僕が僕であること(仮)

ウルトラマンが大好きな9歳の息子とのウルトラ備忘録です。

ヒーローが背負うべきもの

 我が家では、息子(と僕)の影響で基本的に特撮と言えばウルトラマンですが、現在放送中の『仮面ライダービルド』もリアルタイムで追いかけています。いやぁ、凄いことになっていますね、ビルド。最近のライダーシリーズではあまり見られなかった主要な登場人物たちをどんどん追い込む重たい展開はなかなか見応えがあります。4日放送の第21話『ハザードは止まらない』では、主人公が相手の命を奪ってしまったことを後悔し苦悩するという、ヒーローものとしてはかなり突っ込んだ内容を見せファンの間でもちょっとした論争が起きました。

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 この手の論争は色々なジャンルのもので同様に巻き起こるものだとは思うのですが、特撮に限ると話が少しややこしくなりますね。それは、重たいストーリーや残酷な描写を「子供に見せるべきかどうか」という点。僕も息子が出来て父親になり一緒に特撮ヒーローを見るようになってからは、こういった話題には過敏に反応してしまいます。そこで、僕の現時点での個人的な考えをまとめておきます。

 まず、先日の『ビルド』の内容ですが僕は「子供に見せるべきではない」とまでは思わなかったです。『ビルド』で今描かれているのは、自身の正体や持てる力の大きさを知った桐生戦兎が「ヒーローとしての自分」を掴み取る過程であり、そこには子供番組として誠実な姿勢が垣間見えるからです。あくまで「東都を守るための戦い」という部分にこだわっていた戦兎に、「戦争」という現実を見せつけ試練を与える。これは、仮面ライダーという枠組みの中で戦争を描く『ビルド』という番組が避けて通れない道でしょう。このご時世に、そこをごまかさずにちゃんとやってて偉いと思います。

「殺し合い」は引っかかる

 一方で、親として「見せたくない」という気持ちも理解できます。戦争の悲惨さやそれがなぜいけないことなのかを子供が知っていくための第一歩が、特撮ヒーローである必要性をあまり感じないからです。仮面ライダーやウルトラマンが振るう暴力に、敵を倒して誰かを守ることとは別の意味合いを持たせてしまうと子供に誤解を与えてしまうのではないかと。『ビルド』には、東都と対立する北都側の刺客としてグリスという3人目のライダーが登場します。そのグリスがビルドに対して「俺たちは殺し合いをやっているんだよ!」と詰め寄るシーンがあるのですが、少なくとも自分の子供にこの台詞は聞かせたくないと思ってしまいました。「仮面ライダーごっこ=戦争ごっこ」という図式が成立してしまうと、それを真似する子供が暴力を肯定出来てしまう危険性を感じるのです。もし自分の息子がグリスになりきって、上のような台詞を口にしていたら僕はその場で叱るだろうと思います。もちろん、世の中は綺麗ごとだけでは回りません。戦争が、人と人との殺し合いであることを知らなければならない時期が僕の息子にもやって来るでしょう。しかし、それをわざわざ「仮面ライダー」というフィルター越しに知る必要はないと思うのです。

 『ビルド』に限らず、最近の特撮ヒーローは目に見えない沢山のものを背負い過ぎています。正しいことと正しくないことの区別がつきにくい時代に正義の味方を名乗るむずがゆさ、作品を作り続けていく上でもはや無視できなくなった大人の視聴者を納得させるというハードル、販促という大人の事情から起きてしまう強さのインフレなど。そういう時代だと言ってしまえばそれまでですが…。

 『ビルド』は本当によく出来た作品だと思いますし、僕も毎週楽しんでいます。ただ「子供に見せる」という観点で考えると少々引っかかるという視聴者がいるのもまた事実です。作品を批判するつもりはありませんが、こうして特撮ファンの間で議論が巻き起こったり、それぞれが思ったことを自由に言い合える空気は常にあって欲しいと思います。