僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

『平成特撮の夜明け』を読んで

 別冊映画秘宝『平成特撮の夜明け』を読み終えました。ゴジラ、ガメラ、ウルトラマン、仮面ライダー、そして今も途切れずに続くスーパー戦隊シリーズ。平成にリブートした特撮作品のクリエイターたちのインタビュー集です。

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 まさに平成特撮の夜が明けていく様をリアルタイムで体験してきた、僕のような世代(1980年代生まれ)の特撮ファンにはたまらない一冊になっています。総勢13名のインタビューに共通しているのは、ある種「尖った」とも言える言葉の数々、「新しいものを生み出す」気概と強い信念のようなものでしょうか。著書のタイトル通り、特撮というジャンルが新しい地平を開きつつあったあの時代のピリッとした空気を存分に感じ取ることが出来ます。

 

「自分が観たかった怪獣映画」を

 平成ガメラ三部作は、まさしく著書のタイトル「平成特撮の夜明け」を長年の特撮ファンにダイレクトに感じさせた記念碑的作品です。ガメラという、かつては大映の看板スターだったキャラクターを再生させる試みでありながら、リアリティ溢れる世界観と細部にまで拘ったミニチュアワークを中心とした迫力の特撮映像で、ガメラの枠を越え怪獣映画そのもののリブート(再始動)を見事に成功させたと言ってもいいでしょう。公開から20年近く経った今も非常に高い評価を受けています。

 その平成ガメラの誕生に携わったスタッフの中で、金子修介監督の言葉を引用します。

中高生ともなると巨大な怪獣というもの自体に幼児性を感じてしまうかもしれないけど、小六の12歳ならまだ怪獣というものが許せるかもしれない。でも一方で、12歳はかなり大人なところもあって、ただのおとぎ話ではなくてSF的なリアリティがないと許せない。でもやっぱり怪獣も好きという(笑)、自分は大人だと思っているけど、大人から見ると子どもという存在。『ガメラ』は、そんな大人と子どもの境目にいた頃の自分に向けて作った映画なんです。

 ちょうど中学生の頃に平成ガメラにハマった僕としては、思わず膝を叩いてしまいました。自分がまさに大人と子どもの境目いた頃、怪獣映画は大好きだけど、子どもの頃にはそこにいるだけで嬉しかった「怪獣」という存在を無条件には許せなくなってくる。これは実感として凄くあります。『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、そんな怪獣映画ファンが想像していた「自分が観たかった怪獣映画」をまさしく作品として昇華させた最初の形だったのではないでしょうか。

ウルトラシリーズの復権

 ウルトラに関しては、『ウルトラマンティガ』でプロデューサーを務めた笈田雅人さんの言葉に、平成という時代にウルトラシリーズが復活を果たした要因のほとんどが集約されているように感じました。

初代から『80』までのシリーズ変遷を経て、ウルトラマンに対する驚きやストーリーにおけるSF性が希薄になっていると強く感じていたんです。一度、ウルトラマンの原点であるセンス・オブ・ワンダーを取り戻したいと思いました。

 16年間に長きに渡るシリーズ中断の間、過去の作品に対する再評価が行われる中で初期のウルトラシリーズ(『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』)が多くのファンの支持を集めたことは紛れもない事実だと思います。第二期ウルトラシリーズへの低い評価と、「ウルトラ兄弟」をはじめとする幼児向けの設定がマニアの間で否定的に見られたことも、あの時代にあっては必然だったのではないかと。笈田さんの「センス・オブ・ワンダーを取り戻したい」という言葉は、当時のウルトラファンが渇望していた共通の意識だったように思います。

 紆余曲折はありながらも、『ティガ』は平成ウルトラマンをシリーズ化させることに成功し、新しい時代のウルトラマンのスタンダードとなったことは周知の事実です。デザインを担当された丸山浩さん、メインライターの小中千昭さんの功績はここで言うまでもありません。

―たとえば平成三部作を続ける中で、兄弟の設定を出す案が出るようなことは?

