まると、『ネクサス』はウルトラシリーズのメインターゲットである未就学児の支持を十分に得ることができず、低視聴率と玩具売上不振のあおりを受けて結果的に番組自体が1クール分短縮されてしまったのは周知の通り。

 

 僕も、『ネクサス』はつまらないわけではないけど、特に初期の20話くらいまではどこか釈然としない気持ちを抱えたままリアルタイムで追っていたことをよく覚えています。一言で表すと、

 

「これ、思ってたのとなんか違くね……?」

 

 本来のターゲットよりも上の年齢の層を取り込もうと、これまでのウルトラに無かった新しい設定や演出に挑戦した結果、画面からウルトラシリーズらしい爽快感が失われているように思えたのです。

 

 暗い作風は個性だからいいとしても、ビーストに食い殺される役割しか与えられていない一般市民に、みんないつもしかめっ面のナイトレイダーのメンバーたち。人間らしい会話が聞こえて来ず、ただただ閉塞感だけが支配する画面からは、なにか広い海を息継ぎせずに泳ぎ続けているような息苦しさすら感じました。同時期に放送されていた東映の戦隊シリーズや仮面ライダーと比べても、単純にキャラクターを魅力的に描く準備が不足しているように感じました。

 メタフィールドやメモリーポリスなど、諸々の設定のガバガバ具合も気になりました。

 いくら人里離れた山奥と言っても、あんな50mの大きさの怪獣や巨人が出現してその情報が外部に一切漏れないなんてあり得ないだろ、と。新しいヒーロー像を作るために番組が自ら抱えた宿題を消化しきれていない、そんな印象が強くて。

「絆ーネクサスー」という伝説

 それでも、毎週土曜日の朝7時半にちゃんとテレビの前に座っていられたのは、一端のウルトラマン好きとして『ネクサス』というウルトラ史における挑戦の着地点をこの目で見届けたかったからです。

 

 今なおファンの間で語り草となっている最終回「絆ーネクサスー」。

 

 僕もこれまでに数えきれないほど見返してきました。提示された伏線の回収、ウルトラマンの力が人から人へ受け継がれていくという独自のコンセプトを最大限活用した作劇、怒涛のクライマックスを力技で見せ切ったあの30分間は、まさにウルトラシリーズにおける一つの伝説と言ってもいいでしょう。

 

 当時、僕は平成ウルトラシリーズのファンサイトと称して自作のホームページを持っていました。『ネクサス』に関しては、特に24話までの所謂「姫矢編」には厳しい批評を掲示板に書き込まれる方が多かったと記憶しています。

 ところが最終回の放送が終わった直後からその評価は一変。

 「散々文句言ったけど、最後まで見続けて本当に良かった」ほとんどの方がそういった趣旨の感想を述べていましたし、僕も全く同じ気持ちでした。最後の孤門のセリフじゃないですけど、「あきらめなくて良かった」と。

転劇はいつまでも記憶に残る

 例えばプロ野球の試合なんかを見ていて、贔屓のチームが先制、中押し、ダメ押しと理想的な試合運びで勝利した試合より、劣勢を最後の最後に跳ね返した試合や、時には負け試合のほうが後々語り継がれたりする。

 それは多分、『ネクサス』で孤門が「変身しない主人公」としてデュナミストの伴走者であり続けたように、試合を見ながら感情移入せざるを得ないシーンが節目節目にあって、折れそうになった気持ちが何度も繋ぎ止められたからなのだと思います。

 

 時々、自分が『ネクサス』をリアルタイムで完走できたことを誇らしげに語りたくなるんです。僕にとって『ネクサス』は文句なしの傑作とは言いづらいけど、頭の片隅にいつも置いておきたい、そして時々引っ張り出してきてぎゅっと抱きしめたい。そんな大切な作品であることは間違いないですね。

 

 そう言えば、YouTubeによる毎週配信を知った嫁さんが『ネクサス』に興味を持っているようでして。普段のウルトラマンとは違う感じだから見てみたいそうです。あ、いや確かに違う感じなんだけど……どう言ったらいいんだろう。他の作品を薦めるときのように、「とりあえず見て!」と無責任に言い放ちにくいぞ。

 せっかくだし、ナイトレイダーに入隊する直前の孤門に忠告した松永管理官のセリフを引用して、「どうします?今ならまだ後戻りできますよ」とビビらせてみようかしら(笑)。