『特撮黙示録 1995-2001』という本をご存知でしょうか。
今から約15年前に発表された切通理作氏の著書で、主に1990年代後半から2000年代前半にかけての特撮作品にスポットを当てながら、当時の空気感や特撮というジャンルの状況の変化を活字としてまとめた「90年代日本特撮の集大成評論(切通理作の部屋 から引用)」です。
僕がこの本と出会ったのは中学2年生の頃。今のところ人生で最も読書量が多かった時期です。その頃は、著書の中で取り上げられている平成ガメラ3部作、『ティガ』~『ガイア』の平成ウルトラ、初期の平成ライダー『クウガ』『アギト』にもちょうどハマっており、それらの作品の本格的な評論集ということで書店で見つけてすぐにレジへ向かった記憶があります。懐かしい。
今回はこの『特撮黙示録』の中で、ある作品に関して言及された箇所が中学2年生だった当時の僕に強烈な印象を残し、その後の特撮に対する価値観に大きな影響を与えたというお話。
SNSなき時代の好奇心
ある作品というのは、『ウルトラマンコスモス』。「怪獣を倒さずに保護する」という異色のヒーローでありながら、同時に原点回帰を打ち出した21世紀最初のウルトラマンです。
『コスモス』の本放送は、中盤(第30話辺り)から見始めました。「怪獣保護」というテーマに新しさを感じ、01年に発生したニューヨークの同時多発テロ事件に代表される殺伐とした時代の空気の中で「優しさ」をキーワードに選んだ『コスモス』という番組に興味津々でした。実際に番組を見てみると、本来倒されるはずの存在だった怪獣を保護するということに対してややファンタジーに落とし込み過ぎているという印象は受けたものの、毎週登場する怪獣たちには個性と愛嬌があり、ウルトラの新しい歴史が積み上げられているなと感じました。TEAM EYESのメンバーも個性的で楽しく、攻撃よりもまずは調査を行うというチームとしてのスタンスは初代ウルトラマンに登場する科学特捜隊を連想させました。これぞまさに原点回帰。
当時は今のようにSNSというものが存在せず、番組に対して視聴者がどういった感想を持ったかなどといった生の声をリアルタイムで見聞きするのが今よりも難しい時代でした。個人で開設されたホームページにアップされたレビューや、関連書籍の評論を読むくらいしか手段が無かったのです。『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』や『地球はウルトラマンの星』で既に切通氏の著書に触れていた僕にとって、『特撮黙示録』の中に『コスモス』について言及があったことはちょっとしたニュースだったわけです。「僕が毎週楽しみに見ていた『コスモス』を、あの切通さんはどういう風に見ていたのだろう」純粋な好奇心が、ページをめくる手を動かしていました。
意外な批評に面食らうも…
『コスモス』について触れられているのは、同時期に放送されていた『仮面ライダーアギト』の章。しかし、読み進めてみると僕が想像していたような内容とは全然違うことが書かれており、面食らったことを今でも覚えています。以下、少し長いですが引用します。
円谷プロが『ガイア』終了以来二年ぶりにウルトラシリーズを再開させた『ウルトラマンコスモス』(01~02)は絶対正義なき時代に対し、ウルトラマンをふたたび宇宙から来た存在に戻し、地球人と、宇宙人や怪獣との間の橋渡しをする役割を担わせた。人間側の主人公たちも、怪獣攻撃チームではなく怪獣保護の「TEAM EYES」となった。つまり敵の打倒を謳わない新しい時代のウルトラマンとしてスタートしたのだ。『龍騎』も様々な目的のライダーが登場するものの、主人公である龍騎こと真司の目的は「争いをなくすこと」であったから、ある意味そこは通じているともいえる。
だが、『コスモス』は空想特撮というジャンルに必要なものを決定的に欠いていた。それは「未知なるもの」へのおそれや探求心である。EYESは怪獣保護チームであるはずなのに、出現した怪獣や宇宙人が凶悪だと判断するやレッドカード(「コンディションレベルレッド」と呼称される)を出し、攻撃に転ずることが出来る。コスモスも敵の攻撃をかわすルナモードと戦闘的なコロナモードを使い分け、両者を兼ね備えたエクリプスモードへと進化する。
怪獣や宇宙人の生殺与奪の権利をすべて彼らが握ってしまっているのだ。EYESの他に体制側を象徴する防衛軍が登場するが、軍はただのミリタリズムで怪獣攻撃にはやるステレオタイプ的な憎まれ役として捉えられ、正しい判断は常にEYESの側にあった。
つまり主人公側はむしろ従来のシリーズよりも〈絶対善〉になってしまっている。
改めて読み返してみても、非常に鋭い指摘です。もう完全に一刀両断と言ってもいいレベル。
正直、最初に読んだときの戸惑いは大きかったです。自分が良いと思っていた作品が、自分の好きな作家によって否定される。中学生だった僕にはなかなか刺激的な出来事でした。単に怪獣やウルトラマンが画面に出てきたらいいというわけではない、人間の「未知なるもの」へのおそれや探求心が描かれるからこそ、それらがキャラクターとして価値あるものとなる。実際に『コスモス』を見返してみるとこの切通氏の指摘は的確で説得力があり、当時の僕にとっては空想特撮の本質や魅力とは何かということを考えるとてもいい機会になりました。
それ以来、僕の特撮ファン歴は完全に特撮黙示録「以前」と「以後」に分けられたような感覚。それまではウルトラマンや怪獣のデザイン、各設定の整合性など割と表面的な部分しか見ていなかったのが、特撮作品を楽しむひとつの基準としてそこに明確な驚きや不思議さ、いわゆるセンスオブワンダーを感じられるかという点が大きな比重を占めるようになりました。
『コスモス』に関しては、やはり「怪獣保護」と「優しいウルトラマン」という2つのテーマを半ば無理やり結び付けたような印象が拭えず、初期の『時の娘(前編・後編)』で描かれたような怪獣保護に対する現実的な視点が最後まで掘り下げられなかったことは率直に言って残念でした。
後の『ウルトラマンX』で、怪獣との共生を理想に掲げる主人公や防衛組織が設定されたのは『コスモス』の影響も少なからずあったのだろうと思います。第19話『共に生きる』のように、登場人物それぞれの主張や立場がかなりシビアに描かれた回もあり、『コスモス』の頃に消化しきれなかった課題が新しい作品にきちんと受け継がれているのはウルトラシリーズのファンとして嬉しかったですね。
この『特撮黙示録』、僕は今でも結構な頻度で読み返しています。特に平成ガメラや平成ライダーの章はさしずめ「読む特撮」といった趣で、批評と合わせて物語の流れも注釈付きで丁寧に説明がなされているので読み応え抜群。現在Amazonでは古本の取り扱いしかないのが残念です。復刊希望!
購入以来、大切に扱ってきたつもりだったのですが、小口を見てみるとさすがに何度も読んだことが一目で分かる状態になっていました。僕もこうして大事なものと一緒に歳をとっていくんだな、と。