小中 当時はまったくなかったですね。例の「新ウルトラマン」の企画のときから、私や會川氏も含めて、あれがウルトラを弱体化させたと思っていたわけだから。

  ウルトラに対する小中さんの姿勢は一貫しています。

 ちなみに僕が『ティガ』を見たのはリアルタイムではなく本放送が終わった後にレンタルビデオで、中学生の頃だったのですが、当時の僕もウルトラ兄弟のようないわゆる「子供だまし的なもの」が嫌で嫌で仕方なかった記憶があります。『ウルトラマンG(グレート)』の脚本を担当された會川昇さんの章で「中二病ウルトラマン」という表現がありましたが、まさにこの表現がぴったりで。自分の中に「ウルトラマンはこうあるべきだ!」という信念がぼんやりとあって、そこから外れたものは全部否定するという(笑)。あの頃のことを思うと、怪獣や宇宙人を前に日本語を喋りまくるウルトラマンゼロや、歴代ウルトラマンの力をお借りするオーブをすんなりと受け入れられている今の自分を不思議に思ったりもするのですが。今現在のウルトラマンのキャラクターとしての拡がりは、『ティガ』がこれまでとは異なる新しいウルトラマン像を提示し、それが多くのファンに受け入れられたことがベースになっていると僕は思っています。

ヒーロー番組はタイムカプセル

  2000年代に入り、仮面ライダーシリーズが復活。今も続く平成ライダーシリーズとしてその地位を盤石なものとしています。その第1作『仮面ライダークウガ』は、新しい時代のヒーロー番組として革新的な試みをいくつも行い、長年の特撮ファンだけではなく一般視聴者層をも取り込むことに成功しました。

 この『平成特撮の夜明け』で僕が最も印象に残ったのが、『クウガ』でプロデューサーを務めた高寺成紀さんのインタビューでした。高寺さんの言葉の端々から感じられるのは、特撮ヒーローや仮面ライダーというジャンルに対するドライな視点。クウガの誕生に関しては単に番組としての仮面ライダーを復活させることが目的ではなく、新しい時代のヒーローを世に出すために「仮面ライダー」という強力なタイトルが必要だったと語られており、成り立ちからしてこれまでの仮面ライダーとは異なることが伝わってきます。

ただ、子供番組担当の自分としては、とにかく子どもがわくわくできるもの、彼らが「これは俺たちのために作られた番組だ!」って思えるものを作ろうとしていたつもりです。じゃあなぜあんなにも大人っぽい感じにしたのかっていうことなんですけど、ひとつは背伸びしたがるチビッコたちの願望に沿おうとしてたんだと思います。もうひとつは、未来で開かれることになる一種のタイムカプセルだと思っていたからなんじゃないかと。当時はそういうふうにハッキリ自覚してたわけじゃないんですけど、今、言葉にすれば、恐らくそういうことなんじゃないかなぁと。大人になって子ども時代に観たものを観返したとき、「懐かしい」って気持ちだけじゃなく、大人になったなりの発見みたいなものがあると、それはそれでお得な感じがしませんか?

 『クウガ』当時を振り返りながら、ご自身のことを冷静に分析されている高寺さんが凄く印象的なのですが、「未来で開かれることになる一種のタイムカプセル」という例えから『仮面ライダークウガ』が新しい時代のヒーローになり得た理由が垣間見えた気がしました。「大人の鑑賞にも堪える」とは『クウガ』を評する際によく使われる表現ですがそれはあくまで作品の一部分であり、根底に流れているのは、子どもたちと未来の大人たちへ届く普遍的なメッセージだったのだなぁと。子どもの頃に『クウガ』にハマり、今でもファンだという大人の方がこの高寺さんの言葉を聞いたら凄く嬉しいだろうなと思います。同じ特撮ファンとして、ちょっと羨ましいです。

 僕はこの『平成特撮の夜明け』を読むことで、まさしくあの頃にしまっておいたタイムカプセルをそっと開けるような不思議な感覚を味わうことができました。親になり、子供と一緒に特撮ヒーローを楽しむようになっても、「自分が観たい中二ウルトラマン」を心の奥底で追い求めるのも悪いことじゃないなと(笑)。「物分かりが良くなってばっかりじゃつまんないよ」と誰かに肩をポンと叩かれているような、大げさに言うとそんな一冊だった気がします。おすすめです。

 

平成特撮の夜明け (映画秘宝セレクション)

平成特撮の夜明け (映画秘宝セレクション)